第144話

 いつの間にか立ち上がって食い入るように見ていた窓の外の景色だったが、今は足に力が入らなかった。恭弥はふらふらと力無くソファにもたれかかる。


「なん、だよ……どういう事だよ……?」

「衝撃を受けとるようじゃの」


「当たり前だろ! お前は、全部知ってたのか?」

「もちろん。我とあやつは一心同体じゃからの」


 乾いた笑いがこみ上げてきた。抑えようと思っても、口の端から溢れて出る。


「ははは……俺は道化だったって訳かよ……」

「お前とて、薄々勘付いてはおったじゃろう」


「面白かったかよ? 作られた存在が、右往左往してる様はよ。笑えよ……?」


 天城は黙ってこちらを見つめていた。くりくりとした大きな黒い瞳が、今はどうしても苛立ちを加速させた。


「笑えって言ってんだろ!」

「笑えばお前の気は済むのか?」


「済む訳ねえだろうが! 俺の全部を否定されたんだぞ! 生きてきた意味も、感情も、何もかもだ! 俺のものだと思ってた人生は、全部他人が設定したレールの上を歩くだけのものだったんだ! 俺は……なんのために生きてきたんだ……」


 恭弥はそれきり俯いて黙ってしまった。天城は物言わぬ置物となってしまった彼の横にそっと座ると、こう言った。


「すまんとは思っておるよ。お前の言う通り、お前の人生は我らのために設定されたものじゃった。じゃがの、お前が経験し、感じた感情はお前だけのものじゃ」


「……慰めのつもりか? どうせそれだって設定されたものなんだ。俺はもう死にたい」


 天城は恭弥の肩に手をやろうとした。だが、伸ばしたその手は虚空で停止し、何も触れる事なく元の場所へと戻っていってしまった。今は、どんな慰めも慰めにならない事を理解していたからだ。


「やっぱりそうなったか。予想通りとはいえ、この程度の事で死にたいとは、なんとも情けない」

 声の方を見ると、本来の狭間恭弥が立っていた。


「戻ったのか」

 天城は未だ俯いたまま恭弥に視線をやりながら言った。


「彼と交代しようと思ったんだけど、その様子だと戻ってもまともに受け答えが出来なさそうだね」


「誰のせいじゃと思っとる。じゃから言ったんじゃ、きちんと説明くらいはした方がよいと」


「ダメだよ。それじゃ僕と立場が変わらない。彼は何も知らないからこそここまで来れた」

 その言葉に反応したのは恭弥だった。


「……テメエ……上から目線でなんのつもりなんだよ。人を弄んで楽しいかよ!」


「元気がいいじゃないか。君、ひょっとしてこの程度で絶望を感じているのかい?」


「ああそうだよ! 悪いかよ! 俺は全部を否定されたんだぞ!」

 狭間恭弥はその言葉を鼻で笑った。


「僕には諦めるという機能が欠如しているから、君は簡単に諦めるよう設定したけど、想像以上に諦めやすいね。言っておくけど、このままここで君が何もしなければ、この世界は破滅するよ。君が好きなヒロインだって一人残らず死んでしまうよ?」


「だからどうしたってんだよ……俺には関係のない話だ。所詮俺は道化で、生きてすらいないんだから」


「……そうかい。じゃあ君の好きなようにするといい。だけど、君をこの世界には置いておかないよ。君は元の世界に戻るんだ」


「は? ふざけ――」


 言い終わる前に恭弥の意識は現実世界へと浮上した。


「本当にやるつもりなのか」

 恭弥の座っていた席をぼんやりと見ながら天城は言った。


「やるよ。その間、僕らは一切手を出さない。彼が渇望を得るまで繰り返す」


 天城は憂いた表情でため息をついた。その姿はあまりにも艶やかで、童女姿の彼女からはおよそ想像もつかないほどに色っぽかった。


「なんだい、彼に感情移入でもしているのかい。君らしくもない」


「別に。ただ少し……可哀想じゃと思っただけじゃ。それ以外の感情は抱いておらんよ」


「それを感情移入と……いや、君は元来愛情深い妖だったね。だけど、僕らはもう、引き返せないところまで来ているんだ。今更だよ」


「そうじゃな……全て、今更じゃ」


   ◯


 眼前では、神楽と秋彦が今後の事について真剣に相談し合っていた。その姿が今の恭弥には酷く滑稽に映ってしょうがなかった。思わず「くだらない……」と呟いた。


「ん? 何か言ったかね」

 秋彦が問いかけるが、恭弥は無視して席を立った。そして、障子に手を伸ばした。ただならぬ様子の恭弥に、秋彦は「どこに行くつもりかね」と言った。


「別に。家に帰るだけですよ」

「ダメですよ! 恭弥さんのお家には監視がいるって言ったじゃないですか」


「いいんだよ、もう。どうせ皆死ぬんだ。遅いか早いかの違いだ」

 恭弥はそれだけ言って部屋を出ていった。


「私追いかけてきます!」

「待て。様子がおかしかった。燧を持ってバレないように後をつけるんだ」

「……わかりました」


 一人残された秋彦は、すっかり冷えてしまったお茶をすすった。


「早まった真似をしなければいいが……」


 果たして秋彦の予感は悪い方に当たってしまった。恭弥は自宅周辺を嗅ぎ回っていた者を残らず惨殺し、何食わぬ顔で帰宅したのだ。神楽は距離を空けて恭弥を追った事を後悔した。彼の様子がおかしかったのは彼女をしても理解していたつもりだった。だが、まさかここまで派手な事をしでかすとは思ってもみなかった。


 神楽は彼の愚行を止められなかった事を後悔しつつ、狭間家の呼び鈴を押した。すると、すぐに文月が出てきた。


「神楽様、どうされましたか?」

「どうもこうもないです。恭弥さんはどうしてます?」

「帰宅されてすぐにお部屋にこもられました」


「やっぱり何かあったんだ……とりあえず中に入れてください。話しはそれからです」


 狭間家へと押し入った神楽は、挨拶もそこそこに恭弥の部屋に向かった。ドアノブを捻ったが、どうやら内側から鍵をかけられているらしく扉が開く事はなかった。一瞬ドアを蹴破る事が脳裏をよぎったが、冷静さを欠いている恭弥相手には逆効果だと思い直した。


「恭弥さん! 一体どうしたっていうんです。あんな事しちゃって、余計に立場が悪くなっちゃいましたよ! 千鶴さんや文月ちゃんを危険に晒すつもりですか」


 ドア越しに話しかけるが、彼から返事はなかった。


「黙ってちゃわかりませんよ。なんとか言ってください。そんなに自分が作られた存在だっていうのが悲しかったんですか?」


 今度は返事があった。だが、声が小さすぎて聞こえなかった。


「そんな小さな声で言われても聞こえませんよ!」


 返事を待っていると、のしのしとこちらに近寄ってくるのがわかった。そこから更に待っていると、ガチャリと鍵の開く音が聞こえた。


 部屋から出てきた恭弥の顔はこの僅かな時間に一体何があったというのか、憔悴しきっていた。薄っすらと涙の跡すらあった。


「お前に……お前らに俺の何がわかる!」


「わかんないですよ! ちゃんと何が辛いのか、話してくれないとわかる訳ないじゃないですか……話してくださいよ。私、ちゃんと静かに聞きますから……ね?」


「う……うるさい! 放っておいてくれ!」


 恭弥は再びドアを閉じて鍵を締めてしまった。それは明確な拒絶だった。


「恭弥さん……」


 奥から様子を伺っていたらしい千鶴と文月が神楽に近づいてきた。


「困った子ですねえ。これでは反抗期の子供と一緒です。神楽さん、何があったのか聞かせてもらえますか?」


「千鶴さん……」

「ドアを蹴破るのはそれからでも遅くはないでしょう?」

 そう言って千鶴はニコリと微笑んだ。

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