第137話

 まず最初に思い浮かんだのは千鶴だった。彼女ならば苦戦どころか片手間に高橋をあしらってしまうだろう。だが、彼女を真似る事など到底出来ない。


 次に浮かんだのは英一郎だった。彼は高橋と同じ一級退魔師ではあるが、実力的には英一郎の方が上のはずだ。彼の石下灰燼流は恭弥も使う事が出来る。分の悪い賭けだが、やってみる価値はある。


 恭弥は童子切安綱を霧散させると、石下灰燼流の構えを取った。即ち、身体を半身にし、右手を引いて胸元で構える。左手は浅く握り、直突きを打つ寸前のような構えである。


 次に高橋が狙うだろう箇所は胸か頭。いずれにせよ上半身だ。狙ってくる場所がわかっているならば、カウンターを得意とする石下灰燼流の一撃で逆転を見込める。


「驚いた。それは北村さんのところの技じゃないか。そんなものまで身につけてるとはな。なんで今まで三級なんて低い格に甘んじていたんだ」


「俺にも事情がありましてね。どうせ種はバレてるんでしょ? なら、早いところかかってきてください」


「いいだろう。頭を狙うぞ」


 高橋の立っている場所が爆発した。それを確認した恭弥は、すぐさま砕礫華を放とうとした。だが、所詮は他人の技。見様見真似で学んだに過ぎない石下灰燼流では、本物の頂には遠く届かなかった。


 必殺のカウンターを繰り出そうと手を上げた時には済んでいた。恭弥の眉間に呪印が刻まれる。


 呪印が嘯く。「一」と。


「クソ!」

「残念だが、北村さんのそれと君のそれとでは速さが違うようだ。さあ、残すところは後一箇所だ。諦めるつもりか」


 諦めるという選択肢はなかった。恭弥は再び思考の海へと潜る。幸いにして、どういうつもりかは知らないが、高橋はこちらの準備が整うのを待ってくれるらしい。


(俺がトレース出来る人物で、誰なら高橋さんに勝てる? 手持ちのカードは全部使った。物質化も鬼の力も通用しないとなれば、何が出来る?)


 考えに考え抜いた結果、ある人物が脳裏をよぎった。その人物とは自分自身だった。


 高倉島で本来の狭間恭弥が冥道院相手に見せた拾壱次元。あの力があれば高橋に勝てるはずだ。真名はすでに教えてもらった。後は詠唱を掴めばいいだけだ。


(電車の中で『俺』はイメージが大事だと言っていた。伝承を知り、自らのものとする事だとも言っていた。何をイメージする? 今の俺に必要なのは速さだ。俺の知る刀剣で速さに特化しているのは……)


 思い至ったのは雷斬だった。雷の力を宿すあの刀ならば、高橋の速さを超えられるかもしれない。


(俺は知っているはずだ、雷斬の伝承を)


 椎名家に伝わる伝説の名刀、その一振りである「雷斬」は、刀工が狂気的なまでに鍛え上げ、遂には雷を切り裂くまでに至った。その結果、雷斬には雷の力が宿ったのだ。


 生まれも伝承も知っている。後は詠唱だけだった。恭弥はいまだかつてない程に集中していた。両の瞼を閉じ、周囲一切の音、気配をシャットアウトしていた。


 今、無から有が生まれようとしていた。


「――汝一切の過去を捨てよ。汝一切の後悔を受け止めよ。今こそ染み付いた無念を昇華する時だ。君臨者に届き得る最後の一撃を……起きろ、拾壱次元!」


 恭弥が瞼を開けた時、眼前には青白く輝く雷斬が浮かんでいた。声にならない声が雷斬から聞こえる。「早く自分を使って敵を斬ってくれ」と。まるで持ち主が自身を手にして戦うのを待ちわびているかのようだった。


 恭弥は今か今かとその時を待ちわびている雷斬を手に取り、ゆっくりと鞘から抜き放つ。


「……つくづく驚かせてくれるな。だが、それでこそ一級退魔師だ。おそらくこれが最後になるだろうから元気な内に言っておく」


 二人共次の一撃が最後になるだろう事を察していた。


「なんです、改まって」

「ここを出たら北村さんのところを頼れ」

「高橋さん、あんた最初から俺を見逃すつもりで……」


 高橋は器用の手の甲でメガネをクイッと上げるとこう言った。


「勘違いするな。私はここの責任者として脱走を企てる者を全力で阻止しようとしている。だが、力及ばず脱走されてしまう事もあるだろう。それは規則から外れた事ではない」


「高橋さん……」

「さあ、お話しは終わりだ。行くぞ!」


 決着は一瞬だった。二人の姿が消えたかと思うと、次の瞬間にはそれぞれの姿が元いた場所と真逆の位置に立っていた。それから数瞬の間を置いて、高橋の胸から出血が起こった。


「見事、だ……!」

 高橋が崩れ落ちる。慌てて恭弥が駆け寄り、その身を起こす。


「高橋さん!」

「心配するな……死にはしない。だが、暫くは入院生活だな……溜まったてた本でも読むさ」


 傷を確認すると、パックリと胸元が裂けていた。切り口が鋭い事もあり、早急に病院に駆け込めばなんとかなりそうだった。


「言ってる場合ですか!」

 高橋は薄く笑うとこう言った。


「……稲荷と鬼灯を信用するな。連中は君を排斥しようとしている。何か連中の気に障る事でもしたのか? ……いや、やっぱり答えなくていい。私まで巻き込まれたくない」


「その方がいいと思います。結構根が深い問題なので」


「君もその歳で苦労しているんだな……人払いは済んでいるから正面切って脱走しなさい」


「ありがとうございます。救護班を呼んでおきます」

「自分で呼ぶから大丈夫だ。君は自分の事だけ考えろ。さあ、もう行くんだ」


 後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、恭弥はその場を後にした。


 身長の二倍以上はある巨大な鉄門扉を飛び越えて施設の外に出ると、そこは見覚えのある山の中だった。協会の訓練所がある場所の近くだ。


「地図を渡された時はまさかと思ったけど……意外と近い場所だったのか」


 ザクザクと深夜の山を明かり無しで歩いていく。神楽との合流地点は拘束されていた施設を西に暫く行ったところにある巨大な霊木だった。一般人の目にはただの巨大な木にしか映らないが、退魔師の目には青白く光って映る。おとぎ話の世界樹のように巨大なので、今いる地点からもはっきりと見えた。


 20分程度歩いていると、目的地に着いた。先に到着していたらしい神楽がこちらに向かって手を振っているのが見えた。


「恭弥さーん!」

「遅くなってすまん」


「いえいえー。無事脱走出来たようで良かったです。はいこれ、恭弥さんの霊装です」


「準備がいいな、ありがとう。着替えるから後ろ向いててくれ」


 神楽が後ろを向いたのを確認して渡された霊装へと袖を通す。先程までの囚人服と比べると、安物とはいえ着心地が全く違った。


「ふう……そういや、脱走したのはいいけどどこに行くつもりなんだ?」


「とりあえず私の家に行こうかと思います。今恭弥さんの家の周りは監視がついているので。そこからは出たとこ勝負って感じですかね。証人である姉さまが目を覚ますまでなんとか匿います」


「桃花の容態は?」

「……あまり芳しくはないです。命に別状はないようなんですけど、頭を打ったみたいで」


 現状恭弥が無罪である事を証明してくれるのは共に戦った桃花だけである。何か別の証拠となるものでも見つけられればいいが、諜報を得意とする稲荷が敵であるならば証拠の隠滅を図られている可能性が高いだろう。戦闘から時間が経ってしまっているのが痛い。


「確かに、芳しくないな……。高橋さんが英一郎さんを頼れって言ってたけど、あの人は味方してくれてるのか?」


「なんで規則さんがそんな事を言うんですか?」


「あの人、最初から俺の事を見逃すつもりだったらしいんだ。運営委員長だったし、流石におかしいと思ったんだろうさ」


「なるほど。ちょっと見直しました。英一郎さんはウチと一緒で矢面に立って今回の決定を批判してますよ。でも確かに、英一郎さんのところに身を寄せられるのなら、その方がいいかもしれませんね。あそこは英一郎さんをトップに一枚岩のはずですから。ウチは今回珍しく父様も批判してますけど、少なくない数の老人は協会の決定に納得してますからねー」


「秋彦さんが? そりゃまたどうして」


「さあ? 父様の考える事はよくわかりません。どっちにします?」


「内通されたらたまったもんじゃないからな、英一郎さんのところに行けるならそうするよ。高橋さんも言ってたし、たぶんその方が安全だ」


「わかりました。でもいきなりっていうのは難しいでしょうから、今晩はウチに泊まってくださいね。その間に色々やっちゃいます」


「了解。何から何まで悪いな」


「いいんですよ。流石に今回の決定はおかしすぎますもん。それじゃ行きましょうか」


 神楽は懐から一枚の式紙を取り出すと、霊力を通して巨大な鳥を生み出した。

 二人は巨大な鳥型式神の背に乗って夜空へと消えていった。

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