第136話

(天城、手錠壊してくれ)


 万が一にも天城の存在がバレないように声には出さず、心の中で天城に声をかける。すると、黒いシミの中から手だけがニュッと出てきて手錠を指先でつまんだかと思うと、天城は大した力を入れた様子もなく霊縛呪で出来た手錠を破壊した。


「ふう……」


 自由になった手首をクルクルと回して身体を馴らすと、恭弥はドアを蹴破って外に出た。


 部屋の前には二人の衛兵が立っていた。だが、二人とも退魔師ではない。恭弥は何かされる前に二人の経穴を突くと一瞬の内に気絶させた。


(妙だな……人が少なすぎる)


 恭弥が拘束されている部屋はどうやら地下にあったらしい。長い廊下を抜けて地上へと出る階段を上るまでの間、僅かな人数しか人を見なかった。しかもその全てが退魔師ではなかった。被疑者を拘束する施設としては守衛の数が少なすぎる。しかも、拘束されている恭弥は退魔師だ。普通に考えれば、脱走を企てた際のために退魔師の守衛をつけるはずだ。


 フロントに出ると、いよいよその違和感は最高潮に達した。受付の人間すらいなかったのだ。あり得ない事だった。


 当初の予定では裏口からの脱出を行う手筈だったが、ここでもおかしな状況であるならば、いっその事正面玄関から出ても変わらないとすら思えた。


 念の為柱の影に姿を隠しながら、玄関の向こうを覗く。すると、違和感の正体がわかった。


「全てお見通しって訳ね……」


 玄関前の広場には、高橋が一人立っていた。野球場の照明塔のようなライト設備に照らされ、誰かが出てくるのを待っているようだった。その誰かとは、恭弥以外にいないだろう。


「そこにいるのはわかっている。出てこい!」

 高橋が声をかける。いくら柱の影に隠れたところで、一級退魔師である彼の探知範囲から逃れる事は出来ない。恭弥は両手を上げて外に出た。


「高橋さんも人が悪いな。わかってて泳がせたんですか」

「当たり前だ。そうでなければ弁当箱など持ち帰らせる」


 高橋はそう言ってメガネをクイッと上げると、自らの得物を取り出した。それは二本の長い釘だった。そうとしか例えようがない。刀の刀身程もある五寸釘を刀に見立てて構えた。


 彼とは以前お務めでペアを組んだ事があるが、その時は得物を使用していなかった。どんな異能を所持しているのかわからない。が、釘という形状からなんらかの呪具である事は想像出来る。なるべくなら戦いたくない相手だった。


「やっぱこうなりますよね……見逃してはくれませんかね。高橋さんだっておかしいと思わないんですか。あの状況で俺が被疑者になるなんてあり得ない」


「私だっておかしいとは思うさ。だがな、規則は規則だ。君が被疑者であり、脱走を企てているというのであれば、私にはそれを阻止する義務がある」


「本当に規則が好きなんだな……」


「規則が守られるからこそ、人々には安定した自由がもたらされる。君にもいずれ理解出来る日が来るさ。それと、公平な戦いとするために先に言っておく。ここには監視も盗聴もない。私が解除しておいた。協会に隠している異能も好きなように使え」


「……出来ればあんたとは敵対したくないんだけどな。悪い人には見えないし」


 そう言いつつも、会話はいつまで経っても平行線を辿る事は容易に想像出来た。だから、恭弥は両手に刀を生み出した。


「それでいい。君は本来なら、先の測定で一級退魔師となっていた。つまりこれは、一級退魔師同士の戦いだ。周辺住民の避難も済んでいる。心置きなく力を使え。私もそうする」


「何から何までどうも。じゃあ先輩の胸を借りるつもりで行かせてもらいますよ」


(……そうは言っても、俺の力が高橋さんに通用するのか? あの人は一級の中でも古株だ。力そのものもそうだけど、俺とは戦闘の経験数そのものも違う。鬼の力はなるべく使いたくないし……どうする?)


「どうした、来ないのか? この通り私は隙だらけだぞ」

「よく言う……」


 釘を持った両手をダラリと垂らし、一見するとただ立っているようにしか見えないが、その実一分の隙もない。斬りかかれば、その瞬間カウンターを食らうだろう。


「来ないのなら私から行くぞ!」


 ゆらり、と一瞬高橋の身体が揺れたかと思うと、次の瞬間には彼の立っていた地面が爆発した。否、踏み込みの力が強すぎて爆発したように見えたのだ。


 瞬く間に恭弥へと肉薄した高橋は右手に持った五寸釘を恭弥の右手に突き刺した。だが妙だ。確かに突き刺された感触はあったのに出血どころか痛みすらない。不審に思って右手を見てみると、掌に漆黒で描かれた呪印が出来ていた。


 呪印が嘯く。「五」と。


「丑の刻参りって知ってるか」


 いつの間に恭弥の後ろに立っていた高橋がそう語りだす。彼我との距離は一メートル程度だった。恭弥の右手に五寸釘を刺して、気づかれる事なくそこまで移動していたのだ。同じ一級退魔師であっても、ここまで実力の差があるといっそ笑えてくる。


「ウチの家系はそれを生業にしてた巫女の血を引いているらしくてな、その巫女程ではないにしろ、私にもその力が少しだけ受け継がれてる。この二本の五寸釘はそれぞれ『黒牛くろうし』と『貴船きふね』という。黒牛は相手を殺す専門。貴船は相手を傷つける専門だ」


 高橋はそう言って自らの得物を紹介した。右手に持っている五寸釘が黒牛で、左手に持っているのが貴船らしかった。


「君の想像通り、黒牛と貴船は呪具だ。両手両足、胸、そして頭に突き刺すと、効果を発揮する。即ち、黒牛を最後に刺せば対象は死に、貴船を刺せば対象は重傷を負う。つまり、私はこれから君の左手、両足、胸、頭を狙うという事だ」


「……ベラベラと語っちゃってますけど、自分の異能をそんな簡単に明かしていいんですか?」


「先のやり取りで問題ないと判断したから語っている。君、さっきの私の動きが見えていなかっただろう」


 図星だった。高橋が何をやったのかはなんとなく頭では理解出来たが、目で見る事は出来なかった。それ即ち対処の方法がないという事である。


「本当、嫌になるぜ……これだから化け物連中は……」


「君が何と戦っているのかは知らないが、私程度に手こずるようではこの先生き残れないぞ。次は左手を頂く!」


 再び高橋の立っていた地面が爆発した。そこまでは目で追えた。だが、所詮はそこまでだ。次に高橋の存在を確認出来たのは恭弥の左手に黒牛を刺し終えた瞬間だった。それとて一瞬の事で、次の瞬間には高橋は恭弥の遥か後ろに立っていた。


「なんつー速さだ……!」


 左手の呪印が嘯く。「四」と。


「次は右足をもらうぞ。このままではマズイのではないか」


 完全に遊ばれている。接近されたかと思えば刀を振るう間もなく高橋は去っていく。


 右足の呪印が嘯く。「三」と。


 このままではどうしようもない。可能ならば使いたくはなかったが、そんな事を言っている場合ではない。ここでやられてしまえば全てが無に帰す。


「目覚めろ、鬼の力……!」


 恭弥の皮膚が漆黒に染まり始めた。それと同時に全身に蒼のオーラが纏わり付く。右手には伝説の名刀、童子切安綱の霊刀が生み出された。


「ほう……それが君の隠していた異能か。まるで妖だ。協会に隠したくなるのもわかる。力を見せてもらおう!」


 高橋が爆発的な加速を見せる。先程までとは違い、鬼の力を開放したおかげで彼がどういう軌道でこちらに向かってくるのかが見えた。


 黒牛を恭弥の左足目掛けて突き出してくるのに、恭弥は童子切安綱を挟み込んで阻止する。互いに傷つく事を知らない得物同士が擦れ合い、派手に火花が散る。


「いい反応速度だ。だが、私にはもう一本あるんだよ」


 ――やられた。


 黒牛を抑えた事で心のどこかに安心が広がっていたのだ。完全に高橋の得物が二本だという事を失念していた。


 高橋は左手の貴船を恭弥の左太ももに突き刺した。黒牛の時は違い、壮絶な痛みが弾けた。


 左足の呪印が嘯く。「二」と。


 たまらず童子切安綱を薙いで距離を取る。


「言い忘れていたが、貴船が突き刺さる際には派手な痛みを伴う。これで君は機動力を失った形になる訳だ。残すところ呪印も後二箇所。対する私はまだ無傷だ。さあ、どうする」


(チクショウ! 鬼の力でもダメなのか……これが本当の一級退魔師。何か、何か方法はないのか? 考えろ、考えるんだ……思考停止すればマジで終わる……!)


 恭弥はイメージする。自身の知る中で高橋に勝てそうな人間を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る