第131話

「だーっ! 疲れたー!」

 恭弥はそう言って地面に身体を投げた。すると、音もなく地面に着地した桃花が水筒の水を差し出してくれた。


「今のでおそらく最後でしょう。西の方で神楽が派手にやっているようなので、半分はそちらに流れたようです」


「爆発音すごいもんなあ。小春は無事にやってるだろうか」

「無事生きていればよいですが」


 あながち冗談にならないのが怖い。これだけ派手に爆発音がしているという事は、神楽が快調に燧を振り回しているという事だ。まだ霊力の操作すら覚束ない小春がそれについていけているとは到底思えなかった。


「神のみぞ知る、だな」

「それはそうと、結局わたくしが手を貸す状況にはなりませんでしたね」


「そういやそうだな。徒党組んできた割には随分弱い連中ばかりだった。最初の相手が一番強かったまである。今の二級ってこんなにだらしない連中ばかりなのか?」


「あんなものですよ。そこで恭弥さんが強いという発想に至らない辺り、貴方らしいですね」

「いやいや、嘘だろ……マジで言ってる?」


 恭弥の思う二級と現実の二級が乖離している理由の一端に、恭弥が急激に強くなったからというのがある。


 鬼の力の開放を身につける前と後では、恭弥の実力は大きく変わった。恭弥の記憶の中にある二級は、鬼の力の開放を身につける前の姿なので、今とは感じ方に大きな差があるのだ。


「だから貴方は努力すれば一級になれると言っているのです。ようやく意味がわかりましたか?」


「いやー、だからって一級は無理があるだろう。俺の知ってる一級は全員化け物みたいな連中だもん」


「その化け物の一人であるわたくしや神楽と肩を並べて戦える力が貴方にはあるのですよ」


「俺が、ねえ……」


 そう言われてしまうと確かに反論する余地はなかった。しかし同時に、だが、とも思う。


 一級の資格を持っている人間を思い出すと、薫を筆頭に大抵が強力な異能を保持している。桃花にしても雷というパッと見でわかるほどに強大な異能を保持しているし、英一郎にしても一見地味だが、あれは本人の修練によってただ硬くなるという異能が技に昇華している。


 それらの異能と比べると、やはり霊力の物質化という異能はどうしても見劣りしてしまうように思う。かといって陰陽術の技能で一級を取れるかと言われると、戦闘の補佐程度にしか修めていないため、そちらで張り合う事も出来ない。


 結果、恭弥の自己診断ではどうあっても自身は器用貧乏という判子が押されてしまうのだ。そのため一級が取れるとは到底思えなかった。


 せめて同じ霊力の物質化という異能で一級を取った人間がいればそれを参考に努力する事も出来るが、今のままでは努力の方向がわからなかった。だから、


「まあ、協会が認めたらそれはそれだ」

 そう言って誤魔化す事にした。


 桃花はその言葉が誤魔化しである事などお見通しだった。彼女はガッカリしたという気持ちを隠す事なく、大きなため息をついてこう言った。


「まったく、貴方という人は……。まあ、よいでしょう。霊札は今何枚持っていますか?」


「えーと、87枚かな? 綺麗に2で割れないから、後一戦くらいはするか」


 そう言って恭弥は半分ほどを桃花に差し出したが、彼女は一枚だけ抜き取って残りを恭弥に返した。


「わたくしは今回一枚所持していればそれで構いません」


「いいのか? 椎名家の令嬢が一枚だけなんて、後で文句言われるんじゃないか?」


「構いません。あくまで目的は恭弥さんの格上げです」


「徹底してるな。ま、いいっていうなら有り難く持っとくけ、ど――!?」


 唐突に辺りの空気が重くなったのがわかった。吐き気すら覚える禍々しいこの空気感を作り出す人物の事は忘れたくとも忘れられない。


「冗談も大概にしてくれ……」


 呟くと同時に、いつの間にか目の前に出現していた青い蝶の群体から冥道院が姿を現した。彼はいつものように厭らしい笑みを浮かべるとこう言った。


「やあ、楽しそうな事をしてるじゃないか。僕も混ぜておくれよ」

「どうやら敵のようですね。……それにしてもなんと禍々しい」


 刀の柄に手を伸ばしながら桃花が言った。身を低くして、いつでも斬りかかれる態勢だった。彼女が冥道院と会うのはこれが初めてだったが、一瞬で敵である事がわかったのだろう。


「こいつが冥道院だ。気をつけろ、桃花。こいつは並の妖じゃない。化け物だと思え」


 その言葉を聞いた冥道院は実に愉快そうに笑って見せた。


「ははは、僕が妖だって? 酷いなあ、僕はれっきとした人間だよ?」

「お前のような人間がいてたまるか! 何しに現れやがった!」


「タイムリミットだよ。君がのんびりしている間に、僕は全ての封印を解除した。後は依り代となる人間を見つけるだけの段になったんだ」

「なんだと? じゃあ、まさか桃花を?」


「そういう事さ。君が悪いんだよ? あの時、空亡をあげると言ったのに受け取らないから」


 恭弥は今になって激しく後悔を覚えた。なんの気まぐれかは知らないが、冥道院がハンデとして空亡を渡すと言った時に拒否した事を今になって痛烈に後悔しているのだ。


 白面金毛九尾の狐の復活に必要なピースの一つである空亡をあの場で受け取っていれば、少なくとも現段階で全ての封印を解除されていたとしても、すぐに依り代が必要となるような状況にはなっていなかったはずだ。あの時の選択ミスが今、桃花に危険を及ぼしている。


(……だが、あの時あの場で空亡を手に入れていたとしても、俺には到底扱いきれる代物じゃなかった。空亡に飲み込まれて終わっていたはずだ。悔やんでも仕方ない。どうすればこの場を脱する事が出来るのか考えるんだ……!)


「なるほど。見えてきました。貴方がわたくしを殺す者、という事ですか」

 桃花の言葉に冥道院は鷹揚に頷いて見せた。そして、こう言葉を続けた。


「間接的に、だけどね」

 ニヤニヤと厭らしい笑みを絶やさない冥道院を、キッと睨みつける桃花。


「おっと、そんなに睨むなよ。僕は数多ある選択肢の中でそうする必要があるから依り代に君を選んだに過ぎないんだから」


「相変わらず訳のわかんねえ事をべらべら喋りやがって。探す手間が省けたよ。ちょうどいいからここで殺してやる。そうすりゃ全て解決だ」


「弱い犬ほどよく吠えるとは、よく言ったものだね。今の君にピッタリだよ。遠見の式がついているようだけど、君の奥の手とやらはバレちゃマズイんじゃないのかい?」


「鬼の力なんざ使わないでもお前を殺してやるさ」


 とは言ったものの、実際のところ二対一でも相手になるかどうかすら怪しかった。仮に遠見の式を破壊して鬼の力を開放したところで、以前冥道院相手には手も足も出なかった。ならば、遠見の式を残しておいて、運営委員が異変に気付いて神楽や一級退魔師を応援に寄越すのを待った方がいくらか勝率があるように思う。


「恭弥さん、苛つくのはわかりますが落ち着いてください。相手の思う壺です」

 桃花が小声で語りかけてきた。恭弥も同様に、冥道院に聞こえないように話す。


「わかってる。場所がわかるように上に雷撃ってくれ。それを合図に俺が前に出る」


 冥道院が桃花相手に何をするかわからない以上、恭弥が前に出て戦った方がいいだろうという判断からだった。後は、雷で場所を知らせて援軍が来るまでの間耐えればいい。


 桃花が頷いたのを確認した恭弥は足に力を込めた。


「二人で相談事かい? 僕は構わないよ。いくらでもするといい。この島で僕に敵いそうなのは、君の妹くらいだしね」


 どこまでも余裕綽々の冥道院を無視して、桃花は頭上に太い雷を撃ち上げた。それが開戦の狼煙だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る