第132話 ※残酷描写あり。

 踏み足の勢いそのまま冥道院の胴体目掛けて両手の刀の切っ先を差し込もうとした恭弥は次の瞬間驚きに包まれた。


「無駄だよ。君じゃ僕には届かない」


 鋭く尖った切っ先は、冥道院の柔らかな身体に飲み込まれる事なく、触れた瞬間にパリンという音を立てて崩壊してしまったのだ。


「チィッ!」


 刀が効かないと理解した恭弥は、そのまま右足を思い切り大地に突き立てて勢いをつけると、右アッパーを繰り出した。しかし、冥道院はそれを後ろに跳ねる事でスルリと避けてしまった。


 だが、一の矢、二の矢が折れてしまっても三の矢が残っていた。冥道院の着地地点には、恭弥が突っ込むと同時に放っていた桃花の蛇追雷華が待機していたのだ。


 雷斬から放たれた蛇状にうねった雷は、獲物が訪れるのを今か今かと大口を開けて待っていたのだ。


 回避不能の一撃は、予想通り冥道院の身体に喰らいついた。青白い閃光が迸り、雷が足元から頭の先まで昇っていく。


 完全に直撃だった。並の妖ならば今の一撃で絶命しているだろう。だが、そこは冥道院だった。コホっと口から煙を吐いただけで、さしたるダメージはないように見えた。


「いやあ痺れた痺れた。流石は椎名のお嬢さんだね。なかなかの一撃だったよ」


「恭弥さんをして化け物だと呼ばれるだけの事はありますね。言葉ほどにダメージを負っていないでしょう」


「まあこれくらいならね。君だって全然本気じゃないだろう?」


 桃花は冥道院の問いかけには答えなかった。言葉を交わす気がないようだった。代わりに態勢を整えるために一時退避してきた恭弥にこう言った。


「相性が悪いようですね。わたくしが前に出ましょうか」

「それはダメだ。あいつは桃花を狙ってる。何をしてくるかわからん」


「そうは言っても、恭弥さんの異能が無力化されているでしょう」

「こんな事もあろうかとってやつだ」


 恭弥はこういう時のために千鶴から譲り受けていた呪具を懐から取り出した。刀の柄状の呪具であるこれに銘はない。言うなれば「名無し」だろうか。


 霊力を込めると、柄の先端から霊力で構成された鋭利な刀身が現れた。呪具らしく、呪いの力がまとわりついている。これならば先程のような情けない事にはならないだろう。


「面白い物を持っているね。まるでSF映画のおもちゃみたいだ」


 冥道院は興味深そうに恭弥の手にする名無しを見て言った。元が研究者なので、こういった物には興味があるのだろう。


「膾切りにしてやるよ」


 桃花を見やる必要すらなかった。阿吽の呼吸で桃花が牽制用の雷撃を放つ。それと同時に駆け出した恭弥は、雷撃を避ける冥道院に肉薄すると、逆手に持った名無しを切り上げた。


 驚異的な切れ味だった。冥道院の左腕が肘を残してスッパリと切れてしまった。

鮮血が吹き上がる。返り血が頬を汚すが、それを物ともせず恭弥は順手に戻した名無しを袈裟斬りに振り下ろす。左肩から腹部の中程までしっかりと刀が吸い込まれた感触があった。


った)


 しかし、そう思ったのもつかの間、冥道院の身体は青い蝶と化してしまった。直前で転移の術を使用されたのだ。その証拠に、少し離れた場所に何食わぬ顔で冥道院が立っているのが見えた。


「やあ驚いた。すごい切れ味じゃないか、それ。僕の腕がこんなになっちゃったよ」


「……回復能力まで持ってるのかよ。それでよく人間だなんて言えるぜ」


 切り落としたはずの左腕は、切断面からミミズや回虫のような線状の蟲が無数に飛び出てきたかと思うと、やがて人の手の形になり元通りになってしまった。


「君の知り合いにだっているはずだろう? 殺しても死なない人間くらい」


 そこで予定にない出来事が起こった。痺れを切らしたらしい桃花がいつの間に冥道院の背後を取っていたのだ。彼女は雷斬を冥道院に突き刺しこう言った。


「お話しをする余裕があるようで結構。ですが、これならばどうでしょうか」

「何をするつもりか知らないけど、君の方から近づいてきてくれて助かるよ」


 腹に刀が突き刺さっているというのに、冥道院は何事もないかのようにそう言った。対する桃花も彼が何かをする前に技を繰り出すつもりらしかった。


「貴方に死に化粧を施しましょう。それはとてもとても綺麗で残酷な美しさ」


 詠唱が始まると、周囲に桜の花びらが舞い始めた。舞い散る桜の中で、桃花は詠唱の最後をさえずる。


「燃え尽きなさい。てんていらいそう


 冥道院の体内に飲み込まれた雷斬の刀身から、槍状の雷が幾本も生み出される。身体を貫き通した雷の槍は、そこから更に網状に雷の軌跡を広げていく。


 体内に直接雷が幾本も落ちたようなものだ。一本でも生物の生命活動を止めるに足る一撃が無数に冥道院を襲う。それも、何度も何度も執拗に。


 肌の色は次第に灰色になり、やがて黒く焦げてしまった。炭となり脆くなった四肢は体重を支えきる事が出来ず、ボロボロと崩れていった。そんな中にあっても、冥道院の右目に埋め込まれた殺生石の欠片だけは燦々と輝いていた。それこそが異変だった。


「――反転術式。蠱毒の二」


 冥道院の言葉に誘われて一匹の白い蛾が鱗粉を撒き散らしながら現れた。それと同時に、先程まで彼の身を焦がしていた雷が収まった。


「マズイ! 逃げろ桃花!」

 異変に気付いた恭弥は慌てて桃花に逃げるよう声をかけたが遅かった。彼女の身体はすでにミミズ状の蟲によって拘束されていたのだ。


「くッ! 離しなさい!」

「離さないよ。ご覧、この蟲は君の雷を吸って大きくなっているんだ」


 冥道院の視線の先には先程の白い蛾がいた。否、現れた当初とは比べ物にならないほどに肥大化した姿があった。


 慌てて駆け出そうとする恭弥を冥道院は手で制した。


「人の話しは最後まで聞いた方がいい。僕が合図をすれば、彼女の雷をたっぷり吸ったこの蟲は自爆する。そうすれば……どうなるかくらいはわかるだろう?」


「チクショウ……姑息な手を使いやがって……!」


 そんな事を言われてしまえば動くに動けなくなってしまう。恭弥は強く歯噛みした。


「恭弥さん、わたくしに構わず攻撃なさい!」


「あはは! 彼にそんな事が出来る訳ないだろう。さて、ここからは交渉の時間だよ」

「交渉だと?」


「そう、交渉さ。実のところ僕としては依り代なんて執着心の強い人間なら誰でもいいんだ。だから彼女である必要はない。とはいえ、僕も駒である以上、実際に適当な人間を捕まえてしまえば失敗する事は目に見えている。そこでだ。君の知り合いから誰か見繕っておくれよ」


「どういう意味だ」


「どうもこうも、そのままの意味さ。椎名桃花を生かしたいなら、椎名神楽を差し出せばいい。それも嫌だというなら天上院文月でもいいし、安倍千鶴でもいい。等価交換だよ。椎名桃花と同じくらい想っている相手なら誰でもいい。そうすれば、オーディエンスも納得するだろうしね。ああ、鬼灯薫はダメだよ。君はそれほど好いていないようだしね」


「恭弥さん! 話しを聞いてはなりません!」

「うるさいよ。僕は彼と話しているんだ。君は静かにしていておくれ」

 そう言って冥道院は毒蟲を桃花に這わせた。


「桃花!」

「さあ、あまり時間はないよ。援軍を望んで時間稼ぎをするようなら彼女はここで殺す」


(クソ! どうすればいい。こんなクソみたいな交渉に乗ってやる理由はない。だけど、下手な事すりゃ桃花がお陀仏になっちまう。援軍はまだなのか……)


 すでに冥道院が現れてから結構な時間が経っている。にもかかわらず援軍が訪れる気配がないのには理由があった。それは、冥道院が幾重にも頑丈な人払いの結界を張っていたからだった。そのせいで、狭い島内にもかかわらず、この場を見失っているのだ。


 人払いの結界の中に入る事が出来る人間は限られている。即ち術者に選ばれた人間か、「失せ物探しの能力」を持つ人間だけである。


 そんな能力を持った人間が都合よく島内にいるはずは――。


「なんだあ? 雷の気配を追って来てみれば取り込み中らしいじゃねえか」


 天はまだ二人を見放していなかった。偶然にも失せ物探しの能力を持つ人間がいたのだ。その人物こそ飛行機の中から妙な縁で繋がれた高柳伸一だった。


 正直戦力にはならないが、場の状況を変える一手にはなった。事実、冥道院は酷く不快そうな表情を浮かべている。


「困るなあ。君のような存在はお呼びじゃないんだよ」

「なんだか知らないが、こいつは妖って事でいいんだよな?」

「そうだ! 今すぐここから逃げて助けを呼びに行ってくれ!」


「バカ言え、妖ならぶっ殺すのが俺の信条だ。って事でいっぺん死んでくれや、妖!」

「あ、バカ!」


 恭弥の制止も間に合わず、伸一は二本の槍を構えて冥道院に駆け出してしまった。


「――残念だ。とても残念だよ」

 冥道院は酷薄にそう呟いた。


 それからは全てがスローモーションに映った。槍を突き刺さんと冥道院に肉薄する伸一。なんとしても桃花を助けようと駆け出す恭弥。自爆の合図を出すために手を上げる冥道院。


「せっかく名シーンを作ろうとしたのに。君達が悪いんだからね」

 冥道院が指を鳴らした。


「全ての夢を抱いて、爆ぜろ、胡蝶の夢」


 壮絶な爆発だった。最も近くにいた冥道院は元より、少し離れた位置にいた恭弥にすら豪炎が届いた。


 身を焼く炎と共に吹き飛び、無数の木々をなぎ倒しながら恭弥は意識を失った。


 後には何も残らなかった。周囲全てを消し飛ばした爆発によって、突っ込んで行った伸一は四肢が爆発でどこかに飛んでいって即死だったし、冥道院も胴体から真っ二つになっている。


 唯一寸前に恭弥が結界を張った桃花だけが意識を失うだけで済んだようだが、パッと見でわかるほどに酷い打ち身が何箇所もあった。


 少し離れた場所では伸一の舎弟達が同様に死体を晒していた。まさに死屍累々。無事な者が一人もいない中で、ベチャリと汚泥を床に叩きつけるような音が聞こえた。

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