第115話 ※残酷描写あり。

 宗介は恭弥の亡骸をまるでゴミのように放り投げた。ドサリ、と水の入った肉袋が瓦礫の山と同化する。いずれ腐って腐敗臭を漂わせるだろうそれは、生ゴミに他ならなかった。


「愚かな。鬼の力を利用した程度でこの僕に勝てるとでも思ったか」

 宗介はいよいよ目的を達成せんと文月達に近寄っていく。

「これで君達の希望は潰えた。所詮人間などこんなものです」


「嘘! 嘘です! 恭弥様が……ああ……!」


 宗介は泣き叫ぶ文月の頬を嫌らしく撫でた。文月の美しく白い肌にピンク色の脳漿がベッタリと塗りたくられた。ねっとりとしたそれが、恭弥の死を明確に主張しているようで、文月はいやいやをして否定した。


「さあ、君の頭蓋骨をいただくとしましょうか……む? ピアスにまだ力が――」


 その時、宗介は生涯の中で最大級の危険を察知した。ゾクリ、などという表現では到底足りない。まるで命そのものを触られたかのような感覚を覚えた。


 避けられたのは奇跡としか言いようがなかった。咄嗟に横に跳ねた事で、被害を免れたか、先程まで宗介が立っていた場所に大穴が空いていた。それを成した人物は――。


「バカな……! 確かに頭を潰したはず……なぜ生きている?」


 恭弥だった。潰されたはずの頭が元通りになっていた。だが、様子がおかしい。シューシューと固く噛みしめた歯の隙間から口呼吸し、手足を地面について四つん這いになっている。これではまるで、人間というよりも獣のようだった。


「恭弥、様……?」


 やはり常の状態ではないようだ。文月の呼びかけにも答える事をせず、恭弥は一心不乱に宗介だけを睨みつけていた。


「――――――!!!!!!」


 けたたましい咆哮だった。およそ人の口から発せられたとは思えない音の奔流は、妖であるはずの宗介すら怯ませた。


 恭弥は荒々しい動きで飛び跳ねると、空中で縦に回転して勢いよく踵落としを繰り出した。


 頭目掛けて振り下ろされた凶刃と呼ぶ他ない一撃を、宗介は首を捻る事でなんとか避ける。だが、頭に当たらなかった一撃は代わりに左肩へとめり込んだ。骨の砕ける音共に振り下ろしきった恭弥の右足は尚勢い余って地面に穴を開けた。


「ぐぅうう!」


 恭弥は止まらなかった。明らかに無理な姿勢から上体を捻ると、今度は宗介の太ももにかぶりついたのだ。鋭く尖った犬歯が突き刺さりミチミチと肉を引き裂いていく。


「こ、この……化け物が!」

 たまらず宗介は恭弥の頭を殴りつけてなんとか距離を取った。


 恭弥は引き千切った肉をモニュモニュと美味そうに咀嚼していた。殴られた事などまるで意に介していないようだった。


「……人間が頭を潰されて動けるはずがない。それに僕の肉を貪って力が増している。狭間君、あなた鬼と契約しているでしょう。それも昨日今日の話じゃない。相当以前から契約しているはずだ。もはや君の身体は半分以上が鬼になっている!」


「……?」

 ゴクリと肉を飲み込んだ恭弥は宗介の言葉をまるで理解していないようだった。


「意識を乗っ取られているのか。誰よりも人間を捨てている人間が、人間の可能性を見せるなど……ふっ、ピエロもいいところだ」


(とは言ったものの……僕相手にこれ程の力の差があるとは。どれだけ高位の鬼と契約したというのか。あれでは身体が持たないはずだ。自滅するのを待つしかないか……)


 宗介という獲物の味を覚えたのだろう。恭弥はついによだれまで垂らし始めた。フウフウと荒い息を吐きながら身体をバネのように縮ませる。


 ビュン、と跳ねた。突き出した右手にはいつの間にか鋭い爪が生えていた。これではどちらが妖かわからなかった。


「直線的な動きだ。冷静になれば避ける事くらいは出来る」


 恭弥は身体ごと壁に激突していった。分厚いコンクリート壁を突き破って隣の部屋にゴロゴロと転がってようやく止まった。


 それを見た宗介も隣の部屋へと移動する。このままでは人化の術に使用する二人まで二次被害で殺されかねない。そうなってしまえば全てが無駄になってしまう。


 今ので少しはダメージを負っただろう、そう思った宗介は次の瞬間信じられないものを見る事になった。擦り傷切り傷程度がすぐに回復するのはまだわかる。だが、明らかに曲がってはいけない方向に曲がり、白いものが飛び出た腕が時間でも巻き戻すかのように治ったのだ。これではまるで吸血鬼の再生ではないか。


「どういう事だ? 彼が契約したのは鬼ではなく吸血鬼だとでもいうのか? いや、しかし――」


 鬼の特徴として挙げられるのは鋼のように硬い皮膚と尋常ならざるその膂力だ。一方の吸血鬼は再生と言う他ないその回復力が特徴だ。吸血鬼も鬼の一種であるため、始祖に近ければ近いほど両者の特徴を持った妖となる。


「それほど高位の鬼だとでも言うつもりか。ありえない。たかが人間相手に……!」


 しかし考えれば考えるほどそうだとしか思えなかった。鬼の膂力に吸血鬼の回復力。両者を備えた鬼などよほど始祖に近い鬼でなければ考えられないのだ。しかも、恭弥はまだ本来の力を出しているとは到底思えない。先程宗介の肉を喰った事でより妖に近づいたが、人間の身体を保っている以上半分も鬼の力を発揮出来ていないはずだ。


 古来より鬼は比較的人間に近い妖ではあったが、宗介を圧倒するような鬼が人間と契約を結ぶなど、一体どんな理由があったのだろうか。宗介は不思議でならなかった。


(……なんとかして意識を戻す方法はないでしょうか。彼と契約した鬼が気になる……)


 そんな事を考えていたのが悪かった。命のやり取りをしているというのに、考え事などしている場合ではなかったのだ。


 土煙を物ともせず突っ込んできた恭弥は、思い切り宗介の腹部に衝突し、そのままマウントを取った。


「っつ、しまった……!」

 そう思った時にはもう遅かった。握りしめられた拳が息をする間もなく宗介の顔面に振り下ろされていく。


 まず最初にシュッと伸びた狐の鼻が折れた。ブシュっと血が吹き出る。次は眼窩の骨折だった。目が折れたと言いたくなるような激痛が走ったかと思うと、今度は開かれた口から奥歯が弾け飛んだ。


 完全にやりたい放題だった。獣と化した恭弥は獲物をいたぶるのに飽きると、宗介の伸びた鼻を掴んで首筋を露わにさせた。そうして齧り付きやすくなった首筋に歯を立てる。


 鮮血が飛び散る。人間であれば確実に致死量の出血だった。辛うじて意識を保っていられるのは、ひとえに彼が妖だったからだ。


(なんと情けない……この僕が人間如きにやられるなんて……しかし、ここまでか……)


 宗介の掠れた目には、大口を開けて喰らいつこうとしている恭弥の姿が映っていた。


 最早これまで、そう思った宗介だったが、恭弥の動きを止める者がいた。

「ダメです! 恭弥様!」

 文月だった。どんな手を使ったのかは知らないが、手足のロープを断ち切った彼女は恭弥に向かって呼びかけていた。


「――――!!!!」

 せっかくの食事を邪魔された恭弥は苛立たしげに吼えた。


「む、無駄だ……もう彼には人間の意識は残されていない……喰われるだけです……」


「いいえ、恭弥様は妖なんか負けません」


 一歩、恭弥へと近づいていく。


「お、愚かな……無駄死にだ……」


「恭弥様、私です。文月です」


 また一歩恭弥へと近づいていく。


「――――!」

 恭弥が吼える。だが、文月は怯まなかった。


「そんなものを食べてしまったらお腹を壊してしまいますよ?」


 一歩ずつ、着実に恭弥へと近づいていく。


「お家に帰りましょう? お腹が空いたのなら、腕によりをかけてご飯を作りますから」


 ここにきて、恭弥が自らの頭を掻きむしり始めた。誰が見ても混乱している様子だった。


「な、なんだ? 人間の意識が戻り始めているのか?」


 遂には立ち上がった恭弥は、自らを混乱させる文月から逃れるように部屋の端まで跳んだ。そしてウーウーウーと犬のように威嚇し始めた。


「大丈夫。大丈夫ですよ。怖がらないで。何も痛い事はしませんから」


 尚も声をかけ続ける文月に我慢の限界がきたのか、恭弥は彼女の元まで駆け寄ると、押し倒した。


「きゃっ!」


 だが、先程宗介にしたように噛み付くような真似はしなかった。あくまでも至近距離で威嚇するだけだった。唸ってみたり、牙を見せてみたり、自分は強いんだぞと誇示しているようだった。


「わかっています。恭弥様は強い方です。ですから、そんな動物みたいな真似はやめてください。いつもの優しい恭弥様に戻ってください。誰もあなたを傷つけませんから」


「――――!!」


「そんなに吼えずとも、あなたの方が強いです。ほら、私はあなたの下にいるんですよ? 抵抗だって出来ません」


 言葉とは裏腹に、完全に立場が逆転していた。文月はまるで、恭弥という動物を躾けるように言葉を重ねていく。


「ダメですよ、そんな風に自分の腕を噛んじゃ。イライラするのはわかりますが、ちゃんと我慢しましょうね?」


 どうやってもこちらを恐怖しない存在に、恭弥のイライラは頂点に達していた。だが、どういう訳か彼女を傷つける気にはなれなかった。だから、自らの腕を噛む。


「いい子だから……大人しくなりましょうね」


 文月は恭弥の背中に腕を回した。優しく抱きしめ、自らの体温を伝える。


「ぽんぽんぽん……ぽんぽんぽん」

 口でそう言いながら、ゆっくりとしたリズムで優しく背を叩く。その姿は愚図っている子供を落ち着かせる母親そのものだった。


 段々と、荒ぶっていた恭弥が大人しくなっていく。


「ありえない……」

 起き上がり、こちらの様子を伺っていた宗介が呟いた。


 戦っていたからこそわかる。恭弥は完全に妖に意識を乗っ取られていた。捕食する事だけを考える、純度の高い妖のそれだった。だというのに、ただ言葉を重ねて抱きしめただけでああまで大人しくなるとは。


(これが人間の感情なのか……?)


 やがて恭弥の身体の強張りが取れた。すると、

「えーと、これどういう状況?」

 そう言って恭弥は気恥ずかしそうにポリポリと頬を掻いた。


「恭弥様! 意識が戻ったんですか?」


「ごめん、まだ混乱してる。何があったんだ?」


 起き上がった恭弥はキョロキョロと周囲を見渡した。すると、少し離れた場所に座り込んでいる宗介の姿を見つけた。


「あ、お前! ……あれ? なんでそんなボロボロなんだ? 随分イケメンじゃないか」


「……君のせいですよ。喧嘩を売ってるんですか?」


「俺のせい……? 確か俺お前にやられたような――」


「やはり覚えていませんか……確かに殺しましたよ。ですが、それが原因で鬼の力が覚醒したのでしょう。狭間君、君は一体いつから鬼と契約しているのですか?」


「……なんの事だ?」


「とぼけないでください。君が鬼と契約しているのはわかっているのです。それも相当高位の鬼とね」


「……春くらいからだ」


「春? そんなはずはない。あれだけ鬼と同化していたというのに2、3ヶ月なはずがないでしょう。何年、下手をすれば生まれた時から契約していたはずだ」


「いや、そんな事言われても事実だし」


「……あくまで隠すつもりですか。まあいいでしょう。今日は僕の負けという事にしておきます。彼女がいなければ確実に死んでいた」


「まだ文月達を狙うつもりか?」


「さて、ね。ただ、僕はまだ勉強の不足のようです。少し人間に興味が湧きましたよ。ではまた明日学園で」

 そう言って宗介は窓から飛び降りていった。


「……あいつ、また明日って言ってたよな?」


「ええ、言っていました」


「一難去ってまた一難、かあ? まあ考えてもしょうがないか。健介助けて帰るか」


「はい、そうしましょう。恭弥様が無事で本当によかった……」


「なんか、心配かけたみたいだな」


「いいんです。こうして無事に戻ってきてくれましたから」

 文月はそう言って恭弥に寄り添った。

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