第116話

 時は少しだけ戻る。宗介に頭を潰された時、恭弥の意識は別のところにあった。その場所とは無人の電車の中だった。窓の向こうに見える景色からでは、今どこを走っているのかはわからなかった。案内板を見ても、路線図は書いていない。だが不思議な事に、恭弥はこの場所を知っている気がしてならなかった。


 暫くぼうっとしていると、薄っすらと天城の姿が見えてきた。最初は背景が透けて見えるほどに透明だったのに、今ははっきりと見えた。


 天城は窓の外を眺めるのに夢中なようで、どうしてか声をかける気になれなかった。


 更に待っていると、安物の霊装を身に纏った『狭間恭弥』が浮き出てきた。その瞬間、恭弥は自分がこの場に存在する事を許されていないのだと直感的に理解した。そうとわかればすっかり観戦モードだった。二人が何を話すのかゆっくりと眺める事にした。


「やられたね。まさか宗介に殺されるなんて。身体の方は無事なのかい?」

 狭間恭弥が天城に問いかける。


「ふん、我を誰だと思っとる。我と契約したんじゃ、あれしきの事で死んでたまるか」


「そうか、それはよかった。こんな事で力を使いたくはなかったからね」


「とはいえ、幸運じゃったな。契約してすぐの状態であれば確実に死んでおったぞ」


「やっぱり危ないところだったんじゃないか。困るよ、こんなところで身体の方が使い物にならなくなったら全てが台無しだ」


「大丈夫だと言っとるじゃろ。そろそろお前と契約して30年になる。身体の方はもう十分に鬼の血が混じっておる」


 天城の言葉を聞いた狭間恭弥は小さなため息をこぼした。


「もう、30年になるのか。あっという間だったね。それ以上の間、僕は戦ってきたという事だ。なのに、全ての出来事がつい昨日のように思い出せる」


 天城は興味なさそうに「そうかい」と言った。次いで、「それよりも」と言った。


「小僧の意識がなくなっとる。鬼の本能だけで動いておるぞ。このままじゃあん妖を喰ろうて終わりじゃ。どうするつもりじゃ」


「さてどうしたものか……無理に意識を戻すというのも面白くない。ここは一つ、文月に賭けて、その間に本人の話しを聞いてみようじゃないか」


「ま、お前がそう言うなら我は構わんが」


 狭間恭弥と天城がこちらを向いた。その瞬間、恭弥は存在する事を許されたようだった。限りなく希薄だった存在感が相応に増した。


「ここはどこなんだ? 俺は死んだのか?」

 発言を許された恭弥は早速疑問を口にした。その疑問に答えたのは天城だった。


「ここは上位存在のための場所じゃ。現実から時間も空間も隔離されておる」


「上位存在? じゃあやっぱり、死んだって事なのか?」


「現実のお前は確かに一度死んだよ。じゃが、身体は再生しておる。意識はないがの」


「どういう事だよ?」


 問いかけるも、質問タイムは終わりのようだった。腕を組んで天城との会話を見守っていた狭間恭弥が口を挟んできた。


「君は僕という存在を疑問に思わないのかい?」


「えーと……あんたは、俺、だよな……?」


「僕は君であって、君ではない存在だ。確かに狭間恭弥だが、君という狭間恭弥とは別の存在だよ。それを踏まえて聞こう。君は誰だい?」


「俺だって狭間恭弥だ。……そうだよな、天城?」


 どうしてか不安になって天城に確認を取ってしまった。天城なら肯定してくれるはずだと思った。だが、希望に反して天城は何も答えてくれなかった。


「少しだけ種明かしをしてあげよう。君は天城と契約をしたと思っているが、実際には天城の契約相手は僕だ。君は僕という身体に乗り移っているから天城と契約しているように見えるだけで、契約は交わしていないんだよ」


「そう、なのか? 天城」


「否定はせんよ。じゃが、意地悪な言い方ではあるな」


「意地悪な言い方……?」


 今一つ理解出来なかったが、この話しはこれで終わりのようだった。狭間恭弥は次の話題へと移ってしまった。


「君はアンドロイドに自我が芽生えたとして、それを認めるかい? それとも、システムが起こしたエラーだと認めない?」


「次から次へと話題が変わり過ぎて頭が追いつかない。一体なんの話しをしているんだ?」


「いいから。直感で答えるんだ」


 そう言われてしまえば大人しく答えるしかなかった。どうやらこの場において質問をするのは相手で、恭弥はそれに答える役割のようだった。


「……俺は認める。せっかく自我が芽生えたのにエラーだなんて言うのは可哀相だ」


「僕も同意見だ。つまり何が言いたかったかというと、僕は君という存在をそれなりに認めているつもりだ。だけどね、このままじゃ回避出来ないんだよ」


 恭弥は会話に前後の繋がりがないように感じられた。しかし、それ以上に気掛かりな発言があったので尋ねる事にした。


「回避出来ないって、何が?」


「椎名桃花の死だよ」


「桃花の死?」


「そう。彼女は死の運命に囚われている。そうだな……例えば、彼女が車で通学を行っていたとしよう。その日その車は決められた場所で必ず事故を起こす。そして彼女は死んでしまうんだ。もし事前にそれがわかっていたとしたら、君ならどうする?」


「車に乗らないようにさせる」


「そうだね。普通ならそう考えるだろうね。僕もそうしてきた。だけどね、彼女の場合仮に車に乗らなかったとしても、死んでしまうんだよ。徒歩で行こうとすれば車が突っ込んでくる。電車に乗れば地盤沈下で生き埋め。学園に行かないという選択肢を取れば心臓発作で死ぬ」


「そんなバカな話が――」


「あるんだよ。信じられないだろうけど、彼女はそういう運命にある。物事には過程があって結果がある。だけど、彼女の場合は死という結果が先にあるんだ。過程をどれだけ変えたところで、行き着く先は死だ。死ぬ原因をどれだけ回避しても、精々出来るのは死という結果を少しだけ遅らせるだけだ」


 そこで、黙って話しを聞いていた天城が口を挟んだ。


「寿命という事じゃ。生きとし生けるもの、全て生まれた瞬間から死へと向かって歩んでおる。小娘の場合はそれが人よりも早いというだけの話じゃ」


「だからって……そんなバカな事があるかよ。いくらなんでも酷すぎる」


「そうだ。だから僕は認めない。いいかい、君は彼女を救うための存在なんだ。そのために在る。この周回でなんとしても彼女の運命を打ち破る手掛かりを入手する必要があるんだ。そうしなければ全てが無駄になってしまう」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ! いきなりすぎて頭が追いつかない。手掛かりってなんの事だ?」


「この世界には明確な神が存在する。世界はその神を喜ばせるために動いているんだ」


 そこまで聞いて、恭弥はまさか、と思った。


「頼むから否定してほしいんだが、まさかその神が桃花の死を望んでいるとでも?」


「僕達はそう考えている。だから、君には、神を喜ばせつつ桃花を救う世界の物語を紡いでほしいんだ」


「えーと、要するに桃花が生存するルートに行けって事だよな?」


 自分自身納得しやすい言葉で表現したつもりだったが、二人には不評だったようだ。特に狭間恭弥などそれまで熱の籠もった視線で語っていたというのに、今は白い目でこちらを見ていた。


 いたたまれない空気に頬をポリポリと掻きながら、なんと言い訳したものかと考えると、先に狭間恭弥が口を開いた。


「そういう風に設定したのは僕だけど、こんな時にまでそんな事を言ってほしくはなかったよ……」


 その発言に反応しかけた恭弥だったが、天城が先に「おい」と言った事で声を出し損ねてしまった。


「おっと、今のは失言だった。とにかく、君には頑張ってもらわないと困るんだ。という事で、頼んだよ。ちょうど現実世界の方も決着が着きそうだ」


 再び恭弥の存在感が薄れていく。先程は意識ははっきりとしていたのに、今回は意識がどこかへ飛んでいく感覚があった。おそらく、現実世界へと戻っているのだろう。


 恭弥の気配が完全に消えた事を確認した天城は、窓の外へと目をやった。視界の先では、意識が戻った恭弥が文月と何事か会話していた。


「完全に失言じゃったぞ」


「そうだね。君がいなければ危ないところだった」


「危ないも何もほとんど言ったようなもんじゃろうに……まったく。それはそうと、少し話し過ぎたのではないか?」


「そうかな? ……そうかもしれないね。だけど、もう時間がないのも事実だ」


「お前、焦っとるじゃろ」


「僕が? そんなつもりはないけど」


「後一度しかやり直せないと知って、不必要な事まで言っておる。元より今回は実験だと言っておったのはお前じゃろうに」


「……そうだったね。予想よりも上手くいっているからついつい忘れてしまう。この時期まで彼女が生き残っていたのはいつぶりかな?」


「465回前が最後じゃったかな。ここ最近のお前は迷走しておったからな」


「そうか。そんなに前になるのか。気分が高揚するのもしょうがないね」


「困った男ノ子じゃ。ようそれだけ同じ事を繰り返して気が狂わんの」


「僕は幸いにして諦めるという機能が欠如しているようだからね。絶対に諦めないよ」


「ふんっ……じゃが小僧はどうかな? お前のように耐えられるかな?」


「どうだろうね。共に過ごした記憶を、自分だけが一方的に持っているというのはなかなかどうして辛いものだからね」


「記憶がなければ愛も存在せん、か。つくづく愛というもんは訳がわからん」


 そう言って天城は窓枠に肘を置いて頬杖をついた。視線の先には恭弥が健介を助けているのが映っている。


「じゃが……お前のそれは、本物なんじゃろうな……」

 その小さな呟きは、狭間恭弥の耳に届く事はなかった。

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