第114話 ※残酷描写あり。

「――い……おい!」


 暗転した意識の外から呼びかける声が聞こえた。


 薄っすらと目を開くと、心配そうな顔をした男子学生達がこちらを見下ろしていた。彼らは皆道着を身にまとっている。その姿を見て、徐々に記憶が蘇ってきた。


「……あークソ……痛え…」


 恭弥はゆっくりと身体を起き上がらせると、上から看板やら木くずやらが頭に落ちてきた。それを鬱陶しそうに払い除け、完全に立ち上がると身体のダメージを確認した。


(ちくしょう……完全に右腕が折れてる……アバラもヒビくらい入ってるかな……?)


「大丈夫か? 何があったんだ?」


 部長らしい学生が事の次第を確かめてきたが、惨状が惨状だ、どう説明したものか悩む。身体の怪我はなんとでも誤魔化せるが、壁に開けてしまった穴だけは言い逃れのしようがない。


「あのー……ちょっと友達と悪ふざけしてたんすけど、やり過ぎました。すんません」


「悪ふざけって……やり過ぎにも程があるだろう。何したらこんな事になるんだ?」


「いや、本当にすいません。急ぐんで、後は英一郎さんに聞いてください」


 急がなければ、あの口振りは本当に人化の術を行うつもりだ。文月達の身に何かあってからでは遅い。


 恭弥は部員達を押しのけ、道場を後にしようとした。だが、部長が腕を掴んで制止してきた。


「っ!」

 折れている方の腕を掴まれたせいで激痛が走った。恭弥の顔が歪む。


「怪我してるじゃないか。何があったかは知らんがせめて保健室くらいは行こう。俺が一緒に行くから、な?」


「本当に、大丈夫ですから。急いでいるんです」


「大丈夫には見えないから言ってるんだ。その痛みよう、もしかして折れてるんじゃないか? 辛いようだったら今担架を持ってくるから待ってろ」


「大袈裟です。一人で大丈夫ですから離してください」


「いや、離す訳にはいかないよ」


「離せって言ってるだろ!」


 あまりにもしつこいので大声を出してしまった。心配してくれている相手に悪いとは思ったが、結果として恭弥の剣幕に押されて手を離してくれたので目的は果たされた。


「……怒鳴ってすいません。いずれお詫びに来ます。それじゃ」


 道場を後にした恭弥は、ふらつく身体に鞭打ち街を駆けた。手掛かりは文月に渡したお守りのピアスだけだ。気配を遮断する術でも使われているのか、常であれば線のような物で繋がっている感覚があるのだが、今は酷く頼りなく、はっきりとしなかった。


 このままでは埒が明かない。そう考えた恭弥は、異能で宙に足場を作って空へと駆けていった。高層ビルよりも高い位置に比較的大きな足場を作った恭弥は、そこで禅を組んで意識を集中させる事にした。雑念を廃し、文月との繋がりだけを意識する。


(……どこにいるんだ。文月……!)


   ◯


 その頃文月と健介は廃ビルにいた。荒縄で手足を拘束されているため身動きが出来ない状態にあった。宗介の姿は見えない。おそらく人化の術の準備をしているのだろう。


 不安と恐怖ばかりが募っていく中にあって、二人はそれらを紛らわすためにポツポツと会話を行っていた。


「……俺達、どうなるんだろうな」


「大丈夫です。きっと恭弥様が助けに来てくれます」


「……天上院さん、すごいな。こんな状況なのに、あいつの事信じてるんだな。それに比べて俺なんて……男なのに、未だに身体が震えてるよ」


「恥ずかしい事ではありませんよ。それが普通です」


「なんか俺、すげー恥ずかしいよ。妖の事調べてて、ヤバい奴らだってのはわかってたはずなのに……非日常感みたいなのに憧れてたんだと思う。きっと恭弥は、俺の事バカな奴だなって思ってたんだろうなあ……」


「そんな事はありません。恭弥様はお仕事の関係でなかなか普通のご友人を作られるのは難しいですから。そんな中にあって、健介様の存在は大きいと常々仰ってましたよ?」


「そう、なのかな……俺、あいつの事なんにも知らなかったんだぜ? そんなんであいつの友達って言えるのかな?」


「生きて帰って、恭弥様に聞くと仰る気概を持ってください。恐れていては何も始まりませんよ?」


「……そうだな。今まで隠してきた分、全部聞くくらいの気持ちでいくよ。ありがとう、天上院さん。ちょっと元気出たよ」


 健介の言葉を聞いた文月はふわりと微笑んで「その意気です」と言った。その笑みに、健介はこんな状況だというのにドキリとしてしまった。


「でも恭弥が好きなんだよなあ……」

 思わずボソリと呟かずにはいられない健介だった。


「何か仰いましたか?」


「いーや、何も。恭弥が羨ましいなって」


 少しだけ元気の出た二人に冷水を浴びせるように、カツンカツンと階段を上って来る音が聞こえてきた。


「随分と余裕ですね。諦めでもついたのですか」


 宗介は愉快そうに言った。その手には引っ掛かりのついた爪が鋭く光る三叉の槍が握られていた。


「バ、バカヤロー! 誰が諦めるかよ! お前なんて怖くねえ!」


 恐怖を打ち消すように吠える健介を見た宗介は、ニヤリと笑って近づくとこう言った。


「ほう、威勢がいいですね。この槍は真ん中の爪を人の頚椎に引っ掛けると、上手い具合に頭蓋骨だけを身体から引っこ抜く作りになっているのですよ。まずは天上院さんからと思っていたのですが、そんなに元気がよいのなら君から試してみますか?」


「……っ! う、うるせえ! お前なんて恭弥にやっつけられちまえ!」


「ふふっ……ハッハッハ! 相変わらず君は僕を笑わせてくれますね。残念ですが、その狭間君は僕にやられて気を失っているんですよ? 万が一目が覚めたとしても、この場所を突き止める事など出来ないはずだ」


「恭弥様は来ます! 必ず私達を助けに来てくれます!」


「そうだ! あいつはとぼけた野郎だけど、きっと助けに来てくれる!」


 希望を失わない二人の姿に気分を害したのか、宗介は一転して不愉快そうな表情を浮かべた。


「……わかりませんね。あの程度の人間、どこにでもいるはずです。何をそんなに信じているのですか」


「友情だよ! 俺とあいつは友達だ。友達は、困ってる時助けてくれる存在なんだ。だから俺はあいつを信じる!」


「……バカな。そんな不確かなものを信じるなど正気か?」


「バカはあなたです。人間は信じ、信じられ生きているのです。それは時として大きな奇跡を生むのです」


「不愉快だ……実に不愉快だ。君達と話していると頭がおかしくなりそうですよ。もういい、お喋りは終わりです。君達の頭蓋を頂きます」


 宗介はそう言って三叉槍を鳴らした。その矛先には健介の姿があった。いよいよその時がきたと察した健介は恐怖で顔が引き攣った。


 宗介が三叉槍を振りかぶった。いざ健介の頭目掛けて振り下ろそうという時、文月が「待ちなさい」と制止した。


「……いちいち癇に障る人間ですね。なんですか」


「やるなら私から先にやりなさい」


「これはこれは……退魔師に仕える人間のプライドですか? いいでしょう、最後の願いを聞く優しさくらい僕にもあります。望み通り、君から頭蓋を摘出しましょう」


 言うが早いか宗介は文月に向かって三叉槍を振り下ろした。その切っ先が文月に触れようとした瞬間、不思議な事が起こった。三叉槍が寸でのところで停止したのだ。まるで見えない何かにぶつかったかのようにいくら押しても動かなかった。


「なに……!? 三叉槍が前に進まないだと! ……はっ! そうかそのピアスか!」


 宗介の視線の先には、光り輝くピアスがあった。恭弥がお守りとして渡したピアスが文月の身の危険を察知し、強固な結界を張ったのだ。


「恭弥様から頂いたピアス……?」


「……つくづく不愉快な人間だ! まあいい、こうなれば飯田君の方を先にするだけです」


 再び三叉槍を振りかぶった宗介は、健介に向けて振り下ろそうとする。だが、

「させません!」


 文月が健介に覆いかぶさった事で再びピアスが効果を発揮した。三叉槍がピタリと停止した。それを受けて心底腹立たしそうに舌打ちをした宗介は、


「いいでしょう。見たところ、そのお守りは術者が死ねば効果を失う類のもののようです。君達の希望を完全に潰してから人化の術を行うとします。今の結界発動でこの場所にいると狭間君も気付いたはずです。すぐに来るでしょう……」


 宗介はそれだけ言ってその辺の瓦礫に腰を下ろして目を閉じた。


「た、助かった……のか?」


 何が起こっているのかさっぱり理解できなかった健介はとりあえずそう呟いてみた。


「いえ、急場をしのいだだけです。ですが、今ので恭弥様が気付いてくれたはずです」


「そ、そうなのか……」


 ガックリと肩を落とす健介を慰めつつも、大きな希望が生まれた事を喜ぶ文月だった。


 それからすぐに、宗介が言ったように恭弥は現れた。だが、見るからに満身創痍の様子に、二人は驚きを隠せなかった。


「無事か! 文月! 健介!」


「恭弥様! 大丈夫なのですか!」


 本当は今すぐにでも駆け寄って傷の様子を見たかった。だが、手足を縛らているせいでそれが出来なかった。


「遅いぜ恭弥!」


 傷を負っている事には驚いたが、ヒーローの到着に健介は一安心した。


「遅くなって悪い。待ってろ、今助けるから……!」

 そう言った恭弥の眼前には黙して動かない宗介の姿があった。

「やってくれたじゃないか、宗介。ええ? なんとか言ったらどうなんだ?」


 ノソリと立ち上がった宗介は、鬱陶しいものを見るようなで恭弥を見た。


「脆弱な人間如きが……まさかこうまで邪魔をしてくるとは思いませんでしたよ。大人しく気絶していればいいものを。僕は冗談で追ってこいと言ったつもりだったんですよ? それを本当に追ってくるとはね」


「お前は冗談の意味も理解していないみたいだな。お前をノシて後で教えてやるよ」


「よく言う。その折れた右腕、君の利き腕でしょう。人間体の僕に負けた君が、妖としての力を100%発揮している今の僕に勝てるとでも?」


「俺だって奥の手くらいあるんだよ。……目覚めろ、鬼の力」


 恭弥の皮膚が漆黒に染まる。蒼のオーラが纏わり付き、左手に童子切安綱の霊刀が握られる。


 利き腕を潰されている今、下手な様子見は死活問題だ。恭弥は最初から全速全力で宗介に接近すると、童子切安綱を袈裟斬りに振り下ろした。


 けたたましい音が響いた。まさに力と力のぶつかり合い。拮抗する両者の押し合いは、互いに一歩も譲る事なく僅かな空隙を生んだ。


「こなくそ……!」


「なるほど。言うだけの事はありますね。力だけはそれなりだ」


 拮抗状態を破ったのは恭弥だった。利き腕ではないという事もあり、このままで押し切られると考えた恭弥は、前蹴りを放って距離を取ろうとした。だが、ここで宗介は信じられない行動に出た。


 並の妖であれば喰らっただけで絶命する前蹴りをあえて喰らいにいったのだ。相応のダメージを負ったはずだが、それ以上に前蹴りを崩された格好になった恭弥に致命的な隙が生まれた。


 その隙を突いた宗介は、恭弥の顔面を握る事に成功した。獣の爪が恭弥の頭蓋に突き刺さる。信じられないほどの握力で握りしめられている。ミシミシと頭蓋骨が軋む音が聞こえる。


「ぐ……ぐ、は、離せ……!」


 更に力を込めていく宗介。頭の中に響く音がミシミシではなくパキパキという折れる音に変わり始めた。


「終わりです」


 パン、とスイカが弾けるような音が鳴った。恭弥の頭が破裂した音だ。恭弥を構成していた中身が冷たいコンクリートに散らばった。


「嘘……だろ……?」

 健介は信じられないものを見た。見てしまった。あまりのショックに声がかすれる。だが、

「いやあああああああああああ!」

 文月にとってその光景は健介が感じた以上のショックを与えるものだった。

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