第113話 ※残酷描写あり。

 宗介は人気のない場所を探しているようだったので、非常階段の踊り場を案内した。


「君が僕に勝負を挑むようになって1週間が経ちましたね。どうです、そろそろ僕に勝てる算段はつきましたか」


「絶賛考え中だよ。少しは手加減してくれてもいいんじゃないか?」


「手加減されて勝って、人間の可能性を示せるとでも?」


 ぐうの音も出ない正論だった。ここ最近負け過ぎているせいで、恭弥の中で目的と手段が逆転してしまったようだ。


「……そもそも抽象的過ぎるんだよ。人間の可能性を示せと言ったって、お前がどう受け取るかの問題だから正解が見えない」


「言い訳に過ぎませんよ。過去、僕達はその人間の可能性に負かされているんですから、確かに存在するはずなのです。とはいえ、僕としてもいい加減この状況に飽きてきたところです。今までの勝負は外野を気にしてお互い本気を出せなかった。そろそろ本気でぶつかり合いませんか?」


「名案だとは思うが、方法は?」


「放課後、空手部の道場を借り受けました。ここは一つ、殴り合いで決着をつけませんか?」


「ルールはどうする? 流石に学園で妖力は使えないだろう」


「お互いの身体能力のみの戦いといきましょう。ここで君が勝てば僕は君の味方をすると約束します」


「俺が負けたら?」


 この問いに宗介は答える事はせず、代わりにこう言った。


「戦う前から負けた時の事を気にしていていいのですか?」


「言うじゃないか。その勝負乗った!」


 宗介はフッと薄く笑うと、「では放課後。楽しみにしていますよ」そう言って去っていった。


 迎えた放課後、指定された道場に向かうと、すでに到着していたらしい宗介が道着姿で道場の中心に正座していた。


「悪い、待たせたか」


「いいえ、それほど待っていませんよ。しかし、道場を借り受ける事が出来る時間にも限度があります。急いで支度していただけると助かりますね」


「わかった。急いで着替えるよ」


 そう言って鞄からジャージを取り出して着替えようとした恭弥に、宗介が声をかけた。


「霊装を着なくてもいいのですか。退魔師は霊装を着て100%力を発揮するものでしょう」


「そりゃそうだけど……お前ただの道着だろ。俺だけ霊装着るってのは反則じゃないか?」


「お忘れですか。僕は妖狐です。君達人間とは身体の作りからして違う」


「……ガチでやるつもりか?」


「言ったでしょう、本気でぶつかり合わないか、と。僕は全力でいくつもりですよ」


「わかった。なら、お言葉に甘えるとするよ」


 恭弥は緊急時に備えて常に持ち歩いている霊装の袖に手を通した。柔軟を行い、身体を戦闘態勢へと以降させる。


 一方の宗介は準備運動など必要ないと言わんばかりに、恭弥の準備が終わるのをただひたすらに正座して待っていた。


 やがて恭弥の準備が終わると、二人は自然に道場の中心で向き合った。その距離は約2メートル程度だった。


 恭弥がしっかりとファイティングポーズを取っているのに対し、宗介はあくまで自然体だった。


「決着はどうする」


「誰が見ても明らかな状況になれば、でいいでしょう。行きますよ」


 人間には到底なし得ない加速力で以って恭弥へと肉薄した宗介は、その速度のままに貫き手を恭弥の顔面に放った。妖としての身体能力をフルに活かしたそれは、まともに喰らえば顔面を貫通する一撃だった。


 そんな攻撃を恭弥は寸でのところで回避した。しかし完全には避けきれず、頬の肉が抉れてしまった。


「……テメエ……今殺す気できやがったな……!」


 睨みつける恭弥に対し、宗介はどこ吹く風でこんな事を言った。


「おかしな事を言いますね。僕は『本気で』と言ったはずですよ。弱点を狙って何が悪いというのでしょう」


「ああそうかよ、お前がそうくるなら俺だってその気でやってやる」


 頭に血が上った恭弥は、人を殺せる前蹴りを囮に、お返しとばかりに顔面を狙って直突きを放った。


 最初の前蹴りを後ろに跳ねる事で避けた宗介は、空中で追い打ちの直突きを避ける事は出来ない。普通の人間であれば回避不可能な一撃。だが、そこは妖狐だった。


 文字通り人間離れした反射神経で直突きを見切った宗介は、掌でしっかりと受け止めてしまったのだ。身体が宙に浮いていた事もあり、衝撃は後方に流れる。ダメージは0だ。


「いいですね。その意気です。ですが――」


 宗介は再び信じられない速度で恭弥に接近したかと思うと、

(マズ……! 避けきれない――!)

 全体重を乗せた回し蹴りを放った。妖狐の身体能力で加速した肉体を、身体へのダメージを無視して強引に回転して放たれた回し蹴りは、加速×重量×パワーの一撃だった。


 足を踏ん張り、右腕の全てをガードに回したが、それでも尚微塵も威力を殺し切る事が出来なかった。恭弥は骨の折れる音と共に道場の壁に頭から突っ込んでいった。


 あまりの勢いに、木製の建物は砕け散って恭弥の身体は半ば道場の外に出ていた。

 方や無傷、方や失神寸前。誰が見ても明らかな決着だった。


「やはり人間とはこんなものですか。少しでも期待した私がバカでした」


 宗介は悠然と倒れ込む恭弥の元まで行くと、こう言った。


「勝負は僕の勝ちですね。人化の術を行います。飯田君と天上院さんでしたか、とりあえずは彼らで試してみる事にします。もしまだ動けるなら、僕の後を追ってくるといい」


「待……て……!」


 息も絶え絶えにそう言ったが、恭弥の意識は途切れる寸前だった。視界が朦朧としている。眼前にいるはずの宗介の姿が見えない。


「もう待ちませんよ。僕は十分に待った」


 宗介が離れていくのがわかった。だが、どれだけ命令しても身体が動いてくれなかった。


「ちく……しょう……!」


 今度こそ、恭弥は意識を手放してしまった。


 その頃、健介はウキウキで校舎裏に向かっていた。それもそのはず、彼の下駄箱には人生で初のラブレターが置かれていたのだ。女性らしい丸っこい字で書かれたそれには、放課後校舎裏で待っています、と書かれていた。ご丁寧に便箋の封にはハートのシールが使われていた。ラブレター以外に考えられなかった。


 鼻歌を歌いながら校舎裏に到着すると、そこには意外な人物が立っていた。


「え、天上院さん?」

「あら、飯田様?」


 この時の健介の頭の中は疑問でいっぱいだった。見るからに恭弥にべったりの文月が自分にラブレターを出すわけがない。となれば何かの罰ゲームではないか、と。しかし彼女はそんな事をするような人物には見えない。だからこそのなぜ? だった。


「あのー、一応聞くけど天上院さん俺にラブレターくれた?」


「いえ、実は私もお手紙を頂いたのです。放課後ここで待つように、と」


「んー? どういう事だ? たまたま二人共ラブレター貰って、たまたま同じ場所を指定されたって事か?」


 二人で頭を捻るも答えは出なかった。


 しばらく待っていると、二人の想像しない人物が現れた。宗介だった。


「こんにちは。少し待たせてしまったかな?」


「え、なんでここにお前が来るんだよ? ……まさかこのラブレター出したのって――」


「そう。僕ですよ。お二人に個人的な用がありましてね」


 文月はその発言に引っかかるところを覚えた。以前恭弥が、宗介が文月と健介の頭蓋を狙っていると言った事を思い出したからだ。バレないように宗介との距離を離そうとしたが、宗介はそれを許さなかった。先回りするように文月の背後を取ったのだ。


 文月の思いなど知らない健介は、手紙の差出人が宗介だった事を知り、これみよがしに大きなため息をついた。


「ふざけんなよなー、呼び出しにハートのシールなんて使うなよ。ラブレターかと思って勘違いしちゃったじゃねえか」


「ふふっ、これは失礼……」


「海外じゃ手紙にハートのシール使うのは流行ってるのかあ? つーかマジでお前の字丸っこいから女だと思っちまったぜ。で、なんの用だよ? 俺達二人呼び出してさ」


「飯田君は妖という存在がいるのは知っていますか?」


「おう、知ってるぜ。これでも俺結構調べてるんだ。その辺の人よりは詳しいぜ」


「そうですか。それは上々。では妖狐という種族はご存知ですか?」


「いやー、そこまでは知らないなあ。なんだよ、お前結構イける口か?」


「ええ、これでも結構詳しい方でしてね。妖狐は人化の術という、人の頭蓋を用いた儀式を行う事で強くなります。ですが、これがなかなか厄介なものでしてね。見た目でなんとなくは良いか悪いかはわかるのですが、実際に頭蓋を被ってみなければ自分に合っているかどうかわからないのです。見たところ、君達は実に良い頭蓋をしている」


 やはり、と文月は思った。スカートのポケットに手を入れ、スマホで助けを呼ぼうとした。だが、その手を握る者がいた。宗介だ。


「っ!」


「いけませんね。せっかくの儀式に邪魔はいらないのですよ」


「離してください!」


 文月は手を振って振り解こうとしたが出来なかった。ガチャリとスマホが地面に落ちる。


「お、おい! どうしたんだよ、嫌がってるだろ? 離してやれよ」


「ふっ……まだわからないのですか。やはり人間は愚かだ」


 最早隠す必要はないと言わんばかりに、宗介は自らの頭頂部に爪を立てると、ベリベリと皮膚を千切って左右に引っ張っていった。


 突然の事に呼吸すら忘れて呆然と眺める二人の前で、宗介は滴る血を見向きもせずムリムリと皮を剥ききってしまった。


 ところどころ血肉と毛が見え隠れしている頭蓋が露わになると、今度は頭蓋骨そのものを上に引っ張り始めた。ミチミチと肉の千切れる音と共に人の頭蓋骨に隠されていた姿が見えてきた。


 金色のサラリとした毛は明らかに獣のそれだった。ピンと左右に尖った耳、キュッと伸びた鼻、どこをとっても狐だった。人間の身体に狐の頭が乗っている、といえばイメージしやすいだろうか。身にまとっていた衣服は破れさり、獣としての体毛が身を覆っている。


「う、うわああああああ!」

 ここにきて、ようやく恐怖が追いついてきた健介が悲鳴を上げた。


「人間の悲鳴は実に心地よいですね……」


「……私達をどうするつもりですか」


 文月は気丈に振る舞った。畏れこそが妖の力になると知っていたからだ。震えそうになる身体にぎゅっと力を込めて抑える。


「知れた事を。人化の術に使用するのですよ。ああ、そうだ。君の希望を断っておくとしましょう。狭間君は僕にはやられて気絶していますよ。助けは来ません」


「そんな……!」


「恭弥? どうして恭弥が出てくるんだよ?」


 健介の言葉を聞いた宗介は大きく笑い出した。


「はーっはっはっ、これは傑作だ。君はどこまでも愉快な人間ですね。狭間君は退魔師なのですよ」


「はあ? 恭弥が退魔師って……嘘だろ?」


 文月の方を見やる健介だったが、彼女は血の契約によって話す事が出来ない。だからこそ無言を貫いたが、それが逆に健介からすると肯定だと受け取られてしまった。


「そんな……」


「知らなかったのは貴方だけという事です。あの場を共にした椎名姉妹も退魔師の匂いがしましたからね」


 健介は次々と告げられる衝撃の事実に頭が追いつかなかった。危機的状況にもかかわらず、逃げるという選択すら取れない。


「時期に教員の方々がやってくるはずです。さしものあなたも多勢に無勢では?」


「おっと、この男の愚か具合が面白くてついつい無駄話をしてしまった。ではあなた方を儀式の場へと招待するとしましょう」


 そう言って宗介は指をパチンと鳴らした。すると、宙にブラックホールのようなものが生み出された。形は違えど、冥道院が多用する空間転移の一種だった。


 宗介は二人を脇に抱えると、暗く深い渦の中へと姿を消していった。

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