第93話

 雲一つない過ごしやすい天気だった。初春という事で、外気は少々肌寒かったが、それがむしろ頭を冷やし、清々しい気分にさせた。


 こんな日はバイクに乗って遠出をしたくなる。街から離れて人の少ない温泉にでも入る事が出来れば最高だろう。そう思った恭弥は一度家に戻り、車庫からバイクを出した。


 ヘルメットを被り、行き先も調べずに適当にバイクを走らせる事にした。

 ひたすらに一時間程度バイクを走らせていると、気が付けば民家もポツポツとしかなくなっていた。


「やっちまったかな」


 流石にここまで何もないと温泉があるとは思えなかった。それどころか、森が目立つようになっていた。気分転換という目的を達する事は出来たが、これでは本当にただバイクを走らせただけになってしまった。


「ま、こんな日があってもいいか……」


 流石に帰りも適当という訳にもいかないので、スマホでマップアプリを起動して自宅までの最短ルートを確認する。すると、ここから少し戻ったところにある二股の道を来た時とは反対の道を通れば近道であるという事がわかった。


 道中のコンビニで買ったお茶をバックパックから取り出して飲む。それを再びバックパックに戻すと、ヘルメットを被り直しバイクを走らせ始めた。


 目印の存在しない道を走っていると、時間の感覚が狂ってくる。他に走っている車がなければより一層だ。メーターを見なければ今自分でどれだけのスピードを出しているのか、どれだけ進んだのか、意識して確認しなければわからなかった。


 それこそ確認するには景色の僅かな変化に目をやらなければ気付かない。特に、こんな何も無い道では標識くらいしか目印はない――。


「マジかよちくしょう……時間外労働だぞ」


 明らかに走りすぎだった。二股の道に戻るまでどれだけ遅く走っても十分程度で着くはずだった。それが時計を確認するともう二十分も走っている。完全に概念系の意識操作を受けていた。


 一度気付いて意識すればどうという事はなかった。恭弥は先程から同じ場所を行ったり来たりしていたのだ。現に、意識を確たるものとした現在、目の前には二股の道がある。


 実際はずっと目に入っていたのだ。この道を恭弥は何度も目にしていた。だが、恭弥はまったく意識する事が出来なかった。それ故同じ場所をぐるぐると回っていたのだ。


「誰の仕業だか知らねえが霊装着てきてよかった。今日の俺は勘が冴えてるな」


 これだけ広範囲に意識操作の結界を張る事が出来るのだ。加えて、先程までは気にも留めなかったが、他に車が走っていなかったのは人払いの結界も張っているからだろう。


 これだけの事をやってのける相手だ。下手をすれば恭弥一人では太刀打ち出来ない相手かもしれない。だが、だからといって見過ごす訳にもいかない。せっかくの休日が台無しだが、退魔師という職業上仕方のない事だった。


(まさか道のど真ん中にいる訳はないだろうから、いるとしたら山の中だろうな)


「ったく……この間から山に縁がありすぎだろ……」


 バイクを道の端に停め、ガードレールを超えて山に足を踏み入れる。ほぼ垂直の崖を登るために、霊力で足場を作って登っていく。


 歩みを進める度に結界の濃度が濃くなっていくのがわかった。どうやら恭弥の予想は的中したらしい。それと同時に、結界そのものの完成度に驚かされた。中心に近づけば近づくほど術式の複雑さが嫌でも伝わってきた。


(本当に誰が張ったんだ、これ? ただの妖にしちゃ手が込みすぎている。これはむしろ人間の――)


 そんな事を考えながら更にもう一歩を踏み出した途端、身体の奥底から言い知れぬ憎しみと不快感がこみ上げてきた。


 ヘドロと腸のミックスジュースを味わいながら飲み込んだような不快感と、親の仇でも見るかのような憎しみ。


 対象が見えないにもかかわらずこんな感情を抱いた事など人生で初めてだった。


 本能が警告している。この先に近づいてはいけないと。だが、一方で立ち向かえという感情が湧き出ているのも事実だった。相反する二つの感情。恭弥はその二択の内、立ち向かう選択を取った。


「――おや、誰かと思えば君かい? 懐かしい顔だ」


 木の枝に座り、背を預けている白髪の美少年がいた。彼の周囲には青く輝く蝶が無数に舞っていた。少年の美しさも相まってどこかこの世のものとは思えない光景だった。


「……冥道院」


「そんな怖い顔をしないでよ。君と会うのは恐らく初めてのはずだ。そうだろう?」


「直接会うのはそうだろうな。だけど俺はお前をよく知ってる。クソマザコン野郎」


「口が悪いなぁ。そんなんじゃ愛しの彼女達に見放されちゃうよ?」


「余計なお世話だ。テメエ、なんでこんなところにいる」


「それは僕こそ聞きたい質問だ。どうして君がこんなところにいるんだい」


 恭弥は答える事なく両手に刀を生み出した。冥道院相手に油断も遠慮も大敵である。一瞬でも隙を見せれば彼は簡単に命を刈り取る事が出来る。


「まあ落ち着きなよ。僕としても君とは一度話しをしたいと思っていたんだ。狭間恭弥君。いや、こう言った方がいいかな? 『――』君」


 凄まじい頭痛が襲った。聞き取れない名前があった。それが原因である事は間違いない。だが、どうして? それがわからなかった。


「へえ……君、どうやら不完全な転生をしたみたいだね」


「なっ……! テメエなんで俺が転生したって知ってるんだ!」


「当然だよ。だって僕も転生者だもの」


「クソも面白くないジョークだな……」


「君が僕の事をよく知っているように、僕の君の事をよく知っているよ。もっとも、僕が知っているのは狭間恭弥である君であって『――』君ではないけどね」


「っ! やめろ! その名を呼ぶな!」


 その名を聞く度に頭が割れそうになるほどの痛みが走った。脳みそが頭蓋骨というグラスでシェイクされているようだった。


「自分の名前を認識出来ないという事は、相当に思考に封印がかかっているようだね。このままじゃ建設的な話しは出来そうにないや。僕が封印を解いてあげるよ」


 そう言って冥道院はふわりと体重を感じさせない動きで木から下りた。そして、悠然とこちらに歩み寄ってきた。逃げようにも、一歩足を動かしただけで頭痛が激しくなり、動く事が出来なかった。


 冥道院が手を伸ばし、恭弥の頭に触れようとした。だが、その手を掴む者がいた。


「悪いがそうはさせんぞ」


 天城だ。天城はいつの間にか姿を現して冥道院の手を抑えていた。冥道院がどれだけ力を込めてもその手が動く気配はなかった。諦めた冥道院が手を引くと、天城はその手を離した。


「へぇ今回も君は彼に味方しているんだね」


 冥道院の言葉に天城は「ふん」と鼻を鳴らして答えた。


「彼は限界を迎えてしまったのかい?」


「お前に答える義理はない」


「どう、いう事だ。俺にもわかるように説明しやがれ」


「君のヒロインを救いたいという欲求はどこから来ているのかな?」


「は?」


「君がどういう経緯でこの世界に転生したのかは僕にはわからない。だけど、切っ掛けがあったんじゃないのかい?」


「そんなのゲームで――」


「やめい。奴の言葉に耳を傾けるな。アレはお前にとって害悪でしかない」


「そんなに嫌わなくてもいいじゃないか。僕にだって君に愛を教える事は出来るんだよ? 一つボタンをかけ違えていれば、君が立っているのは僕の側だったかもしれない」


「はっ! 近親相姦のまざこんから教わる愛などないわ」


「どうしてわからないかな。純愛に近親も何も関係ないって事が」


「そんな愛なんざ犬に食わせてやれ」


「待て! ああちくしょう! 冥道院、お前は俺が知ってる冥道院なのか?」


「そうともいえるし、違う可能性もある。君が狭間恭弥であるように、僕も冥道院という役割を与えられてこの世界に存在している訳だからね」


「迂遠な言い回しばっかしやがって……はっきりしろ」


「さっきも言ったけれど、君がヒロインを救いたいという欲求、それは本当に君の気持ちなのかい?」


「何が言いたい」


「水槽の脳という考えは知っているかい? 脳が電気信号によって動いている以上何人も現実を定義する事は出来ないという考えなんだけど」


「……俺の気持ちはつくられたものだって言いたいのか」


「実際のところはわからないよ。可能性の一つさ。君が狭間恭弥の企みによってこの世界に来たとすれば、この世界に焦がれた想いをつくったのも狭間恭弥かもしれない」


「じゃったとして、小僧の想いを誰が否定出来ると言うんじゃ。小僧を惑わすのはやめい」


「はは、それもそうかもね。僕だってこの想いが誰かにつくられたものだという可能性は否定出来ない。それはそうと、君は何回目、、、の狭間恭弥なんだい?」


「何回目? どういう事だ?」


「これは驚いた。君はそんな事すら知らずにこの世界で過ごしてきたのかい。道理で行動に一貫性がない訳だ。それとも、敢えて記憶を封印しているのかな? まあ、僕としてはどっちでも構わないんだけどね」


 天城が駆けた。鬼の爪で冥道院の顔を切り裂こうとしたが、冥道院はそれを読んでいたかのように後ろに跳ねて避けた。


「おっと危ない。君にはお喋りを楽しもうという気持ちはないのかい」


「お前なんぞと話しておると虫唾が走るわ。とっとと去ね!」


「怖い怖い。鬼に恐れをなした僕は退散するとするよ。次は鬼抜きで、二人で話せるといいね」


 冥道院は青い蝶に包まれてその姿をくらませた。それと同時に、周囲に張られた結界が解けるのがわかった。


「……天城。どういう事なのか、当然説明してくれるんだよな?」


「…………まだその時ではない。ただ一つ言えるのは、奴のせいでお前の思考は変わったはずじゃ。くれぐれも逸った事はするでないぞ。これまで通り、情けない男ノ子であれ」


 それだけ言って、天城は黒いシミへと消えていった。どれだけ呼びかけても出てくる気配はなかった。完全に沈黙を貫くつもりらしい。


「……なんだってんだよ、一体……」

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