第94話

「デートです!」

 昼休み早々、教室を訪れた神楽は恭弥に向かってそう言い放った。


「いきなりなんだ。せめてワンクッション挟んでから切り出してくれ」


「だって最近恭弥さん構ってくれないんですもん。私が誘っても用事があるからっていつも断ってるじゃないですか」


「いや、実際ここ最近立て込んでたからな。デートどころか休みすらなかったんだよ。この間はせっかくの休日が台無しになったし。少しくらい一人の時間がほしい」


「えー! デート! デート! やですよ! 寂しいです!」


「……場を弁えなさい。注目を集めているのがわからないのですか」


「そんな事言ってー。姉様嫉妬してるだけでしょ。私はいいんですよ? 三人でデートしても」


 今の一言でとんでもなく教室の温度が下がったのがわかった。さもありなん、さして特徴もない恭弥に絶世の美少女が言い寄っているのだ。更にクラスのマドンナである桃花までそれに関係しているとなれば視線だけで人が殺せるほどに鋭くなろうものだ。


(あーこの感じ久しぶりだなー。靴に画鋲とか入ってたらどうしよう)


 冥道院との一件以降ずっと自身が人間ではなくキャラクターなのではないかと悩み続けていたが、こうして日常の一ページを体験すると、キャラクターではなく、この世界の住人、狭間恭弥であると実感出来た。


 自己のアイデンティティが揺らいでいる今、口ではなんだかんだと言いながらも、神楽の提案を嬉しく思う自分がいた。


「デート、デートねえ……そういや見たい映画があったんだ。放課後見に行くか?」


「制服デートってやつですね! やったー!」


「だから声が大きいっつの」


「ごめんなさーい。姉様も一緒に行きましょうよ。絶対楽しいですよ」


「考えておきます」


「約束ですよ? そうと決まればお昼を食べましょうか。私もうお腹ぺこぺこです」


「まあ待てもう少ししたら文月が来るはずだから待ってよう」


 最初の何回かは屋上で食べていたが、最近では屋上の一角を占拠するのがいい加減申し訳なくなってきていたので、開き直って教室で机を並べて食べる事にしていた。

それにしても周囲のクラスメイトに椅子と机を借りるという迷惑をかけているが、神楽と文月に声をかけられた男子学生は快く席を譲ってくれている。それどころか、二人と会話出来たと周囲に自慢しているらしい。彼女達の人気が伺い知れるエピソードの一つだ。


 ついでに、揃って重箱に入れた弁当を持参しているものだから、今日はどんなおかずが入っているか予想するゲームが密かに行われているらしい。何も知らない者から見れば金持ちの高嶺の花に映るのだろう。完全に見世物だ。


「失礼します」


 本日の弁当に思いを馳せていると、文月がいつも通りうやうやしく一礼をしてから教室に入ってきた。


 最早彼女の指定席になっている男子学生A君に柔らかい笑みと申し訳なさそうな表情という絶妙な顔で席を譲ってくれるようお願いすると、男子学生は嬉しそうに返事をして去っていった。


 いつもの事なのだから事前に席を立っていればいいのにという考えはナシだ。彼にとってはこれが唯一の文月との接点なのである。彼は今頃仲の良い友達に何事か自慢している事だろう。


「さて、文月も来た事だし飯食うか」


 待ってましたとばかりに腹ペコの神楽は重箱を開けて早速おかずにありついた。対抗する訳ではないが、恭弥も重箱を開けると同時に文月お手製の唐揚げを頬張った。


 カリカリの皮と、冷めているのにジューシーな肉汁が口いっぱいに広がった。程よい塩味を保った口内に、中央に梅干しが置かれた白米を放り込む。


「んー! 美味しいですねえ。やっぱり生きてるって素晴らしいです!」


 そんな言葉が神楽の口から出るのはやはりあの一件があったからだろう。きっと彼女なりに思うところがあったのだろう。あれだけの事があって人生観に影響が無いという人の方が少数派だろう。恭弥にしても神楽の件以降色々と思考が変わりつつあった。


「そういえば恭弥さんが見たい映画ってなんですか?」


 神楽の問いに文月が「映画?」とはてなを頭の上に浮かばせた。


「神楽がデートしたいって騒ぎ出してな。放課後見に行くんだ。文月も行くか?」


「どうしましょう」


 そう言って文月はチラリと横に座る神楽の表情を見た。そして、彼女が若干威嚇している事に気付くとこう続けた。


「せっかくですが、今回はお二人で行かれた方がよろしいかと」


「ほらほら、傍使いちゃんもそう言ってますし、私達だけで行きましょう!」


「傍使いじゃなくて文月な。ったく、本当にいいのか、文月? 遠慮する事ないんだぞ」


「いえ、今日はスーパーの特売がやっていますので、私はお買い物を優先致します。それに、神楽様とのお時間を大切にしてください。詳細はわかりかねますが、その、お二人の間に何か大変な事があったというのは理解していますので」


 傍使いとして完璧な返しだった。例え想いを寄せる主人であったとしても、傍使いとしての立場をしっかりと意識し、主人の邪魔にならないように立ち回る。いや、ここまで完璧だと傍使い云々を抜きに文月という女性そのものに敬意を抱くほどだ。


「悪いな、今度何か埋め合わせするから」


「はい。楽しみにしています」


「んで、なんだっけ? 俺の見たい映画だったっけ?」


「ですです」


「実は二つあってさ。一つはガチガチのアクション映画。筋肉モリモリマッチョマンが活躍するやつと、もう一個は青春を題材にしたアニメ映画」


「私はどっちも楽しめる派ですけど、姉様も来るならアニメの方がいいかもしれませんね」


「なぜわたくしも行く前提なのですか」


「え? 姉様来ないんですか?」


「……まあ、行きますが」


「ほらー。クールぶってないで素直になりましょうよ。人間いつ死ぬかわからないんですから言いたい事は言える時に言っておかないと」


「貴方に言われると説得力がありますね。気持ちはわかりますが、性格です」


「もう、しょうがない人ですね。それはそうと、私もそろそろお務めに復帰します」

「お、遂にか。もう検査とか終わったんだな」


「はい。大変でしたよー。意味もなくCT撮ったり、血液検査なんて何回やったかわかりません。でも、結果は異常なし。健康も健康です!」


「そりゃ良かった。でも、油断するなよ。最初はリハビリも兼ねて誰かと一緒に行くんだぞ?」


「はい。その時は恭弥さんが付き合ってくださいね」


「うえ、せっかく番付上がったからサボろうと思ってたのに、しょうがないな」


「そういえば、文月さんを運転手にするという話、どうなったのですか」


「私が運転手に、ですか? 初耳ですが……」


「あれ? 言ってなかったっけ? まあちょうどいいから今言うよ。現場まで行くのに運転手を雇うって話が出てたんだけど、あまり他人を入れたくないから文月がやってくれると嬉しいなって思ってたんだよ」


「それでしたら……」文月は財布を取り出し免許証を見せた。「免許はもう取ってあるのですぐにでもなれます」


「マジか。いつの間に取ってたんだ?」


「天上院にいた時に傍使いとしての技能の一つとして取得しておりました。大型免許も取得しておりますし、他にも小型船舶であれば運転する事が可能です」


 免許証を手に取ると、確かに文月の名義になっていた。顔写真のところに薄っすらと化粧をした文月が載っていた。相変わらず美しい顔だった。


「恭弥さんにはもったいないほど有能な傍使いですこと」


「おい、言い方にトゲがあるぞ」


「わ、私だってバイク運転出来ますし……」


「そんなところで張り合ったってしょうがないだろ……俺だってバイクの免許は持ってるよ」


「え、ほんとですか? そしたら今度ツーリングに行きましょうよ」


「暇があればな」


「話が脱線していますよ。文月さんを運転手にするかどうかの話をしていたはずです」


「私は構いません。判断は恭弥さんにお任せ致します」


「んー、文月の負担が増えるけど、お願い出来るか?」


「かしこまりました。私はこんな事でしかお手伝い出来ませんので、お気軽に命じてください」


「ありがとう。まったく、もう文月がいない生活が考えられないよ。帰ってきて飯と風呂が用意されてるってのは有り難過ぎる」


「そう言ってくださると私も嬉しいです」


 文月は花が咲くような笑みを浮かべた。恭弥の力になれる事が心の底から喜ばしいと思っているようだった。


「そういえば最近ちんまいのを見ないですけど何かあったんですかね?」


 神楽の言葉に恭弥と桃花は揃って信じられないといった目を向けた。


「な、なんですか。なんでそんな目で見るんですか」


「いや、胸に手を当てて自分の行いを振り返ってみろよ」


「んー、私何かしましたっけ?」


「こいつ……」


「神楽の中では大した事はやっていないという事になっているのでしょう。わが妹ながら信じられません」


「そうだった……こいつはそういうやつだった。ついでだから言うけど、お前日に何度も連絡入れてくるのやめろ。特に夜中に電話とかかけてくるな」


「えー! いいじゃないですか。恭弥さんだって私の声を聞けなくて寂しい時あるでしょう?」


「んなのごくごく偶にだ。万一に備えて通知オフにしてないんだからホント勘弁してくれ」


「だ、だって寂しいんですもん」


「少しは我慢しろ」


「せめて夜中以外ならいいですよね……?」


 泣きそうな顔をしながら言う神楽に根負けした恭弥は「夜中以外ならな」と言った。


 そうして恭弥達がピーチクパーチクやかましく昼食を取っている頃、冥道院は稲荷の護送車を狙っていた。

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