第83話
「遅かったな」
「……ずいぶんと、情けない姿になってしまいましたね」
桃花は冷たい目で恭弥を見下ろしながらそう言った。
「なんとでも言え」
恭弥は吐き捨てるにようにそう言うと、拘束されていた事で凝り固まった身体を伸ばした。ゴキゴキと音が鳴った。
「本当に、情けない。失望しました。今の貴方には何を伝えても響きませんね」
「俺は情けないやつだよ。自分の女一人守れないクズ野郎だ」
「では、燧が今我々の手にあるという情報も不要ですね」
「……何?」
「芦屋さんと土御門さん、それに英一郎さんがやってくれました。神楽も千鶴さんが確保したそうです。パーツは揃いました。後は貴方だけなのです。ですが、肝心の恭弥さんがそのような様子では、我々の努力も水の泡ですね」
桃花は先の出来事を振り返った。恭弥が椎名の追手に捕まると同時に、英一郎は椎名家へと向かっていた。お務めの依頼というカモフラージュで椎名家の客間に通されると、英一郎はすぐに恭弥の元へと向かおうとした。しかし、どういう訳かすぐに清明と小春が客間に通されてきた事によって足を止められた。
聞けば、英一郎さんに言われて来たと言ったら通してもらえたらしい。常であればそんな理由で椎名家に足を踏み入れる事など出来ないだろうが、御家騒動でバタバタしている今、判断を下せる人間がいなかったのだろう。結果として、英一郎は動くに動けない状況に陥ってしまった。しかし、どうするか悩んでいたところに桃花が現れた事で状況は一変した。
「ちょうどよいところに来てくれました。わたくしの手伝いをしていただけないでしょうか」
桃花は三人に向かって開口一番そう言った。
「燧の封印を解きます。しかし、わたくし一人では手が足りません。手を貸していただけないでしょうか」
「マジで言ってんのか? 封印を解くとなりゃ守護式との戦闘は避けられないだろ」
「ええ。ですから、手を貸していただきたいのです」
「……燧が手に入りゃこのふざけた茶番を終わらせられるのか?」
「わかりません。ですが、少しでも可能性があるのならば、わたくしは賭けたいと思っています」
「なんかお前狭間の奴に似てきてないか? そんな博打打ちだった記憶はないんだが……」
「無駄な問答をしている時間はありません。返事を」
英一郎はポリポリを頭を掻いて大きなため息をついた。
「はぁ……しょうがねえな。俺も分の悪い賭けは嫌いじゃない。付き合ってやるよ」
本当に時間が惜しいのだろう、桃花は返事を聞くと同時に英一郎を伴って部屋を出ようとした。しかし、清明がそれを呼び止めた。
「俺達も手伝います!」
「アホ。守護式がどんだけヤベえかお前らは知らんだろ。下手すりゃ死ぬんだぞ?」
「だからって、ここまで来て引けません! あたし達にも手伝わせてください!」
「やらないで後悔するより、やって後悔したいんです。師匠、お願いです」
暫くの間、英一郎は二人の瞳を交互に見つめた。そして、その瞳の奥に不退転の決意を感じると、やはり大きなため息をついてポリポリと頭を掻いた。
そこまで決意が固まっているというのなら、ここで止めるのは野暮というものだろう。
「マジで危ないんだぞ? それでも手伝うつもりか?」
二人は実に気持ちの良い返事をした。
(ったく、怖いもの知らずなのか大物なのか……でもま、師匠としては可愛がりがいのある弟子である事には違いないな)
「話はまとまりましたか」
「まあな。そういう事だ。バカ二人も連れて行く事になった」
「バカはないじゃないスか! 俺だってそれなりに考えて――」
「バカ。ほんとに考えてんなら俺も手伝いますなんて言わないっつの」
「だからってあたし達だけお留守番なんてないですよ。あたし達だってやれば出来ます!」
「そういう事は一人前になってから言えってんだ。いいか、お前達はまだまだ駆け出しのひよっこであってだな――」
「そういったお話は事が片付いてからにしていただけますか。今は時間が惜しいのです」
「っと、そうだったな。悪い悪い。歳取るとどうも説教臭くなってな」
「まだそんな歳でもないでしょうに。行きますよ」
四人は部屋を後にした。
庭に出た桃花は、鳥型の式神を一体生み出し全員をそれに乗せた。バサバサと翼をはためかせ大空を舞う鳥型の式神が生み出す心地よい風を感じる傍ら桃花は思い出す。燧が封印されているのは椎名家が所有する山の最奥に作られた祭壇。そこに御神体として祀られているはずだ。
これから行おうとしているのは、正規の手段を踏まずに燧の封印を解く、いわば御神体泥棒のような真似だ。当然、神として崇められている燧は怒り、自らの力で生み出した守護式を以って外敵を排除しようとするだろう。
面倒なのは、それが一種の試練であるという事だ。守護式を討ち倒さない限り、燧は他界と呼ばれる生者が生きる顕界(げんかい)とは別の世界に在り、触れる事すら叶わない。
正規の手段を踏めば、基本守護式は持ち手に対して一体しか現れない。しかし、今回は何もかもが正規の手段から外れている。守護式がどれだけの数生み出されるのか、またその強さがどれくらいのものなのか、検討もつかなかった。
暫く思考の海に潜っていたが、どうやら意識を眼前の問題に戻す時間が来たらしい。椎名家が山全体に張った結界の近くまで来ていた。このまま空を飛んでいては、結界の範囲を踏んだ時点で強制的に式神が解除されて空中に身を投げ出されてしまう。桃花は四人を地面に下ろすとこう言った。
「ここからは歩きです。山は舗装されていないので、道中気をつけるように」
「え、なんで歩くんスか? 燧の場所まで飛んでいけばいいのに」
「空から身を投げ出したいというのであれば式神をお貸し致しますが」
「ど、どういう事ッスか?」
「結界だ。そうだろ、椎名?」
「ええ。それなりに強力なものです」
二人だけで完結している会話についていけない清明と小春の頭には疑問符が浮かんでいた。それを見てちょうどいい機会とばかりに英一郎は歩きながら説明を始めた。
「弟子達に授業の時間だ。結界ってのはある種のバリアみたいなもんだ。様々な種類のものがあって、物理的に攻撃を受け止めるものもあれば、瘴気や概念系の攻撃といった精神的なものを受け止めるものもある。恐らくだが、この山に張られているのは外部からの霊的な動作を強制的に解除する類のものだ」
英一郎はチラリと桃花を見た。そして、自身の考えが間違っていない事を確認すると更にこう続けた。
「今回の例でいくと、あのまま椎名の式神に乗って空を飛んでいたら、俺達は結界の範囲に入った途端に空から落下する事になる。俺と椎名は空から落ちたところでどうという事はないし、なんならそのまま空を移動して燧の元まで直で行ける。だが、霊力の扱いがおぼつかないお前らは落ちたらお陀仏だ。つまり、椎名はお前らに気を使って結界の直前で降ろしてくれたって訳だ」
「そうだったんスね。ありがとうございます」
「なんか、足引っ張っちゃったみたいですみません」
「こう見えて意外と優しい椎名って訳だな。二人共お姉さんにもっと感謝しろ」
「心外ですね。わたくしにそのようなつもりはありません。守護式と戦う前に万が一怪我をされては困るのでそうしたまで。他に意味はありません」
「またまた~憎まれ口叩いちゃって。そんなんじゃ男にモテないぞお?」
「モテなくて結構。それはそうと」
「ん、どうした……っと、危ねえなおい」
慌てて片足を上げた英一郎の様子に何事かと思い彼の足元を見ると、人間用のトラバサミがあった。
「伝え忘れていましたが、この山には侵入者を捕らえるための罠が仕掛けられています」
「……お前絶対わざと言わなかっただろ」
「決してそのような事は」
ツンと取り澄ました表情で言い放った桃花はズンズンと先を急いだ。他の三人も桃花の後を追った。
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