第46話

  鬼灯家に着くと、呼び鈴を連打したい気持ちを抑え、一度だけ押す。鬼灯家には女中が大勢いる。今頃インターホンの向こう側では恭弥の姿を確認しているだろう。


「どちら様でしょうか」

「狭間です。慶一さんに会いたくて来ました」

「旦那様は今不在です。お引取りください」


 そう言われ、にべもなく会話を切り上げられてしまった。やはりアポイント無しで来たのは不味かったか。一応、慶一さんの連絡先は知っているが万が一今都合が悪ければ気を損ねて知りたい情報を得られない可能性がある。普段は穏やかな人だが、大切な娘の安否が不明なのだ。流石に常の様子ではいられないだろう。


 どうするか門の前で悩んでいると、ガチャリとロックの外れる音がして、観音開きの門が自動的に開かれた。


「お入りください」

「……居留守って訳ね。お邪魔します」


 門をくぐると案内人がいた。彼はうやうやしく恭弥に礼をすると、砂利道を先導して主屋まで案内した。


「奥の座敷で旦那様がお待ちです」


 案内人に礼を言う。彼が下がっていったのを確認し障子の向こうにいるであろう慶一に声をかける。


「狭間です」

「入りなさい」


 失礼します、と言って恭弥は座敷に上がった。立派な日本庭園が見えるその座敷は、晴れていれば鹿威しの小気味よい音と日光で最高にリラックス出来るだろう場所だった。しかし今日は、慶一の心を映すようにあいにくの雨模様だ。これはこれで風情があるが、今はその晴好雨奇の眺めに心奪われている場合ではない。


「連絡も無しにいきなり押しかけてすみません」

「いや、構わん。近い内に呼ぼうと思っていたからね」

「そうでしたか。とはいえ、今回は理由が違うでしょう」

「……その様子だと恭弥君の耳にも届いたようだな」

「今さっき。この間のお務めで行方不明になったらしいとだけ」

「そうか……恭弥君は最近娘と仲良くしてくれていたらしいね」

「仲、良く……?」


 脳裏をよぎるのは桃花や神楽と言い争っている場面だった。主に神楽が相手の。


「まあ、最近話す機会が増えていたのは事実ですけど」

「昨晩のお務め、君も出ていたそうだね。君の目から見て薫がやられるような相手かね」


「いえ、まず有り得ないと思います。数こそ多かったですが、種類は一匹でしたし、何より脆い。薫でも素手でダメージを与えられる可能性のある妖でした。人型ですから、薫の異能ともすこぶる相性が良いはずです」


「やはりそうか……とすれば、薫の元にそれらを操っていた妖が現れた線が高いな」


 そこで、慶一はおもむろに立ち上がると座敷に設置された小型冷蔵庫の前まで歩いていった。


「何か飲むかね」

「あ、すいません。じゃあお茶いただけますか?」


「いやいや、こちらこそ本当は最初に出すべきだったのに、失念してしまった。歳を取るとどうもいかんな……」


 慶一は棚から取り出したガラス製のコップにペットボトルのお茶をとくとくと注いでいく。注ぎながら、恭弥の目を見てこんな事を言った。


「時に恭弥君、君は椎名の娘達と親しいそうだね」


 何故ここで椎名の名が? 疑問には思ったが、恭弥は素直に頷いた。


「いや何、君を疑うつもりはないんだよ。事情を知ってすぐに駆けつけてくれたくらいだ。この件に君は関係していないと私は信じている」


 雰囲気が変わった。恭弥の記憶では慶一はこんなにも回りくどい会話はしないはずだ。


「はあ……? すいません、話が見えないです。なんで椎名の名前が出るんです?」


「親ばかと笑ってくれてもいいが、薫がお務めに出る際には必ず隠形の術に優れた術者を隠れてつけていたんだよ。一人前の退魔師になったとはいえ、私から見ればまだまだひよっこ。心配で仕方なくてな」


「てことは、この間の水釈様の時も?」


「そうだ。とはいえ、彼に戦闘能力は無い。遠くから見ているだけだ。いわば遠見の式のようなものだな」


「それがさっきの話とどう関係してるんですか」

 恭弥の問いに慶一は答える事はなく、代わりにこう言った。


「君は椎名と鬼灯が元々許嫁の関係にあったのは知っているね?」


「……ええ、一応は。どっちも女だったから御破算になったっていうくらいですが」


「そうだ。しかしながら、今私には息子がいる。君達とは一回り近く離れているが、まあ退魔師の血の混合から考えれば大して離れていないようなものだ」


「まさか息子さんと椎名姉妹のどっちかで子供を産ませようとでも?」


「そういう話が出ていないと言えば嘘になる。それはそうと、椎名姉妹は随分と君にご執心のようだね」


「俺の口からはなんとも言えませんが……なんでその話がここで出るんですか。確かにあいつらとは最近色々ありますけど、関係ないように思えますが?」


「何やら君を巡って争っている様子。聞けばその争いにウチの娘も加わっているそうじゃないか」


(……当事者の親にそんな事言われるなんて勘弁してくれ。どう転んでも恥ずかしい奴だし、そもそも俺は薫の事はそんなに好きじゃないんだが……しかし、親に向かってそんな事口が裂けても言える訳がない)


「…………俺はそんなつもりはないんですが、どうもそのようですね。でも、これだけは言わせてください。俺から粉をかけた訳じゃありません。彼女達が自分から始めた事です」


「ふむ。巻き込まれたと言いたい訳だね。いつの世も、モテる男は辛いものだ」


「いやいや、はっきりと好意を向けてくれてるのは神楽だけで他二人は曖昧と言いますかなんと言いますか……」


「まあ当人達の想いの真意はどうあれ椎名にとって薫は邪魔だった。そうは思わんかね?」


(結局言いたかったのはその一言かよ。ちくしょう、この様子じゃ薫が消えてから俺達のやり取りを遡ってかなり精密に調査したんだろうな。正直に言うしかない……)


「確かに、そのように取れるやり取りはありました。だけど、彼女達も大人です。まさか実行するような真似はしないかと」


「君もまだ青いな。色恋は時に人を狂わせるのだ。はっきり言おう。薫が消える直前、椎名姉妹の姿を確認した者がいる」


「は?」


 ハンマーで頭を殴られるような衝撃が走った。まさか、と。いかなあの二人とはいえ、まさか本当にそんな事をするはずがない。


「現場はご丁寧にも周辺の監視カメラが完全に破壊されて、人払いの結界まで張ってあったそうだ。目撃者は彼以外にいなかった。おかげで痕跡を探すのに苦労したよ」


「本当に桃花と神楽だったんですか? 見間違いじゃ」


「彼は長年私に仕えてくれた者だ。彼が見間違えるとは思えん。ましてそれが最期の言葉ならば尚更の事だ」


「最期? 死んだんですか」


「背後から心臓を一突き。鮮やかな手際だった。確実に心臓の位置を把握した者による優れた切れ味を持った刃物での殺傷。加えて彼の最期の言葉である椎名姉妹。疑うには十分過ぎると思うのだが、何か間違っているかね?」


「ま、待ってください! だからって桃花と神楽がそんな事をしてもメリットよりもデメリットの方が大き過ぎます。あの二人ならそんな真似はしないはずです!」


「言ったろう。色恋は人を狂わせると。何度も椎名に間者を放っているが、誰一人として返ってくる者はいない。最早、椎名は完全に鬼灯と敵対したと見て間違いない」


(ふざけんな! ふざけんなふざけんなふざけんな! 話しが正しければ完全に俺のせいで死亡フラグが建設されちまったって事じゃねえか! あのバカ野郎達は何やってくれてやがる! 完全に詰んだ。詰みだ詰み。ここから椎名と鬼灯の仲を取り持つとか不可能だ)


「そこでもう一度聞く。『君はこの件に関係していないのだろうな?』」


 とんでもない霊圧だった。伊達に名門鬼灯家の現当主をやっていない。並の退魔師であればそれだけで気を失いかねない圧だ。普段千鶴を相手に訓練しているおかげで表面上平静を保っていられるが、内心は心臓バクバクだった。言霊でいいように操られないように気合を入れる。


「していません。俺は本当に何も知りません。だから、気を収めてください。そんなものぶつけられてたら落ち着いて話せません」


「そういえば、君の師は安倍千鶴だったな。であればこの程度の言霊は通用せぬか」


「言霊なんか使わないでも俺は一切嘘言ってませんよ。ここに来たのだって、純粋に薫が心配だったから来ただけです」


「そうか。いや、すまない事をしたね。私も少々気が立っていてね」


「娘が行方不明ならしょうがない事ですよ。それはそうと、これからどうするつもりなんですか。まさか椎名家に戦争ふっかけるってのはナシですよ?」


「我々としても確証には至っていないのだ」


(それ裏を返せば確証を得たらやるって言ってるようなものじゃねえか。マジで勘弁してくれよ……)


「さて、君が嘘をついていないとわかったところで、私は君を無事に返すつもりだ。ここまで言えば察しの良い君の事だ、私の言いたい事がわかるね?」


「あの二人の間者をやれって事ですか……冗談キツイですよ」


「私は真剣だ。聞き入れてくれれば、君のお願いを一つ叶えてあげよう」


(神楽の影に隠れているから一見穏やかなように見えるけど、桃花もあれはあれでかなり性格キツイからな。仮にあの二人が薫を拐ったとして、まだ頭と身体が繋がっている保証はないぞ……)


「仮に、仮にですよ。もし薫が死んでいたとしたらどうするつもりですか?」


「その時は諦めざるを得ないだろう。安心しなさい、君のお願いを叶えるという約束は守る」


「それまで俺が生きてたらいいですね……」

「何、君は君が思っているよりしぶといよ」


「だといいですけど……。間者の件は了解しました。ただ、一つだけ約束してください。もし本当に椎名が犯人だったとしても、薫が無事だった場合は椎名と戦争するような真似はやめてください」


「どうするつもりかね」

「理由が俺だとすれば、俺がなんとか説得します。それがきっと最善です」


「……約束は出来ないが善処しよう」

「きっとですよ? 鬼灯と椎名が争うとか地獄以外の何者でもないんですから」


 その言葉を最後に、恭弥は激しく憂鬱な気持ちを背負いながら鬼灯家を後にした。自宅まで車を出すと言ってくれたが、とてもそんな気にはならなかった。

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