第28話

 軽口を叩くほど嬉しそうな神楽に反して恭弥はこの世の終わりみたいな顔をしていた。


 というのも、あまり悪目立ちしてしまうと正史とは違った流れを進んでしまうかもしれないと考えているからだ。AVGという媒体の性質上、「夜に哭く」の主人公は男女問わずとにかくモテる。モテてモテてモテまくる。


 具体的にはヒロインルートに入る直前辺りでは毎昼食ごとにどのヒロインと昼食を摂るかという選択肢が提示され、街を歩けば都合よくヒロインとエンカウントしてデートもどきのイベントが発生する。


 名ありのヒロイン以外にも下駄箱はラブレターで溢れているし、男の好感度を上げる選択肢を取っていると英一郎や光輝と居酒屋で飲んでそのまま夜の街すすきのへと行ったりと、とにかく一人でいる時間がない。


 今まさに、恭弥はこのルートへと進みかけている。何もしなくても学園では文月と椎名姉妹がへばりつき、光輝のルートに逃げようとすれば文月を傍使いにした関係で必要以上に光輝との仲が深まってしまう。英一郎にしてもそうだ。彼と一定以上仲良くなるといつの間にか弟子認定されており、年の離れた男同士の友情とは別に、師弟関係まで構築されてしまう。八方塞がりとはこの事だ。


「そんな顔してないで、もう諦めましょうよ。何がそんなに嫌なんですか」


「俺は学園生活を穏やかに過ごしたいんだ。ただでさえ最近やたらと桃花が話しかけてくるから男子連中のやっかみが酷かったのに、この上神楽に文月まで追加されたらお終いだ」


「え、姉様学園で恭弥さんに話しかけてるんですか?」


「知らなかったのか? この間なんてふざけて耳に息吹きかけてきたんだぜ。氷の女王が聞いて呆れるよ」


「まんざらでもなかったでしょう」

「どうだか」


「……へえ。姉様私に嘘ついてたんですね。学園では誰とも関わってないって言っていたのに」


 ボソリと呟いたその内容に恭弥は心底恐怖した。これだけ切り抜けばなんでもないように思えるが、本編で彼女達が殺したいほど憎み合った原因の一つは嘘だ。まさか自分が原因で姉妹の関係が崩壊してしまうなど夢にも思わない。恭弥は慌てて軌道修正を図る。


「待て待て。それは俺が桃花に言わないように言っていたんだ。な、桃花!」


 桃花にアイコンタクトを図るも、彼女は澄まし顔で茶をすするだけで援護は見込めそうになかった。とはいえそんな事情を知るはずもない神楽からしてみれば仲睦まじく視線を交差させているようにしか見えなかったようで、


「どうしてですか」

 ドスの利いた声でそう言った。マズイ。非常にマズイ。神楽の瞳からハイライトが失われつつある。回答を誤れば取り返しのつかない事態に陥ってしまう可能性がある。


「だってお前、俺が桃花と仲良くしてたら機嫌悪くなるだろ」

「隠れてコソコソされるよりはマシです。やっぱりこの間の口付け未遂、本気だったんじゃないですか?」


(俺のバカ野郎。調子に乗るからこうなるんだ)


「そんな事はないぞ。あれは俺が冗談で桃花に迫ったんだ」


 本当のところはあわよくばとか思っていたし、抵抗するどころか受け入れる態勢を取っていた桃花の雰囲気に押されていたから、神楽が現れなければあの場でキスをしていたのは間違いないだろう。しかしながら、正直にそんな事を言うバカは今必要とされていない。必要なのはこの場を乗り切る嘘と勢い。桃花とは後で口裏を合わせればいい。


「本当ですか?」

「本当だ」


 ギラリと瞳孔ガン開きの瞳で恭弥を見つめる神楽の視線から決して目を背けず、自分が蒔いてしまった種を全力で回収にかかる。


「じゃあどうして私にはそういう事してくれないんですか」


「お前マジに受け取っちゃうだろ。再三言うが俺はまだ独身を楽しみたいんだ」


「そんな事言ってたら死んじゃうかもしれないじゃないですか。私達退魔師の寿命なんてだいたいが短いんです。だからこそ早く世継ぎをつくるべきです」


(なんでその歳でもう世継ぎの事考えてんだよ。これなんて答えるのが正解なんだ。頼む主人公。今だけでいい、お前の弁の立つその口を貸してくれ)


 必死に念じて、主人公の気持ちになった恭弥はこう言った。


「……お前の気持ちはよくわかった。じゃあこうしよう。後半年待ってくれ。半年後、その時まで神楽の気持ちが変わっていないようなら俺もしっかりとした返事をする」


 主人公の気持ちになって出した結論は問題の先送りである。半年後には主人公が神楽の前に現れているはずだし、順当にいけば神楽ルートには入らないにせよ彼は神楽の性格を丸くしてくれるはずだ。でなければ困る。とてもではないが、今の性格の神楽を御せるとは思えなかった。


 中でも一番困るのが、主人公が中途半端に神楽の好感度を上げて別のヒロインのルートに入ってしまった場合だ。


 その場合、神楽は主人公の四肢を切断して監禁してしまう。闘う力を失った主人公が戦線から離れた事で、ラスボスを倒す事が出来なくなり、北海道は妖怪帝国になってしまう。神楽は北海道崩壊の元凶となってしまうのだ。


「……本当に半年後、答えてくれるんですね?」

「ああ、約束する」


「なら、この場は引きます。だけど、覚えておいてください。椎名の家に来るのが嫌なら私が狭間家に嫁ぎますし、最悪私は側室でも構いませんからね」


 ホッとしたのもつかの間、サラッと放たれた衝撃発言にそんな制度もあったなと恭弥は思い出す。


 退魔師はある程度血が濃いほど強い異能が生まれる傾向にある。故に、強力な異能を持つ者がいれば近親者であろうと世継ぎをつくるのを良しとする風習があった。要は強い人は側室を何人持とうと許しますよ。その代わり強い子をいっぱい生んでね、という事だ。


「……検討しておく」

「言質取りましたからね? 今回は証人もいるんです。ね、千鶴さん」

「まあ、聞いてはいましたが、私は証人となるつもりはありませんよ」

「え?」


「私とて結婚して子供が欲しいですもの。死んだ事になっている今、相手は恭弥しかいませんし」


「そんなのってないですよー! 千鶴さんはお妾さんで我慢してくださいよ。側室になるなら身分戻さないといけないですし、面倒ですよ」


「なんとかします」

「なんとかって……それが出来ないから今この状況がある訳で――」


「ああもう! 小娘共がピーチクパーチクやかましいんじゃ! そんなに好いとるなら襲ってしまえばいいじゃろう」


「一理ありますね。どうします? 今ならいけますよ」

「一理ありますが、しかし本人の意思を無視というのは……」

「一理ねえよ。俺の意思はどこにいった」

「貴方方には慎みというものがないのですか」


 ここにきてようやく桃花が援護射撃をしてくれた。しかし、気勢を削がれたとはいえ神楽の攻勢は止まらない。


「恭弥さんって性欲ないんですか? 自分で言うのもなんですけど、私達相当美人の部類だと思いますよ。それなのに断るって絶対おかしいですよ」


 欲望に従って誰かと恋仲にでもなろうものなら正史がおかしくなるだろうし、そんな事をしでかした時点でヒロイン全員に死亡フラグが立つ気がしてならない。そんな事態に陥ってしまったら、至上目的である桃花の命を救う事もままならなくなってしまう。


 今はどれだけ好意を寄せられても答える訳にはいかないのだ。何をするにも全ては桃花を救ってからだ。


 ここが悪意と死亡フラグに満ちた「夜に哭く」の世界であるという事を忘れてはいけない。ちょっとした事で誰かが死んでもおかしくないのだ。作品世界を楽しみつつも、決して主人公がラスボスを倒すまでは特定の誰かに本気になってはいけない。


「そりゃ三人共街を歩けば十人中十人が振り返るくらいの美人だけどさ、だからこそ外見だけに惚れたんじゃないっていうのを証明したいんだ。もちろん、三人の性格が悪いなんて言うつもりはサラサラない。だけど、まだどうしてもこの人と添い遂げたいとは思えないんだ。そんな状態で付き合うのは相手に失礼だと俺は思うんだ」


 我ながら素晴らしい言い訳の言葉が口をついて出たと思う。この瞬間、恭弥の身には確かに主人公の精神が乗り移っていた。原作主人公はこうして人間関係を構築していったのだろう。


「そんな風に言われちゃったら何も言い返せないじゃないですか。卑怯ですよ」

「ごめんな。だけど、俺はその辺はちゃんとしたいんだ」

「恭弥は真面目ですねえ。困ったものです」

「体の良い言い逃れに聞こえない事もないですが、まあよいのではないですか」

「ふん、つまらん奴らじゃ。我はもう寝る。起こすでないぞ」


 天城はそう言って黒いシミの中に戻っていった。


「この野郎……場を荒らすだけ荒らしていなくなりやがった」

「しょうがないですよ。妖ですし。さて恭弥さん、学園での生活、覚悟は決めましたか」


「……腹くくったよ。どうせ半年後には答えを出さなきゃいけないんだ。それまでの間俺はだらしない姿をいっぱい見せるからぜひともその恋心をどっかにやってくれ」

「またそういう憎まれ口を叩く。お尻触らせてあげますから機嫌直してくださいよ」


「与えられたエロにエロスはない。俺は日常生活のふとした瞬間に訪れるエロにこそ本物のエロスがあると思っているのだ」


「なんですかそれ。じゃあ私はどうしたらいいんですか」

「どうもこうも普通に生活しろ。それでいいんだ」


 まったく、厄介な事になったと大きなため息をつく恭弥だった。

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