第29話

 狐や狸が変化の術を用いて人を化かすというのは、古くから人間社会に伝えられてきた迷信、伝承の類である。この世界における彼らは、実際に妖術を使い人を化かしてきたのだろう。元の世界に比べてその手の絵巻物の数が相当多いように感じられる。


 それから発展して、人間相手にも腹に一物持つ相手を女狐と言ったり、狸爺と言ったりする場面があるだろう。今まさに恭弥は眼前の狐の面を被る老人達に対してそう言いたかった。


「先のお務めは災難でしたな。なんでも妖の大群に襲われたとか」


「ただの調査のはずが、とんだピクニックになりましたよ。噂では稲荷家がお務め依頼を出したとか」


 チクリと嫌味を言う。あそこまで露骨な事をやってくれたのだ、これくらいは許されて然るべきだ。


 恭弥は昼食を摂り終えて昼寝をしようとしていたところ、協会本部から呼び出しがかかった。いつもの慇懃無礼な連絡係が言うには先のお務めについて稲荷家が詳細を求めているので面談してほしいとの事だった。一緒に行った桃花には声がかからず、恭弥単独での召集だった。大方家の格の関係上圧をかけやすいからだろう。


 目覚めてから何度目かになるかわからない大きなため息をついた恭弥は、家の格の関係上断るという選択肢が無かったので、痛む身体に鞭打って、こうして協会本部の稲荷家に与えられた研究室を訪れていたのだ。


 流石に前回の反省を踏まえて、恭弥には千鶴の分け身が付けられている。今頃狭間家では千鶴が式神を通してこのやり取りを見ている事だろう。


「書類上はそうなっていますが、それは便宜上の話です」

「そうですか。で、私を呼んだ理由はなんですか。正直身体が痛むんで今すぐにでも帰りたいんですけど」


「では挨拶はこの辺にしておくとしますか」


(何が挨拶だ、クソ狸が。テメーのせいで俺がどんな目に遭ったと思ってるんだよ)


「単刀直入に聞くぞ。どんな手を使って生き延びた?」

「何の話でしょうか」

「とぼけるな。お前があの規模の妖の軍勢を相手にして生き延びるなど不可能」


 常の慇懃無礼な言葉使いすら捨ててそう言い放つ老人からは、いつもの余裕は感じられなかった。自分達の目論見が外れたのが余程腹に据えかねているのだろう。


「そうは言ってもですね、私達は普通に戦っただけですよ。その結果、気を失った私達を椎名家の神楽嬢が救出してくれた。それ以外の事実はありません」


「お前の異能、確か霊力を物質化するものだったな」

「そうですが、それが何か?」

「他に何か隠しているのではないのか」


「だったとして、私がここで答えるとでもお思いですか。私の記憶が確かならば狭間家と稲荷家の間には軋轢は合っても親交は無かったと思いますが」


「お前……家の格を考えろ」

「ポッと出の貴方方には言われる筋合いはありませんね。そもそも、どうしてそこまで気にするのですか。まるで私達に死んでほしかったかのように聞こえるのですが、そこのところ、稲荷家は説明出来ますか?」


 狐の面の中で老人が苦渋に満ちているのがわかった。結局のところ、先程までのやり取りは二人が何故死んでいないのか、という問いをオブラートに包んでいただけに過ぎない。それをこうして直接聞いてやれば反論出来ないだろう事は見えていた。


「言っておきますが、俺は死ぬ気はサラサラありませんよ。あんた方がどんな手を使ってこようと、俺にはあんた達と違って味方がいる。伊達に長年狭間をやってない」


 狭間家は家の格は低くとも、昔から様々な家と親交を結んできた。だから、格の割に発言権は大きいし、こうした場面で虎の威を借る事も出来る。恭弥本人はあまりそうした事はしてこなかったが、父の代まで歴代の狭間家当主達が結んできた親交は恭弥の代でも繋がっている。


「あくまでも稲荷に敵対するつもりか」


「わかんないかな。俺はあんた達が仕掛けてこない限り何もするつもりはありませんよ。あんた達が邪魔だと思えば俺は俺に出来る限り嫌がらせをするし、どうせあんた達もそうするつもりなんだろ? お互い目の上のたんこぶなんだ。それでいいでしょう」


「…………もういい。下がれ」

「もうこんな事がないよう祈ってますよ。それでは、失礼します」


 恭弥が研究室を出てしばらくして、奥の部屋から小狐の面を被った男が現れた。


「奴はなんと言っていた」

 奴、とは稲荷家が恭弥に差し向けたぬらりひょんの事だ。ぬらりひょんは人語を解し、また取り引きをするだけの知性を有していた。


「アイツが出てくるなど聞いていない、と」

「アイツ? 狭間以外にもあそこに向かっていた者がいるのか?」


「いえ、トンネルの入り口を監視していましたが、狭間と椎名姉妹以外に侵入した者はおりませんでした」


「まさかアイツを指す人物が椎名という訳でもあるまい。奴と椎名の妹御は直接対峙した事はないはずだ」


「はい。それに時系列を考えてもあり得ません。椎名神楽がトンネルに足を踏み入れたのは狭間恭弥と椎名桃花がトンネルに入ってから二時間後の事です。それから幾ばくもしない内に二人は椎名神楽に救出されています」


「おかしな話だ。それでは妹御が到着する前に奴は逃げ出していた事になるではないか」

「そういう事になります」


「奴はそれ以外には言っていないのか」

「手持ちの駒が減った事に大層怒りを示していました。会話らしい会話が成立したのはそれだけにございます」


「ふん。所詮は妖か。こうなれば、奴もいずれ使い捨てる場を見極める必要があるな。天上院の娘はどうなっている」


「施していた呪印の全てが解除され、強力な血の契約が結ばれていました」

「……どこまでも苛つかせてくれる。狭間の小僧が!」


 老人は机を思い切り叩きつけた。小狐の面を被る男は、老人のその様子をただ黙って見ている。あくまで必要な情報を伝えるだけの駒に徹するようだった。


「……あれを狭間が解けるはずがない。後ろについているのは誰だ。よもや椎名というはずはあるまい」


「椎名姉妹は狭間の周辺をうろちょろしています。元々妹の方はその傾向がありましたが、最近では姉の方にもその傾向が見られます」


「下の付き合いか。忌々しい。椎名の父君の様子はどうだ」

「未だ静観を保っているようです」


「ふむ。下の付き合いに口を出すつもりはないという事か。……そういえば、鬼灯家には一つ貸しがあったな。あそこの娘も狭間と同年代だったはずだな?」

「その通りでございます」

「最早手を選んでいる段にあらず。なんとしてもアレの復活の手筈を見つけなければ」


 老人が見つめるその先。研究室の奥の更に奥。そこでは液体で満たされたガラスの培養装置にあどけない少女が管に繋がれ深い眠りについていた。

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