第25話

 深い眠りの中にある恭弥の意識は、更に深い場所へと潜っていた。


 ――違う。こんなの俺じゃない。


 迫りくる妖を切り払い、土手っ腹に拳を突き入れて臓物を抜き出して食らう。


 ――俺の戦い方じゃない。


 恐怖に身をすくめる妖の首元にかぶりついて肉を引きちぎる。


 ――やめろ。


 浴びる血を飲み干し、喰らい尽くす。まさに鬼の戦い方。


 ――やめてくれ!


「それを望んだのはお前じゃろ」


「天城……」


「お前は力を欲した。じゃから我がほんの少し手を貸してやったのじゃ」


「だからってあんな戦い方はないだろ」


「生き延びたいというから生かしてやったのに、文句の多いやつじゃな」


「お前まさかどさくさに紛れて俺の身体乗っ取ってないだろうな」


「乗っ取ってはおらんよ。契約じゃしな。ただ、今は著しく身体能力が下がった状態じゃな。それもこれもお前の身体が脆いからじゃ。ま、安心せえ。もうじき意識も浮上するじゃろ」


「そう、か。一応、礼は言っておくよ。お前のおかげで桃花は無事だったみたいだし」


「くふふ。精々頑張って生きる事じゃな。ほれ、意識が浮上するぞ」


 目覚めは最悪だった。守りたいと渇望していた相手を自身の非力故に死なせてしまうところだった。天城がいなかったら、あの場で二人共くたばっていた。


「恭弥? 目が覚めたのですか」


 隣を見ると、床に敷かれた布団から千鶴が身体を起こしてこちらを見ていた。眠気まなこをコシコシとしているその様子に恭弥は言い知れぬ安心感を覚えた。


「千鶴さん……」

「その様子では、何事もないようですね。おかえりなさい。あなたが無事でよかった」


 おかえりなさい。その言葉を聞いた瞬間、堰を切ったように恭弥の双眸から涙が溢れた。


「俺、自分が情けないです。好きな人も守れない自分の無力さが憎いです」


 ふわりと、甘い香りが恭弥を包んだ。千鶴は自身の服が涙で濡れる事もいとわずに恭弥をその胸で抱きしめた。慈愛に満ちた表情で頭を抱え込み、優しく問いかける。


「辛いですか」

「こんな、泣くつもりなんかないのに……なんでかな。涙が止まんないんです」

「辛い時は誰だって泣く権利があります。いいんですよ」


 トントンと優しいリズムで千鶴は恭弥の背を叩き始めた。


「俺、調子に乗ってたんだと思います。千鶴さんの事を救う事が出来て、運命なんて簡単に変えられるんだって思い上がってた。主人公にでもなったつもりになって、本当の主人公は別にいるのに俺だってやれば出来るんだって勝手にいい気になってた」


「男の子ですもの、たまには調子に乗るくらいの気概は大切ですよ」


「俺……俺、悔しいです。守れなかった。天城がいなかったら桃花を死なせてた」


「大丈夫。二人共生きているんです。結果が全てですよ。今だけは、ゆっくりと泣きなさい」


 暫くの間、室内に恭弥の嗚咽と千鶴の背を叩く音が静かに響き渡っていた。


   ○


 夜が明けた。千鶴よりも一足先に目を覚ました恭弥は階下の居間へと下りた。桃花も神楽もまだ眠っているのか、居間には文月しかいなかった。トントンとリズムよく包丁を鳴らし朝食の準備をしていた。


「恭弥様! もう大丈夫なのですか?」

 文月は包丁を置いて駆け寄って来た。


「ああ、迷惑かけたみたいだな。桃花と神楽は?」

「まだ眠っていらっしゃいます」


「そうか……昨日の今日だもんな。起きるまで待つしかないな。俺歯を磨いてくる」


 洗面台の前に立ち、鏡を覗いた恭弥は驚愕した。黒々としていた自身の髪色が、ところどころ色が抜けて派手なメッシュを入れたようになっていたのだ。


「マジかよ……この歳で黒染めとか冗談だろ……」


 虚しい気持ちを抱えながらシャコシャコと洗面台の前に立って歯を磨いていると、桃花と神楽の声が聞こえてきた。どうやら二人共目を覚ましたようだ。


 歯を磨きに来た二人と入れ違いで居間に戻った恭弥は、少々値の張る座椅子にドカっと腰を下ろした。


「高い座椅子買っててよかった……マジ身体に優しい」

「朝食は召し上がれますか? 難しいようでしたらお粥を作りますが……」

「いや、むしろ腹減って腹減ってしょうがない。今すぐにでも食べたいくらいだ」

「かしこまりました。すぐにご用意致します」


「おはよう御座います。恭弥さん、もう身体はよろしいんですか」

「おはよう桃花。あちこちボロボロで歩くのがやっとって感じだよ。そっちはどうだ?」

「わたくしは貴方のおかげで打ち身程度で済みました」

「そうか。よかった」

 桃花が座ると同時に神楽も居間にやってきた。


「おはようございます」

「おはよう神楽。昨日は悪かったな。おかげで命拾いした」

「いえいえ。無事でよかったです」


「しかし、さっき歯を磨いててびっくりしたよ。白髪になってるんだもんな」

「そうですよ。その髪どうしたんですか?」

「俺にもよくわからん。飯食い終わったら昨日の事話そう」


「ですね。それより聞いてくださいよ。姉様ったら酷いんですよ。私の寝相が悪いからって夜中に私の事叩き起こしたんですよ」


「貴方が寝ぼけてわたくしの布団に侵入してくるからでしょう」

「だからってグーで殴る必要はないじゃないですか」


「……わたくしにキスをしようとしたのを覚えていないのですか?」

「ははっ、なんじゃそりゃ。神楽そんな事してたのか」

「えー! そんな事してないですよお」

「してました」


 そうして談笑しながら三人でちゃぶ台を囲って朝食が出来上がるのを待っていると、文月が朝食を運んできた。焼き魚に納豆、漬物と味噌汁、ハムエッグに牛ステーキとサラダ。


 朝からヘビーなメニューに思えるが、退魔師は職業柄体力と筋肉の消耗が激しい。だから、毎食最低でもこれくらいは食べなければ身体が保たないのだ。特に、タンパク質は重要視されている。


「千鶴さんには悪いけど先に食べてよう。あの人朝弱いからな」

「いただきます」


 揃ってあいさつをして食べ始める。しかし、昨日のダメージが残っている恭弥は箸を手にして料理を摘もうとするも、ぷるぷると震えて箸がまともに持てなかった。何度か挑戦するも、いずれも成功する事はなかった。


「私が食べさせて差し上げます」

 見かねた文月が箸を持って恭弥の口元まで料理を運んだ。


「……すまん」

 図らずも、文月の夢の一つだった、あーんが叶った瞬間である。


 そんな姿を面白くなさそうに見ながら神楽は乱暴にフォークで肉を突き刺す。むしゃむしゃと咀嚼して野菜が沢山入った味噌汁で飲み込む。悔しいほど美味しかった。


 朝食を半分ほど食べ終えた辺りで、寝ぼけ眼の千鶴が居間に下りてきた。


「ふわあぁ……むにゃむにゃ。美味しそうな匂いですねえ。おや皆さんお揃いで」


「おはようございます。早く顔洗って目を覚まさないとご飯冷めちゃいますよ」


 昨晩の出来事を思い出し若干照れくささを感じつつも、常と変わらない雰囲気を維持するために恭弥はそう言った。だが、気付く者がいた。


「うーん? 昨日の夜なんかあったんですか?」

 神楽だ。彼女は野生の勘とでも呼ぶべきもので二人の間に師弟関係を超えた特別な感情があると感じた。


「な、なんもないぞ? なんでだ?」

「怪しい。本当に何もなかったら、なんで、なんて聞き返さないですよ。ねえ姉様」


「そうですね。大方、千鶴さんに泣きついたのではないですか」

「……聞いてたのか」


「適当に言ったのですが。墓穴を掘りましたね」

「ぐっ……! 俺とした事が!」


「えー恭弥さん泣いたんですか。どうして泣いたんですか?」

「う、うるさい! 泣いてない!」


 恭弥が神楽に詰め寄られていると、顔を洗い終えた千鶴が居間に戻ってきた。


「ふう、さっぱりしました。文月さん、私のご飯はありますか?」


「はい、ご用意してあります。蝿帳の中に入れてありますので、申し訳ありませんがご自分でご用意をお願い致します」


「はいはい。文月さんの作った晩ごはんは美味しかったですからねえ、朝食も期待です」


 パタパタと朝から恭弥が詰められる原因を作った千鶴は台所へと向かった。「わあ、美味しそうです」なんて事を言っている千鶴に、恭弥は深いため息をついた。

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