第21話
迎えた放課後。恭弥の予想通り、文月を傍使いにするという話はすぐに実現された。昼休みの連絡から数時間後の放課後の時点で、文月の身柄は恭弥が管理するという事になった。後は面倒な書類を書いて提出すれば、晴れて文月は恭弥の所有物となる。
人間を物扱いする業界の慣例に、恭弥は当初嫌悪感を抱いていたが、あまりにも人の命が安く取り引きされすぎて、いつしか嫌悪感を覚えるという事を忘れていた。
とはいえ、恭弥に文月を物扱いする気は微塵もなく、むしろ普通の女の子としての人生をスタートさせてやりたいとすら考えていた。
そんな中異例中の異例といえる早さで狭間家を訪れた文月の荷物は、スーツケース一つに収まる程度にしかなかった。てっきり引っ越しのトラックが来るとばかり考えていた恭弥からすると拍子抜けもいいところだった。
「本当に荷物それだけなのか?」
「はい。私物を持つ事は許されていなかったものですから」
恭弥は深いため息をついた。この年頃の女性なら、それこそいくらスペースがあっても足りないほどに服を欲しがったり、化粧品だなんだと引っ越しの際に大量の物の移動があるはずだ。そんな中文月の全てはスーツケース一つに収まるほどしか無い。彼女が不憫でしょうがなかった。
「……欲しい物があったらなんでも言ってくれ。可能な限り買ってあげるから」
「ありがとうございます。ですが、私は恭弥様の傍使いになれただけで満足です」
「いや、文月には普通の女の子になってもらおうと思ってる。だから、学園で友人をつくってもいいし、その友達と放課後遊びに行ったりしてもいい。もちろん傍使いとしての給料も渡すから、その範囲で好きなように物を買ってもいいんだ」
「恭弥様……」
「もう君を縛る天上院はいないんだ。そこら辺の意識から変えていく努力をしてくれ。俺相手に敬語を使う必要もないぞ」
「かしこまりました。ですが、言葉使いだけは認めていただきたく思います。これは、私の恭弥様に対する感謝の印でもあるのです」
「文月がそう言うなら俺は別に構わないけど……。まあ、立ち話もなんだし中に入るか。これ隠形の札。どうせ盗聴されてるだろうから解くまで身体のどっかに貼っててくれ」
「それでは腕に方に」
家に入った恭弥は文月を伴い一目散に地下室へと向かった。万が一の事態に備え千鶴には事前に連絡を入れて地下室で待機するよう言ってあったのだ。ここであれば、室内で行われている事が外に漏れる心配はそうそうない。
「久しぶりですね。まさかあの時の子が恭弥の傍使いになるとは思いませんでした」
地下室で待機していた千鶴はペットボトルのお茶を飲んでいたようだった。
「先日はお世話になりました。改めて、本日からよろしくお願い致します」
「はい。よろしくお願いします。それにしても、恭弥にはもったいないほど礼儀正しい子ですねえ」
「余計な事言ってないでさっさと終わらせましょう」
「恭弥はせっかちですねえ。さて、それでは文月さん。服を脱いで下着だけになってそこの布団に横になってください。恭弥は見ないように」
「言われなくても見ませんよ」
背後でシュルシュルと衣擦れの音が聞こえる。努めてそれを耳に入れないようにしながら恭弥は今日のお務めについて考える事にした。
放課後に傍使いの件について協会から連絡があった際に、恭弥はついでに日帰りで出来そうなお務めがないか尋ねていた。その返事がつい先程あったのだが、それがどうもきな臭かった。霊気の乱れが発生したので異変が無いか確認してほしいという内容のお務め。
通常、妖が発生した場合は斥候として諜報部が送られ、退魔師が出張る案件か否かの確認がなされる。諜報部の人員も退魔師ほどではないにしろ戦闘能力自体はある。故に、その場で解決出来そうな案件であれば解決し、それが出来ない場合に退魔師が出動するのだ。
今回のお務め内容を見ればどう考えても諜報部が行くべき案件だ。はっきりと妖が出現した訳でもないただの異変調査で退魔師である恭弥が駆り出されるのはどう考えてもおかしかった。しかも、パートナーとしてわざわざ桃花が指定されていた。ここまで状況が揃っていると裏があると見てまず間違いない。
「怪しさ満載……とはいえ行かないという選択肢は無いんだよな」
今回の依頼は協会からのものであり、発言権の向上、ポイント稼ぎ、諸々を考えるとメリットばかりだ。何事もなければそれこそただの美味しい依頼で済む。番付の順位がとんでもない事になっている現状、少しでもポイントを稼がなければ今後動きづらくなってしまう。
先程桃花にも確認の連絡を入れたが、いわく「パンドラの箱は開けなければ中に何が入っているかわかりません」との事だ。
確かに、この依頼に裏があるのだとしたら、実際に現場に赴いて確認しなければ何もわからない。嫌な予感はするが、覚悟を決めなければいけないのかもしれない。
「恭弥、終わりましたよ。もうこちらを向いて構いません」
「どうでした?」
「やはり、限界いっぱいまで呪印の数々が施されていました。一般人にここまでするとは正気の沙汰ではありませんね。相当身体に負担があったはずです」
「文月、身体ダルくなかったのか?」
「普段より重いな、とは思っていましたが、疲れているだけかと」
「今度からは何かおかしいなと思ったら俺か千鶴さんにすぐ言ってくれ。どんな些細な事でもだ。しつこいようだけど、今の関係は綱渡りのように危ないバランスで成り立っているんだ。ちょっと傾けば命のオッズがとんでもなく低くなる」
「かしこまりました」
「さて、理解していただいたところで次は血の契約ですね。祝詞をあげます。準備をしてあるのであそこでお二人共向き合ってください」
千鶴が指した場所には、天照大神の神札を祀った神棚を中心に様々な神具が並べられていた。三方、榊立て、御幣、高坏。流石に神具全てを集める事は出来なかったようで、最低限の物しかないが、形代と巫女役を千鶴が行うので、その効力は並のものではない。
「文月さんは祝詞の作法はご存知ですか」
「申し訳ありません、最低限のものしか知り得ません」
「では、今回は私が肩代わりします。私が祝詞をあげ始めたら目を閉じ、精神を集中させてください。文月さんは恭弥の事を恭弥は文月さんの事だけを考えます。その後お互いの波長の合致を確認したら合図を出しますので、高坏に置かれた短刀で人差し指を切ってください。その血を使って互いの掌に五芒星を書いてください」
「かしこまりました」
「では始めますよ。高天原に神留坐す天照大神よ――」
千鶴が祝詞を発すると同時に、場の空気が明らかに一変した。不浄な穢れは一掃され、神が降臨するに相応しい場へと変貌を遂げる。そんな中で、恭弥と文月は一心に相手の事のみを思考する。そうして、互いの精神にパイプのような物が繋がった感覚が生まれた。
「お二人共、誓いを」
千鶴が発した合図と共に、高坏に置かれた二つの短刀をそれぞれ手にする。そして、人差し指に僅かに切り込みを入れる。
まずは男である恭弥が文月の掌に五芒星を描く。それが終わると、今度は文月が恭弥の掌に五芒星を描く。
「形代たる安倍千鶴の名に置いて、天上院文月に沈黙の印を植え付ける。汝、狭間家にまつわる一切を他言する事禁ずる」
二人の掌に描かれた五芒星が宙に浮き、ゆっくりと文月の胸の内に吸い込まれていく。
「ここに血の契約の成立を認める」
その言葉を最後に厳かな空気が霧散した。千鶴に降りていた神が高天原へと還っていったのだ。
「よし、これで文月はウチの事を話せなくなった。少々不便だとは思うけど、我慢してくれ」
「いえ。しかし、もう話せなくなったのですか? 実感が湧きません」
「対象者は俺と千鶴さん以外だからな。他の人に話そうとすると声が出なくなる。口だけがパクパクと動く感じだな」
「なるほど。退魔師の方々はこのような事が日常にあるのですね」
「いやー血の契約は結構珍しいぞ。効力が効力だからな。それに、今回千鶴さんが降ろしたのは神の中の神、天照大神だ。千鶴さんも疲れたでしょ」
「ええ。久しぶりに祝詞をあげると疲れますね。お腹が空きました」
天照大神をその身に降ろしてお腹が空いたの一言で片付けられる者が果たしてどれだけいるか。相変わらずの千鶴の姿に恭弥は空恐ろしいものを感じた。
「神様によって違うのですか?」
「全然効力が違う。天照大神を降ろせる人なんて数えた方が早い。その分並大抵の事じゃ破れない強力な契約だ」
「しかしこれで、晴れて文月さんも狭間家の一員となりますね」
「どうぞよろしくお願い致します。お腹が空かれたのでしたら、何かお作り致しますが、どうされますか?」
「なんと勤勉な方でしょう! 恭弥も少し見習ってほしいものですね」
「勤勉な俺はこれから飯も食わずにお務めですよ」
「お弁当はお持ちになりますか? 急ぎで作りますが」
「いや、もう出なくちゃいけないからいい。コンビニでおにぎりでも買って食べるさ」
「それでは夕飯も外で食べてくるのですか? 食べないのなら恭弥の分も私がいただきますよ」
「んー状況次第かな。かなり怪しい内容だから下手したら帰れないかもです」
「分け身を付けましょうか?」
「いや、流石の千鶴さんも祝詞あげて疲れてるでしょ。桃花もいるし、二人でなんとかしますよ。文月とゆっくりしててください。そんじゃ、行ってきます」
「気をつけるのですよ」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
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