第20話
「足を止めなさい!」
「桃花! 大丈夫なのか!」
「いいから! 足を止めるのです!」
問答をしている余裕はなかった。恭弥は霊力を行使して牛鬼の関節をロックすると同時に、千鶴に教わったばかりの簡易結界を張った。
そうして生まれた一瞬の硬直。その一瞬を無駄にしないために、桃花は今の自分が出せる最大にして最高の技を使用した。
「貴方に死に化粧を施しましょう。それはとてもとても綺麗で残酷な美しさ」
桃花の言葉と同時にいずこから桜の花びらが舞い始める。ピンク色の桜が奏でる艶やかな舞台を桃花は翔ける。
「雷鳴は鳴り響き、いずれその華を咲かせる。輝け、
雷が生まれた。天より降りしその一撃は、牛鬼の肢体を余すところなく駆け巡った。だが、絶命させるには至らなかった。ブスブスと煙を上げ、肉の焦げた臭いをさせながらも、牛鬼は確かにまだ生きていた。
「はあ……はあ……!」
限界だった。元々消耗していたところに、実戦で使うにはまだ不安の残っていた大技を使用した桃花は今にも気を失いそうだった。
「……今度こそ無理です。逃げなさい。牛鬼が相手であれば、誰も貴方を否定しません」
「いや、もう大丈夫だ。後は俺に任せろ」
フラフラとふらつきながら、恭弥は不用心に牛鬼に近づいた。そして、浅い息を放つ牛鬼に噛み付いた。
「何を……?」
「ウチの家の禁術。捕食っていうんだけど、あんまり褒められた術じゃないから黙っててくれると嬉しい」
ガブリガブリと牛鬼を喰って身体を修復していく恭弥の姿は、不思議と気味が悪いとは感じなかった。むしろ、頼り甲斐があるとすら思った。
(このような感情を他人に抱くなど……)
さしもの恭弥も、負った傷が深すぎた。どれだけ牛鬼を食そうとも、折れた骨は治っても傷跡が消える事はなかった。
その傷は、本来であれば桃花が負うはずであったものだ。本編における桃花は常に右腕に包帯を巻き、真夏でもタートルネックを着て傷跡を隠していた。女性の身体に一生傷を残すなど到底恭弥は容認出来なかった。だから、少しだけ正史に介入した。
恭弥は半分ほど食べ終えると、牛鬼の脳天に刀を突き刺し今度こそ絶命させた。
「貴方、狭間恭弥といいましたね」
口の周りについた血を霊装の袖で拭っている恭弥に問いかける。
「そうだよ」
「貴方には、わたくしを名前で呼ぶ事を許可します」
(彼ならばあるいは……育成を試みるのもまた一興でしょう)
「やっとか。ここまで長かった……諦めないでよかったよ」
「貴方は諦めが悪いようですね。退魔師に向いていない性格です」
「かもしれないな。だけど、変えるつもりはないよ」
「そうですか。妖も討伐出来ました。帰ると致しましょう」
そう言って桃花は踵を返そうとしたが、足にきているのか踏み出した一歩が地面を捉えきる事が出来ずにその場に片膝をついてしまった。
「平静装ってるけど実は結構きてるだろ。ほれ、おぶされ」
常であれば、どれだけ弱っていようと他人に弱みを見せるような真似はしない。だが、今日だけは、今だけは等身大の女の子になってもいいのではないだろうか。どうしてかそんな風に思えた。
(少しは他人に甘えてみてもいいのでしょうか?)
全ては牛鬼が悪い。そんな明らかな言い訳を自分自身に言い聞かせた桃花は恭弥の背におぶさる。その白い頬が僅かに朱に染められている事に恭弥は気づかない。
「乗ったな。一応優しく運ぶつもりだけど痛かったら言ってくれ」
彼の背は思った以上に大きかった。自身の体重を全て預けて尚頼もしく支えてくれた。そんな恭弥に、どこか父性にも似たものを感じた。
不思議な事だった。桃花の父は物心付いた頃には自身に厳しく接していた。おもちゃを買ってもらったり、家族で遊びに行ったりといった普通の女の子が体験するだろう経験をせずに桃花は育ってきた。だから本来、父性などというものは理解出来ないはずだった。
「痛くないか?」
「……大丈夫です」
優しく問いかける恭弥の声に、自身の心がほだされていくのがわかった。それは同時に、椎名家の長女としての自分を消していく行為でもあった。
(こんな事ではいけない)
「もう一人で歩けます。下ろしてください」
激しく揺れ動く心に別れを告げるためにそう言った。だが、返ってきた言葉は、
「無理するな。女の子なんだからこういう時くらい男を頼れ」
自身を女の子扱いする者など初めてだった。今まで誰も彼もが自身を椎名家の長女としか見てくれなかった。
遂に観念した桃花は、大人しく恭弥に甘える事にした。
「……ありがとうございます。
果たしてその言葉が恭弥の耳に届いたか否か、恭弥は黙々と森を歩く。
そうして森を抜けると、椎名家の移送車が路肩に停まっているのが見えた。
「お、桃花の家の車か?」
「ええ、もう大丈夫です」
「それじゃ俺はお役御免だな。気をつけて帰れよ」
「貴方はどうするのですか」
柄にもなく他人の身を案じてしまった。今夜はどこかおかしい。それもこれも全部牛鬼のせいだ。決して恭弥のせいではないはずだ。
「貧乏人はその辺のタクシーでも拾って帰るさ。それじゃあな」
「あ……」
何か声をかけようと思ったその時にはすでに恭弥はそっぽを向いてしまっていた。てくてくと振り返らずに歩き去っていくその様を、見えなくなるまで桃花は見ていた。
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