第19話 ※残酷描写あり。
これは過去の出来事。恭弥が千鶴に師事して間もなく、桃花も本格的にお務めに参加するようになったばかりの頃の話だ。
当時の桃花にとって恭弥は、取るに足らない末席の退魔師。それ以上でも以下でもない存在だった。むしろ、お務めでペアを組んだ際にしつこく話しかけてくるので鬱陶しいとすら思っていた。
そんな中下された討伐の令。ペアを組む相手は「また」恭弥だった。
(またこの男……鬱陶しい)
桃花は恭弥がわざわざお務めを選別し、桃花とペアになれるものを選んでいるのを知っていた。そして、その理由を大方椎名家に気に入られるためだろうと考えていた。
「よっ! 桃花」
「名前で呼ぶなと言ったはずですが」
「つれないこと言うなよ。せっかくペアになったんだし仲良くやろうぜ」
「ペアになるよう仕向けたのは貴方でしょう」
「なんだ知ってたのか」
「ここまで露骨にされれば誰だって気付きます」
「わかってんなら仲良くしようぜー。そんな仏頂面してないでさ。笑顔笑顔」
返事を返すのも面倒だった。桃花は恭弥を無視して妖が発生したとされる場所へと向かった。少し遅れて付いてきた恭弥は、未だ諦めずに桃花に話しかける。
「専属の退魔師無しでのお務めは初めてだな。緊張してる? 実は俺緊張しちゃって昨日の夜眠れなかったんだよね」
桃花は返事をせず、あくまで妖の探索に気を配る。そんな桃花の様子にめげる事なく恭弥は話しかけ続けた。
そんな時間がしばらく続いた後、ソレは現れた。
「…………牛鬼……そんなはずは」
二人の前に現れた妖は「牛鬼」だった。鬼の中では下位とはいえ鬼の名を冠する妖だ。熟練の退魔師であれば片手間で倒せる相手とはいえ、駆け出し二人が戦う相手としては格が上過ぎた。おまけにここは森林だ。二人が戦い慣れていないフィールドだった。
「諜報部の奴ら何をどう間違ったら牛鬼と餓鬼を見間違えるんだよ。撤退するか?」
「いえ、このまま放置すれば被害が拡大してしまいます。このまま討伐しましょう」
「そうくると思った。ちなみに勝算は?」
「……無駄話は結構。行きますよ。貴方はサポートをなさい」
「あいよ」
身長三メートル程度の筋骨隆々の漆黒の身体に牛の頭が乗った牛鬼。一般的な鬼と同じで概念系の攻撃などはせず、見た目通り力任せに拳を振るうだけの相手だ。だが、そんな風に評する事が出来るのは熟練の退魔師だけだ。駆け出しの二人にとって牛鬼の行動一つ一つが命を刈り取りかねない驚異であるのは間違いなかった。
「っく! 硬い!」
本来の雷斬であれば難なく切り裂く事が出来るはずの牛鬼の身体が、恐怖心から霊力の扱いに乱れが出ているせいで体表を傷つけるだけに留まっている。
なんとかして霊力の流れを安定させなければ。そう思えば思うほど焦り、余計流れが乱れていく。自身とさして経験の変わらないはずの恭弥は飄々と自身に課せられたノルマを達成している。着実に牛鬼の動きを阻害しているのだ。それがまた腹立たしかった。
「動きを止めなさい!」
「今やってるよ!」
そう、恭弥はやるべき事をしっかりとこなしている。何も出来ていないのは自分だ。なんとかしなければ。その焦りが決定的な隙を生んでしまった。
一瞬立ち止まった桃花の土手っ腹に牛鬼の拳がめり込んだ。無様に地面をゴロゴロと転がり、大木にぶつかってようやく勢いが止まった。
「くっふ……!」
初めて食らう妖の本気の一撃。椎名家の強力な霊装がなければ今頃腹に風穴が空いていた。立ち上がろうにも膝が笑って上手く立てなかった。
「大丈夫か!」
恭弥は懸命に牛鬼に攻撃を仕掛けるが、その甲斐なく牛鬼の視線は完全に桃花に向けられていた。弱った相手から始末するのは自然の摂理である。
「……逃げなさい。今ならば奴の注目はわたくしに向いています。貴方一人なら逃げられます……」
「やだね! 女残してトンズラなんて俺の美学に反する」
恭弥は桃花の前に躍り出ると、両手に霊力で作り上げたナックルを構える。駆け出しの退魔師が牛鬼と殴り合おうなど無茶を通り越して無謀だった。
牛鬼が拳を振りかぶる。同様に、恭弥も拳を振りかぶった。そして同時に相手に向かって拳を突き出す。一瞬だけ拮抗したが、所詮は駆け出し、結果は火を見るより明らかだった。恭弥は盛大に吹き飛ばされた。
「言わない事のない……」
牛鬼が鋭く尖った爪をベロリとねぶった。汚泥のような臭いのする唾液を塗りたくったそれを、桃花に突き刺すつもりなのだろう。ノシノシと向かってくる。
(わたくしが死ねば神楽が当主となるでしょう。無駄な争いがなくなるのであれば、これはこれで良かったのかもしれませんね)
自身の死を覚悟した桃花に待ったをかけた人物がいた。恭弥だ。
「俺を無視してんじゃねえよ」
恭弥は吹き飛ばされながらも衝撃を分散させ、ダメージを最小限に抑えていた。そして、霊力で作り上げた槍を投擲したのだ。
槍は狙い通り寸分違わず牛鬼の右目に突き刺さった。ひとしきり痛みにのたうち回ると、牛鬼は鼻息荒くターゲットを恭弥へと変えた。
「おら、代わりの目ン玉はここにあるぞ。とっととこっち来やがれ」
刀を構える恭弥に向かって牛鬼が走る。怒りに任せて大きく振りかぶられた拳を股の間を抜ける事で回避した恭弥は、ついでとばかりに牛鬼の睾丸を切りつけた。
「わりいね。もう一個玉貰っちまった」
悶える牛鬼はこれまで以上に殺意に満ちた一撃を恭弥に向けた。それまでの大振りの攻撃とは違い、当てる事のみを考えた一撃。言うなればボクシングのジャブだ。
予想外の攻撃に恭弥は対応が遅れた。霊力で防壁を張りつつも、脳内では「あ、死んだかも」という思いがよぎっていた。
果たして強烈な一撃を食らった恭弥はなんとか生きていた。咄嗟に心臓を庇った右腕はところどころ骨が突き出しているという無残な状態にあり、衝撃を殺しきれなかった事で肋骨が何本か逝った形跡があった。
「……ちくしょう、調子に乗った。痛え……」
ゴホっと血反吐を吐く。口の中が一気に錆び臭くなり、苦味でいっぱいになった。
それでも尚恭弥の闘志は衰えていなかった。今にでも槍を携え、突貫しかねない闘気がそこにはあった。
(どうしてそこまで……)
桃花は不思議でならなかった。逃げようと思えばいくらでも逃げるタイミングはあったはずだ。にも関わらず、勝てもしない相手に挑み、傷を増やしていく。あそこまでして立ち向かっていく理由がわからなかった。
退魔師という生き物は皆大なり小なり利己的だ。特に、自分の命に代わるものなど無いという考えが基本だ。そこへいくと、今の恭弥は自分の命を懸けて桃花を救おうとしている。それが理解出来なかった。
「……痛いで済むような怪我ではないでしょうに」
接近戦は不利だと悟ったのか、恭弥は利き手ではない左手で苦無を投げる。狙いは牛鬼の残った左目だ。視界さえ封じてしまえばまだ勝機はあるという考えからだった。だが、牛鬼も先程の攻撃から自身の顔を狙う攻撃には敏感になっていた。左腕で顔をガードしながら恭弥へと向かっていく。
恭弥は震える身体に鞭打って必死に駆けずり回りながら苦無を投げ続ける。目を潰す以外に手が無いのだ。
「……どうやら、まだ諦める時ではないようですね」
心の平静は取り戻した。震える心と身体に活を入れる。雷斬に霊力を通すと、これまでに無いほど雷斬と意思の疎通が出来た気がした。
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