第18話
悪名高き「赤い月」事件。それは「夜に哭く0」のフィナーレを飾る残虐な事件だ。
文月を救い、光輝を成長させるには順序を変えればなんとかなる。人間ミンチに介入して光輝と共に妖を討伐し、本来死ぬはずだった文月を生かす。その後、なんとかして光輝に「赤い月」で自らの無力を呪う展開を作り上げる。そうすれば文月は生き残り、光輝は成長して本編で主人公の助けになってくれるはずだ。
皮算用に次ぐ皮算用だが、正直もうこれ以上頭を捻っても良案が思いつくとは思えなかった。そうと決まればすぐにでも行動に移す必要がある。まず最初は、
「文月、さっきまでの話しはなかった事にしてくれ。君にはすぐにでも俺の傍使いになってもらいたいんだが、大丈夫か?」
文月の身に危険が迫っているというのなら手元に置いておけばいい話だ。その方が不測の事態があった際に管理しやすい。
「願ってもない事です。手続きの方は恭弥様にやっていただく事になりますが、いつ頃になるでしょうか」
「今日、今すぐにだ。文月さえ良ければ今天上院に電話して話しを取り次ぐ」
「かしこまりました。では私の携帯をお使いください。兄に連絡すれば話しが通るはずです」
文月に断りを入れ、光輝に電話する。今の時間であれば妖の活動も活発ではないから事務処理辺りをやっている事だろう。
数回のコール音の後、電話が繋がった。
『もしもし、どうしたこんな時間に』
「俺です。狭間です」
『狭間? なんでまたお前が文月の携帯使ってるんだ』
「例の文月を傍使いにするって話、急なんですけど今すぐお願い出来ませんかね」
『おいおい、本当に急だな。ちょうど手が空いてたし、上に話しを通す事自体は出来るが、今すぐには無理だと思うぞ』
「いえ、たぶんすぐ通ると思います」
恭弥の目算では、老人達は今すぐにでも恭弥の元に間者を送り込みたいと考えている。とすれば、急な話であったとしても要求は通るはずだ。
『なんだかわからんがとりあえず話しは通しておく。結果が出たら文月に連絡させる』
「ありがとうございます。それじゃ、失礼します」
『おう、それじゃあな』
ブツっという音と共に通話が途切れる。スマホを文月に返すと、恭弥はこう言った。
「まず間違いなく今日中に結果が出る。それでなんだが、文月には俺と血の契約を結んでもらう」
「契約とはなんでしょうか」
「天上院は文月の事を間者としか考えていない。だけど、俺には探られて困る腹が山程ある。それこそ、バレたら物理的に首が飛ぶような案件だ。連中は卑怯な手を使って君を経由してそれを探るだろう。だから、そうならないために契約を結ぶ。沈黙の契約だ」
「私は構いませんが、その類のものは上の方々には破られてしまうのでは?」
「俺がやればな。だけど、俺には最強のお師匠さんがついてるもんでね。あの人が結んだ契約ならそうそう破られる事はない」
「恭弥様がそう称されるという事は、さぞかしお強い方なのですね」
「反則レベルだ。あの人がいなかったら俺は今頃野垂れ死んでる」
才能に恵まれない恭弥はお務めで何度も死にかけた。千鶴に師事していたおかげで死にかける程度で済んでいるが、何もしていなければ死んでいたと思える局面もあった。その分修行は文字通り血反吐を吐くほど厳しいものだったが、千鶴は確実に恭弥が生き抜くだけの実力を持つにまで成長させている。
「そろそろ昼休みも終わるな。一緒に出たら、連中に何クソ言われるかわかったもんじゃないから時間を空けて教室に戻ろう」
「連中とは誰の事でしょうか」
こてん、と可愛らしく首をかしげる文月に恭弥はこう言った。
「クラスメイト。学園じゃ目立たないようにしてるつもりなんだけど、周りにいる女性が揃いも揃って綺麗所なもんだから最近悪目立ちし始めててね。やっかみが酷いんだ」
秘密を共有した関係で、桃花とは公私問わず会話をする機会が増えた。それを見た薫が茶化してきて、更にそれを見たクラスメイト達が恭弥に嫉妬の目を向けるという悪循環が出来上がっていた。
「そうでしたか……では、お弁当を一緒に食べるのはやめた方がいいでしょうか」
「んー、ぶっちゃけ俺いつもボッチ飯してるから人目につかない場所なら全然アリ」
「とは言ったものの、談話室がいつも使えるとは限りませんからね。何か方法を考える必要がありますね」
「弁当渡して、はいさようならという選択肢もあるけど」
「望ましくはないです。出来れば一緒に食べたいです」
「……傍使いになったら俺の家に住む事になるし、噂が広まるのは見えてるからなあ。いっその事堂々とするかあ」
「実は私、屋上で一緒にお弁当を食べるというのをやってみたいと思っていたんです」
自由の許されない文月にとって、光輝がたまに買ってくる少女漫画はまさしく夢の世界だった。その夢が叶えられるのならば叶えてやりたいと思ってしまうのはしょうがない事だった。
「俺で良ければ付き合うよ」
「あ、後、あーんっていうのもやってみたいです」
「……それはちょっと、勘弁してくれ」
見るからに悲しそうな顔をする文月を見て、いつか恥を捨ててやる必要があるかもと恭弥は思った。
時間差で談話室を出て、教室に戻った恭弥を待っていたのはクラスメイト達の突き刺さるような視線だった。
意図的にその視線を無視し、席についた恭弥だったが、先程の件を追求する者がいた。
「ずいぶんとおモテになるようですね」
嫌味がたっぷりと込められたその声音と同調して桃花はジトっとした目を恭弥に向ける。
「勘弁してくれ。嫉妬の視線はストップ高だ。相手は天上院の娘さんだよ」
「なるほど。ずいぶんとお綺麗な方でしたね」
「桃花が言えた事かよ。お前と話してるだけでも俺は嫉妬の対象だ。そろそろイジメられるんじゃないかとこっちはヒヤヒヤしてるっつの」
「もっと話しかけましょうか。べったりと、厭らしく密着して、耳元で愛でも囁きましょうか?」
言うが早いか桃花は恭弥に顔を近づけ、耳元に息を吹きかけた。クラスメイト達が沸いたのがわかった。
「マジでやめてくれ。惚れちまうだろ。お前ら姉妹揃って俺に言い寄るのやめろ」
「そのように差し向けたのは貴方でしょうに」
「神楽に関してはまあ、何も言い返せないが、桃花に関しては俺何もしてないだろ」
「貴方はからかいがいがありますからね。つい」
「悪趣味だな。お前の趣味で俺の穏やかな学園生活は絶賛崩壊中だよ」
「貴方の苦しむ表情を見ているとゾクゾクしますね」
「このドSが」
本当のところを言うと桃花がこうなった原因に思い当たる節がない訳ではないが、かといってアレが原因でこうなるとは考えにくいのもまた事実。実際は桃花自身が言うように、ただ単にからかって楽しんでいるだけなのかもしれない。
「秘密を共有している相手にそんな事を言ってもよいのですか。気分次第では口が軽くなってしまうかもしれませんよ」
「その時は二人仲良く頭と胴がお別れを告げるだけだ。正気の沙汰とは思えないね」
桃花はくすりと微笑むとこう言った。
「時に、天上院の娘を傍使いにするとかいう話、どうなったのですか」
「ついさっき傍使いにする事に決めたよ。たぶん今日中に引っ越してくる事になると思う」
「どういう心変わりですか」
「状況が変わってね。文月を手元に置いておいた方が都合が良くなった」
「その様子ですと、また未来でも見えたのですか」
「いや、というよりも今回はそれを捻じ曲げようと思ってる。最近協会に反発してばかりいるから老人達がうるさいんだ」
「お務めも断っているようですしね。そろそろしびれを切らす頃でしょう」
「そういうのもあって、ポイント稼ぎって面もある。天上院の娘を傍使いにすればとりあえずは連中の面子も立てれるだろうしさ。そろそろお務めもやろうと思ってる。いい加減番付がやばい事になってきてる」
「先日見た時は下から数えた方が早くなっていましたね」
「マジか。いよいよ発言力の低下がとんでもない事になってるな。流石にそれはマズイ」
「相変わらず本気を出すつもりはないのですか」
「いつも言ってるけど、俺の実力なんて知れてる。本気を出したところでどうこうなるもんじゃない」
「あの時の威勢はどこへ行ったのやら」
「あん時はあん時だ。俺が無茶しなきゃ桃花が傷もんになってたし」
つまらないとばかりに桃花は鼻を鳴らした。
どうも桃花の中での恭弥像は美化されている傾向にあるように思う。偶然恭弥が桃花の前に立ち、彼女を守るという出来事があったとはいえ、あの時を除いて矢面に立つのはいつも桃花だ。恭弥は好んでサポートに回る。にも関わらず桃花はそんな恭弥の姿勢を嫌い、彼が矢面に立つように発破をかける。それが恭弥には理解出来なかった。
「まあ、よいでしょう。いずれ貴方が本気を出さざる得ない場を作ります」
「おい。怖い事言うんじゃない。お前が言うと冗談で済まされないんだよ」
「椎名の名を存分に使って舞台を整えましょう」
「舞台で踊るような役割は桃花にこそ似合ってるよ。俺はちまちま裏方がお似合いだ」
「減らず口だけは達者ですね」
「知らなかったか? 俺は口先から生まれてきたんだ」
「わたくしはやると言ったらやる女です。覚悟していただきますよ」
何か反論をする前にチャイムが鳴り、それと同時に教師が入室してきた。
数式を述べる教師の姿をぼんやりと眺めながら、恭弥は過去のとある出来事を思い出す。
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