第17話
普段恭弥は昼食を学食で済ます事にしていた。だから今日も、授業が終わると同時に机の整理をし、学食へと向かおうと考えていたのだが、常とは違いどうも教室の入り口付近が騒がしかった。
何かあったのだろうかと廊下に目を向けると、そこには学生服に身を包んだ文月が立っていた。あの時とは違い、髪の一部分だけを三つ編みにしたハーフアップのアレンジヘアスタイルをしていた。楚々とした文月の雰囲気に良く似合っている。
手には二つの大きな弁当箱を携えており、誰かを探している様子だった。
まさかな、そう思いつつ視線を戻そうとしたところ思い切り文月と目が合ってしまった。
「恭弥様……!」
探し人を見つけたとばかりに文月は「失礼します」と言って教室に、否、恭弥の元へと向かってきた。
「…………冗談キツイぜ」
文月が天上院家の者だとわかり、彼女の事について調べた過程で文月が広陵学園の三回生である事は知っていた。恭弥とは学年が違うので調べるまで知らなかったが、三回生の間ではその美貌と黙して語らない姿からミステリアスな存在として有名だったらしい。
そんな彼女が事もあろうに目立たぬよう波風立てず普通の、どちらかという陰気なキャラを作っていた恭弥の元へと現れたのだ。周囲の刺さるような視線が痛かった。
「いつもお昼は学食で済ませていると伺ったのでお弁当を作ってきました。よろしければ食べていただけないでしょうか?」
文月を傍使いにさせる動きがあるのは知っていたが、ここまで露骨にやってくるとは思わなかった。わざわざ周囲の目を集める学園内で仕掛けてきたという事は、文月にそんな思惑はないだろうが確実に外堀を埋めにきている。
「……ここじゃ目立ちすぎる。場所を移そう」
「かしこまりました」
ただでさえその美しさから周囲の目を集めるというのに、退魔師としての立場上年下である恭弥に向かって丁寧な敬語を使っているのだ。その目立ち方は尋常ではなかった。何か弱みを握って服従させているのでは、と思われても不思議ではない。
ともあれ、文月を伴い職員室へと向かう。目的地は職員室の中にある退魔師専用の談話室だ。英一郎に断りを入れ、鍵を借り入室する。
部屋に着いた文月はいち早く弁当を机の上に置くとお茶の準備を始めた。言われずとも用意する辺り、普段から傍使いとしての教育が徹底されているのだろう。
鍵を閉めた恭弥はソファに腰を下ろし、文月が入れたお茶を一口飲むとこう言った。
「服を脱いで背中を見せてくれ」
「服、ですか? かしこまりました」
突然の申し出にしかし、文月は焦る事なくシュルシュルと恭弥の前で服を脱いでいく。シャツを脱ぎ、下着だけになった状態で恭弥に背を向ける。
「……やっぱりな。盗聴の呪印が施されてる。悪いが解除させてもらう。少し痛むぞ」
一般人には見えないその呪印に霊力の圧をかけ、術式そのものを破壊する。
「あっ……!」
術式が壊れるその瞬間、文月の口から悩ましげな声が漏れた。
「終わった。悪いな、急に脱げなんて言って。もう服を着てもいいぞ」
「申し訳ありません。そのような呪印が施されているなど知りませんでした」
「しょうがないさ。文月は退魔師じゃないんだ。普通は気づかない。それで? 誰に言われて来たんだ?」
「私がお願いしたのです。助けていただいたお礼に何か出来ないかと兄に相談したところ、お弁当を作ってやれ、と」
「なるほど。光輝さんから上に話がいってこうなった訳か……」
「……あの、迷惑だったでしょうか?」
「あ、いや。迷惑って訳じゃないんだ。ただその、御家のしがらみがあってね。俺も今絶賛それに巻き込まれてる最中なんだ」
こういう時退魔師という身分は便利だった。事情を知らない退魔師関連の人間に対しては上の方でゴタゴタがあったと言えば追求は出来ず、それで納得するしかないからだ。
「そうでしたか。良かった……ご迷惑になっていればどうしようかと」
「いやいや、それより弁当作ってきてくれたんだって? 腹減ったし早く食べよう」
風呂敷を解き立派な重箱の蓋を開けると、弁当のおかずがものの見事に恭弥の好みの物しか入っていなかった。
「……ひょっとして俺の好み知ってる?」
「はい。実は事前に恭弥様の好みを伺ったのです」
誰に、とは問う気にならなかった。どうせ聞いたところで聞きたくない人物達の名前しか出てこないだろうし、それよりも自身の情報が裏でやり取りされている事にこそ問題はある。
「味の方も期待出来そうだ。いただきます」
綺麗に形が整えられた卵焼きに箸を伸ばす。絶妙な火加減で焼き上げられたそれは、やはり恭弥好みに甘く作られていた。ハンバーグも玉ねぎ多めのジューシーな仕上がりで、冷めているというのに出来立てと遜色ないほどに肉肉しかった。食べた事のないような味がするので、恐らくブランドものの和牛を使用しているのだろう。
白米も余程高級な物を使用しているらしく、炊き方の問題もあるだろうが米の一粒一粒がしっかりと立っている。白米の中心には、一箱何万円もしそうな梅干しが一粒いて、しっかりと自己主張をしていた。口に含むと安い塩漬けには無い程よい甘みがあった。
栄養のバランスもしっかりと考えられているらしく、肉ばかりの茶色一色ではなく、シーザーサラダもあった。野菜が違うのか、今まで食べたどのシーザーサラダよりも美味しかった。他にも干しアワビだのトリュフだのを使ったよくわからない料理もあった。
「美味い。美味すぎる」
「喜んでいただけたようで何よりです。ご希望がお有りでしたら明日からのメニューに加えますのでどうぞ遠慮なくお申し出ください」
驚くべきはこのような高級食材を惜しげもなく使用してきた事だ。それだけ天上院家が本気であるという事の証左だが、素直に喜ぶ事が出来ないのが悲しいところだった。しかもちゃっかり明日以降も用意してくるつもりらしい。
「いや、あの時のお礼にしちゃ十分過ぎるほどだよ」
「そうおっしゃらず。是非ともこのまま私を恭弥様の傍使いにしていただけませんか?」
「嬉しい申し出ではあるんだけど……」
これだけ美味い飯が毎日食べられて、おまけに傍使いという事は洗濯を始めとして生活の全てを任せる事が出来るのだ。裏に何もなければお願いしたいが、今回ばかりは裏に魑魅魍魎の類がはっきりと見えてしまっている。
「何か問題があるのでしょうか。私に至らない点があるのであればおっしゃってください。すぐに直して見せます」
「いや、文月に問題がある訳じゃないんだ。ただその、やっぱりしがらみがな。さっきの呪印もそうだけど、俺の周りでコソコソ動いてる連中がいるんだ」
「私がそれに利用されているという事ですか……」
「そうだ。それ以外にも理由があるっちゃあるんだけど、そういう訳だからすぐに首を縦に振る訳にはいかないのさ。少なくとも、背後関係を洗わない限り難しい申し出だ」
「そうなのですね……悲しいですが、しょうがないです」
「すまない。俺にもっと力があればねじ伏せる事も出来たんだろうけど」
恭弥の言葉に文月はクスクスと笑った。不思議に思った恭弥が理由を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「すみません。兄と同じ事を言っているなと思いまして。兄も常々自分にもっと力があればと言っているのです」
この瞬間、恭弥の思考は完全に切り替わった。
光輝がこの時点ですでに力に飢えているというのなら、文月をミンチにする以外にも何か別の切っ掛けがあれば成長してくれるのではないだろうか。
その何かを考えるのも大変だろうが、成功すれば少なくとも文月を死なせるような事にはならずに済む。ヒントは光輝が力に飢えている事と正義感が強い事だ。
(思い出せ……本編に影響しない範囲で前日譚を変える事が出来る出来事があるはずだ)
千鶴と同じように死んだ事にして匿うか。否。これ以上爆弾を抱えて隠し通せる自信などない。何より文月は千鶴と違い変化の術も使えなければ自身を守る術もない。却下だ。
(何かあるはずだ……思い出せ。思い出すんだ……!)
「……赤い月だ!」
「赤い月? ずいぶんと考え込まれていたようですが、解決したのですか?」
「ああ、文月のおかげだ! ありがとう! これで無駄死にする人が減る!」
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