第16話

 憂鬱な気持ちを引きずったまま若い世代が集まる大広間に向かうと、すでに恭弥以外の面々が集まって談笑を始めていた。この様子ならば、恭弥達の世代に問題は発生していないだろう。いつも通り近況を報告し合って終わりそうだ。


「随分と遅かったですね」

 輪の中から少し離れた位置にいた桃花が話しかける。


「悩み事が増えちまったもんでね。お花を摘むのに時間がかかっちまった」


「話しを聞いても?」


「この間レイプされそうになってた子を助けたら、その子がまさかの天上院の娘さんだった。上の方でその子を俺の傍使いにしようって話が出てるらしい。十中八九間者にするつもりだろうさ」


「それはまた。貴方もつくづく厄介事に好かれる体質ですね。まるでどこぞの物語の主人公のようです」


「やめてくれ。主人公様はどこか別にいるはずだ。俺みたいなのを主人公にしても力不足でつまんねえ物語になるだけだ」


 今頃本編の主人公はぬくぬくと普通の青春を謳歌しているはずだ。彼が血なまぐさいこの業界に足を踏み入れるのはまだ先の話だ。


「わかりませんよ。都合よく女性が困っている場面に出くわし助けるなど、それこそ主人公の所業」


「だとすれば、ヒロインは桃花って事になるかな? 攻略に骨が折れそうだ」


「存外、もう惚れているやもしれませんよ」


「冗談。桃花に惚れられるような事をした覚えはないよ。むしろ助けられてばかりいる俺が惚れているかもしれない」


「それこそ冗談ですね。態度に出ていませんもの」


「わからんぞ。今すぐにでもその綺麗な桜色の唇にキスしたいと思ってるかも」


「出来るものならやってみなさい。わたくしは止めませんよ」


 桃花の言葉を最後に、二人の周囲から音が消える。先程までのおどけた表情は鳴りを潜め、真面目な顔になった恭弥は徐々に桃花へと近づいていく。桃花の方も嫌がる素振りは見せず、あくまで受け入れるつもりであるようだった。


 そのままいけば二人の陰が重なろうという時、スッと伸びてきた抜身の刀身が恭弥と桃花の間を遮った。


「いいところだったのに。それはないんじゃないか、神楽かぐら


 二人のラブシーンに割って入ったのは桃花の妹である神楽だった。彼女はこれ以上なく不機嫌な表情をして仁王立ちしている。


「お二人がそのような関係だったとは知りませんでした。詳しいお話をお聞きしても?」


 一つ年上の姉である桃花同様美しい白銀の髪をウルフカットにし、気の強さを象徴するかのように釣り上がった眼尻と口の端から覗く鋭く尖った犬歯、そして髪型同様野性味を感じさせる肉感的な肢体。姉とは違い、男の下半身に直接アピールするスタイルだった。


 丁寧な言葉使いとは裏腹に、神楽はその苛烈な性格から多くの者に恐れられ、姉とは違った意味で周囲から浮いていた。反面、「夜に哭く0」時点ではシスコン気味であり、本編でルートに入ればかなり嫉妬深い一面も覗かせる。


 ――食われる。本能的にそう思わせるような迫力がそこにはあった。


「冗談の延長さ。大人によくある火遊びみたいなもんだ」


「一つしか変わらないじゃないですか。そうなんですか、姉様」


「さあ、どうでしょう。わたくしとしてはそこそこ本気でしたが」


「話しをややこしくするのはやめろ。俺が悪かった。調子に乗った。神楽も刀仕舞え。皆何事かと思って注目してるぞ」


 ただでさえ周囲とコミュニケーションを取らない傾向にある桃花が恭弥と喋っているという時点である程度注目を集めていたところに、今度は神楽の存在まで入ってきてしまえば皆浮足立ってしまう。おまけに苛烈な性格の神楽が得物を出していれば争いが発生したと思われても無理がない。


「……恭弥さんは誰彼構わずそういう事をする人だったんですか」


「まさか。桃花が魅力的過ぎるのがいけない。ちょっと油断するとその気になっちまう。ま、会話の流れが良くなかったってのもあるが」


「……私にはそんな事した事無いくせに………」


「人のせいにされても困りますね。ヒロイン云々は貴方が言った事でしょう」


「それを言うなら、元を辿れば俺を主人公と言ったのは桃花だぞ」


「そんなのどっちでもいいです。なんで私にはそういう事してくれないんですか」


「いや怒るとこそこかよ。偶々会話の流れでそうなっただけだぞ?」


「私とはそういう会話してくれないじゃないですか」


「それこそ偶々だ。桃花とは会話する機会が多いからそうなる事があるってだけさ」


「じゃあ私とも口付けしてくれるんですか?」


「待て。どうしてそうなる。そもそも桃花ともしてないし、俺は神楽と付き合っている覚えはないぞ」


「あの時の事、忘れたとは言わせませんよ。責任取るって言ったじゃないですか」


「……それは、お前、その時の流れでつい……」


「つい? その場の勢いでついあんな事を言ったって言うんですか? あんまりじゃないですか?」


 思い返すのは例の事件。椎名家の当主争いが燃え盛ろうとし始めたその時、神楽には縁談の話しが出ていた。


 相手は協会内でも随一の力を持つ竜牙石家の三男。神楽の倍近い年齢の彼は異能に恵まれず、竜牙石家でも肩身の狭い位置にいた。しかしながら、竜牙石というネームバリューを欲しがる者は腐るほどおり、椎名家もまたその例に漏れず、当人の意思はどうあれ望んでいた。


 正史の流れに沿えば神楽はそのまま竜牙石家の三男を婿に取る事になり、当主レースのトップに躍り出る事になる。椎名姉妹の仲にヒビを入れる切っ掛けの一つであり、それを面白くなく思った恭弥は悩んだ末に破談させる方向に舵を切ったのだ。


 竜牙石家の三男は「夜に哭く0」時点で死亡する事になっている。世継ぎを産ませるために神楽を傷物にするだけして死んで、未亡人にさせるのだ。


 別に処女信仰がある訳ではないが、未亡人の傷物というのは対外的にはどうしても評判が悪い。一時神楽側に傾きかけた当主レースは、三男死亡を切っ掛けに桃花側に傾いていく。それを面白くなく思う老人達はあの手この手で桃花に向けた悪評を流し、それをさも神楽がやったと見せかけた。


 そうなれば後は可愛さ余って憎さ百倍。なんだかんだ言いながらも妹を可愛がっていた桃花も神楽に憎しみを抱くようになり、シスコン気味に姉を慕っていた神楽も急変した姉の様子に疑惑を抱き、いつしかそれは憎しみに変わる。


 それを避けるべく、恭弥はなんとかして神楽の好意を自分に向けさせ、本人の口から縁談を拒否させる事に成功したのだ。


「私の心を弄ぶだけ弄んで、釣った魚には餌をやらないつもりですか」


 そのツケが今になって出てきている。破談以降、これ以上自分に好意が向かないよう意図的に恭弥は神楽との接触を減らしてきたが、神楽元来の嫉妬深い性格が仇となって、突き放せば突き放すほど寄ってくるのだ。


 ちょっと他の異性と仲良くしていると、先程のように得物を向けられるなんていう事は過去に何度も経験した事だった。


「勘弁してくれ……俺はそんなつもりで言ったんじゃないんだ」


「あの時、あの流れでの責任を取るなんて発言はそうとしか取れません。観念して私の婿になってください」


「いやいや、それは早計だぞ。神楽もまだ若いんだ。その内俺よりいい相手が見つかるさ」


 具体的には本編主人公の事である。彼は菩薩もかくやと言わんばかりの包容力を以ってして神楽の全てを受け止め、将来的には椎名家の当主となり立派な世継ぎを作ってくれる。


 残念ながら恭弥にそんな甲斐性があるとは自分自身到底思えなかった。今の恭弥にとって神楽はまさしく手に負えない獣そのものであり、主人公が調教して大人しくなるのを待っていた。


「そんな人がいるなら是非紹介してもらいたいものですね。私より弱い人はお断りですよ」


「……神楽より強い奴の方が少ないんだからそこは妥協しようぜ」


「嫌です」

「そんな無体な」


「そういえば、貴方は神楽と戦って勝っていましたね」


「あんなもんただの初見殺しだ。二回目はないさ。次やったら絶対に負けるね」


「そうでしょうか。貴方は少し自身を過小評価する傾向にありますから」


「そうですよ。初めて見るタイプの戦い方だったとはいえ、そんなのよくある事です。その中でも勝ったのは恭弥さんなんです。実力ですよ」


「かの高名な椎名家の両名からお褒めに預かるなんて、こりゃ帰り道は車に轢かれるかな」


「冗談が上手いですね。貴方を轢こうものなら被害を被るのは轢いた方でしょうに」


「退魔師ジョークってやつだ。面白いだろ?」


「微塵も面白いとは思えませんが。この様子ならば、そろそろ会もお開きでしょう。わたくし達は先にお暇させていただくとしましょう」


「ですね。どうせいたところで私達に話しかけてくる勇気のある人なんていませんし」


「それはお前らのコミュニケーション能力に問題があるからだ」


「そんな者と会話をしている貴方はさぞかしコミュニケーション能力に自信がお有りのようですね」


「そりゃもちろん。俺は学園でも上手いことやってるしな」

 この言葉がフラグとなったか否か、明くる日の学園で、恭弥は再び厄介事に見舞われた。

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