第15話

 その日恭弥は憂鬱な気分だった。理由ははっきりとしている。千鶴の一件で本部が先延ばしにしていた定例会合が行われるのが今日だったからだ。


 元々はもう少し早い時期に行われる予定だったのだが、施設が半壊していたのでそれの修復待ちだったのだ。朝夜問わず突貫で行われた工事は、迷惑な事に作業員の寿命を削って例を見ないほど早く終了していた。


 恭弥が憂鬱としているのは大別して二つ存在する会合の内の一つが原因だった。若い世代で行われるものと、それぞれの家の当主と跡取り筆頭全員が出席して行われるいわゆる上役の会合だ。その後者の事を思い、憂鬱となっているのだ。


 前者は歳の近い者同士あーでもないこーでもないとお茶を飲みながら談笑する程度に留まるが、後者は陰謀渦巻く協会の中心人物達が主だって出席する会合である。恭弥はそれが嫌で嫌で仕方がなかった。


 本来であれば恭弥は若い世代の会合にのみ出席すれば良かったのだが、当主である父亡き今、狭間家の当主は恭弥という事になっている。故に恭弥は二つの会合に顔を出す必要があった。


 何が悲しくて腹に一物抱えた化け物ばかりの場に若い自分が出席しなければならないのか。おまけに今回は千鶴の一件がある。槍玉に挙げられるのは目に見えている。


「はあ……憂鬱でしょうがない」


「そうは言っても出席しないという手はありません」

 常のすまし顔でそう言う桃花も、今回ばかりは声に苦いものが混ざっていた。


「わかってるさ。わかってるけど、面倒でしょうがない」


「わたくしとてそれは同じです。……口裏を合わせると言ったのは貴方でしょうに」

 どこに目があるかわからない。桃花は小声でそう言った。


「逃げれるもんなら逃げたいけどな。そうも言ってられない。予定通り、千鶴さんは俺達以外が討伐したって事にしておこう」


「何度聞いても無理のある言い訳ですが、本当にそれが最善なのでしょうか」


「英一郎さんの言う事が本当なら、老人達もやぶ蛇は避けるはずだ。明らかに怪しいけど追求はしてこないだろう」


「だといいですが」

「いいように祈るしかない。さて、頑張りますか」


 今夜の会合は分家筋も全て集まった半年に一度の大会合だった。二人が大広間の障子を開けると、すでに大半の人物が畳の上に敷かれた座布団に座っていた。


 御家の格の関係上、桃花は比較的上座に近い位置に、反対に恭弥は下座に近い位置に座る。右を見ても左を見ても妖怪じみた連中ばかりだった。下手な事でもしようものなら一瞬で首が飛んでしまう気すらさせた。


 二人が腰を下ろしてから十分程度経って、進行役である権蔵がこう言った。


「では今夜の会合を始める。と、言っても、さして重要な事柄がある訳でもない。何か議題のある者はいるか」


「では私から。先日、当家の当主が決まりました。満場一致で長男が継ぐ事になりましたので、皆様記憶してくださるようお願い致します」


 まばらに発生した拍手にとりあえず恭弥も乗る。その裏で、くだらない時間が始まったと恭弥は思った。


 本編開始前である現在、会合で話し合われる内容など程度が知れている。精々が今のようにどこそこの家の当主が決まっただの、妖の討伐に失敗したので他家への救援要請など電話連絡で済むような事をさも重要な事柄であると言わんばかりに話し合うのだ。くだらないという言葉以外に単語が思いつかない。


「そういえば、そちらの家の新生児、すでに異能の片鱗を見せているとか。これは将来が楽しみですなあ」


 そして一通りの事務連絡が終われば今度は腹の探り合いだ。政略結婚の相手探しだったり、異能の掛け合わせのために家が異能を意図的に隠していないかなど。

本当に、くだらなかった。


 だが、今夜の会合はどうやらそれだけでは終わりそうになかった。


「ところで先日の霊脈暴走の件、詳しく知っている者がいるのであればこの場で発言していただきたいものですな」


 そう口火を切ったのは他ならぬ事件の首謀者である稲荷家の当主だった。相変わらず狐の面を被っているので感情が読めない。だが、その言葉が暗に恭弥と桃花の二人に向けられているのは見え見えだった。


「特に、狭間家の当主と椎名桃花様。お二人は詳しいのではないですか」

 だんまりを決め込む二人にしびれを切らしたのか、稲荷は遂に名指しでそう言った。


「知りませんよ。確かに千鶴さんと戦ったのは事実ですが、討伐には失敗しました。私が最後に目撃したのは彼女が離れに向かう姿です」


 さも何も知らないとばかりに恭弥はそう言った。それを援護するように桃花が続く。


「わたくしも戦いの最中に気を失ったので詳細は知り得ません」


「ほう。あれほど暴虐の限りを尽くしていたというのに、椎名の跡取り娘様はともかく大した力の無い狭間家当主まで生き残るとは不思議な事があったものです」


「運が良かっただけです。なんと言われようと知らないものは知りません」


「死体すら見つからないというのもおかしな話しです。案外、この中の誰かが隠し立てているのやも」


「稲荷の。そこら辺にしておけ。元より霊脈の暴走であったと言ったのはお前であろう」


「竜牙石様にそう言われては私もこれ以上の追求はやめると致しましょう。しかしながら、アレは興味深い研究対象です。もし死体を見つけた者がいれば私のところに一報を」


 ここまでの話しでわかったのは、現場にいた老人達以外は千鶴の鬼化の原因を霊脈の暴走であると考えているだろう事。そして、現場にいた老人達は互いの面子を保つために真相を隠す事にしただろう事。この二点だ。


 千鶴の存在が消えたというのは隠しようの無い事実なので、上手い事探した着地点が犠牲者が千鶴だった、という事になったのだろう。


 実際のところはどうなっているかわからないが、少なくとも表面上はそれで片付けられた雰囲気がそこにはあった。実に老人達が考が好みそうなシナリオだった。


 権蔵も真相を隠す側の人間であるというのなら、稲荷の行動には目を光らせているだろうし、今すぐに突飛な事態が訪れるという事もないだろう。精々英一郎が言ったように刺客が送られる可能性があるくらいだ。


「他に話題が無いようであれば会合を終了とするがよいか」

 権蔵の言葉に皆が頷く。


 そうして、上役の会合は終了となった。次に待っているのは若い世代の会合だ。妖怪の集まりみたいなところにいたせいで肩が凝った。軽くストレッチをすると、骨の鳴る音が聞こえてきた。無意識に緊張していたのだろう。


「狭間」

 大広間を出て、次の会合場所へと向かっていた恭弥に声をかける者がいた。光輝だ。


「光輝さん。ご無沙汰してます」


「おう。先日は妹が世話になったみたいだな。直接礼を言わせるのが筋なんだろうが、あいつもあれでしがらみがあってな。代わりに礼を言わせてくれ」


「いえ、偶然現場に居合わせただけですよ。その後、様子はどうですか?」


「もうすっかり元気を取り戻してる。お前のおかげさ。ところで、急な話しなんだが、お前傍使いを取る気はないか?」


「傍使い、ってメイドの事ですか?」


「そうだ。どうも妹がお前の傍使いになりたいらしくてな。爺さん達にもお伺いを立てたんだが、満場一致で賛成されてな。あれだけ政略結婚の相手で揉めてたのが嘘みたいだ」


「……なるほど、そうきたか」


 何をどう考えても文月の存在を間者にするつもりだろう。天上院家に力があったのは昔の話だ。元々は、今は本家になっている北村家を分家として扱うほどの格があったが、ここしばらく優秀な跡継ぎを生み出していない。そのせいで家の格は下がる一方だ。


 と、なれば裏で何かの取り引きがあったと見るのが正しい。大方次の格決め会合で口を利く事を条件に狭間家に文月を送れというやり取りが上の方であったのだろう。老人達の考えそうな事だ。


「申し訳ないですが、特に必要としていないのでお断りさせてください」


「そこをなんとか! 文月たってのお願いなんだ。兄貴としてはあいつのわがままを叶えてやりたいんだ。お前が蹴っちまうと、文月は二回りも上のおっさんの夜の相手になっちまう」


 チラつくのは文月の顔。愛らしい彼女がどこの馬の骨とも知れぬ中年の肉人形になるのは忍びない。


「そう言われると弱いですが……少し考える時間をください」


「……わかった。返事はなるべく早く頼む。良い返事を待ってるぞ」


 悩み事がまた増えてしまった。文月をミンチにするかどうか悩んでいたというのに、まさか今度は傍使いにするかどうかという選択肢まで提示されるとは。ジェットコースターも真っ青の正反対な選択肢だ。


「文月のルートに入った覚えはないんだけどなあ……」


 今なら本編主人公の気持ちが理解出来た。誰を選ぶかによってその人の一生を左右してしまうなど完全に主人公の特権だ。


「ああくそ! なんでこの時点でこんなに悩まないといけないんだ」


 予定では、本編に入るまでの正史に介入するのは千鶴の生死だけのつもりだったのに、どんどんと老人達の陰謀に巻き込まれている気がした。


 この調子では直近に起こる人間ミンチだけでなく、「夜に哭く0」のストーリーラインそのものにも影響が及びそうだった。


 意図せず恭弥は、本来存在しないはずの「夜に哭く0」の主人公的ポジションに収まりつつあった。

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