第11話

 そうして迎えた昼休み、別々に行く理由も無かったので恭弥は桃花を伴って職員室へと向かっていた。


 学園のアイドルその一人を横に伴って歩くという行為はそれだけで人の目を集めた。横を歩く男が特段目立たない恭弥であるという事もまた理由の一つだった。


「……本当に苛つく視線です」


「桃花は普段こういう視線を向けられていた訳ね。こりゃ苛つきもするわな」


「何が面白くて盗み見るのか理解に苦しみます」


「健介も言ってた通り、半分は目の保養だろ」


「残り半分は?」

「性欲」

「下衆ですね」


「まあそう言ってやるな。思春期の男にとって桃花の綺麗さは目に毒だ。誰だって手に入れて汚したいと思うもんだ」


「そう言う貴方はどうなのですか」

「ノーコメントで」


「卑怯な返しですね。意気地無しとも言えますが」

「なんとでも。余計な事を言って桃花の機嫌を損ねたくないんでね」

「もうすでに損ねています」

「これは失礼」


 打てば響く小気味よい会話をしている内に二人は職員室へと着いていた。扉をノックし入室する。


「失礼します」

「おー来たか。奥で話そう」


 学園で働く職員達は学生の誰が退魔師であるかをしっかりと把握している。そんな彼らが聞かれたくない話しを学内でしなければならない場合のために、盗聴防止策が成された部屋が学園には用意されていた。職員室の奥にあるその部屋に恭弥と桃花の二人は案内された。


 扉を開けると、まさに別世界であった。内装が学園にあるまじき高級な物なのだ。カーペットは程よく沈み込み、中央に設置された四つの一人がけソファは座り込めばしっかりと体重を支えてくれた。おまけにテーブルの上にお茶請けとして置かれたお菓子は高級な和菓子である。まさに至れり尽くせり。退魔師様様である。


 英一郎はポットから急須にお湯を注いで人数分のお茶を入れた。盆に乗せたそれをテーブルに置くと、自身の分を手にとってドカっとソファに腰を下ろした。


「なんで呼び出されたかはなんとなくわかってるだろ」

「ええ、まあ」


「大方昨日の事でしょう? 現場が現場だ。誰に見られててもおかしくはない」


「そうだ。まず最初に俺の立ち位置を表明しておこう。俺はお前達の味方だ。俺は昨日の戦いを途中まで見ていた。その上で聞く。千鶴をどこへやった?」


 その質問に答えたのは意外にも桃花だった。


「妙な事を聞きますね。妖と化した千鶴さんは討伐されたはず。であればその死体を処理したのはそちらの方では?」


 素っ気なくそう答えた桃花に、英一郎はガシガシと頭を掻いた。


「はあ、やっぱ素直には答えないよな。俺は腹の探り合いは嫌いなんだが……。仕方ない。じゃあこうしよう。俺もお前らが知りたがってるだろう事を一個ずつ教える。だからそっちもそうしてくれ。一つ目だ。老人達は気付いていない」


「気付いていないって、どこまでの範囲で?」

「その質問にはこっちの質問に答えてからだ」

「……どこかにいるとだけ」


 答えになっていない答えにしかし、英一郎は気にした様子もなくこう言った。


「鬼のままでか? っと、まずは俺が答えてからだな。多くの老人達はあのまま千鶴が死んだと思っている」


「考え難いですね。あれだけ派手にやっておいてそんなはずはありません」


 桃花の言う通りだ。あの日は確かに本部に最低限の人しかいなかった。階下の一般職員は初動で死んだだろうし、残りの僅かな退魔師達も恭弥達が千鶴と相対した時点で相当数が死んでいた。


 あの戦いの余波の中観察を出来るのなどそれこそ英一郎レベルの退魔師か、あるいは遠見の術でも使用しなければ不可能だ。とはいえ、


「まさか老人達全員がそう思ってる訳じゃないでしょう。英一郎さんを始めとして目撃者はいるはずです」


 あの混乱の中でも咄嗟に遠見の術を発動させた者はいるだろうし、何よりそんな風に頭の中がお花畑ではこの業界をあの年齢まで生き抜く事は不可能だ。


「そうだな。知っている奴は知っているはずだ。だが、末端の奴らはもう何者かに消された。残った連中も情報を外に漏らす気配は無い。どうも千鶴の生存それ自体を切り札的に考えている節がある。はっきり言ってお前達のところに刺客が来るのも時間の問題だろう。特に狭間、お前の家は椎名と違って末席だ。今生きているのは生かす価値があるからだ」


「でしょうね。まかり間違って桃花を拐おうものなら内紛の勃発だ。その点俺が消えても誰も困らない」


「単刀直入に言う。狭間、お前俺の養子にならないか? そうすればお前の身の安全は俺が全力で守ってやる。千鶴の事に関しても悪いようにはしないと約束する」


 この世界で生き残る、という事だけを考えるのならば英一郎の提案は諸手を挙げて喜ぶべきものだ。彼の言う事に嘘は無く、本当に全力で恭弥の身を守ってくれるだろう。だが、恭弥にはヒロインを救うという目的がある。それには北村家の養子になるというのは都合が悪かった。だから、


「……すいませんが、お断りします」


「悪い提案じゃないと思うんだが、理由を聞かせてもらえるか?」


「俺にはやるべき事があるんです。そのためには単独行動出来る方が都合がいいんですよ」


「別にウチだってお前の行動を縛るつもりはないぞ?」


「お務めの選別は難しいでしょう。それに、少なからず御家のために動く必要があるはずです」


「そりゃ、まあそうだけど、そうは言ってもなあ?」


「だから、申し訳ありませんがお断りします」


「……わかったよ。この件は俺の胸三寸に納めとく。だが、その気になったらいつでも言えよ? それから、さっきも言ったが俺はお前達の味方だ。お前達の手に負えない事態になったら俺を呼べ」


「そこまでしていただく理由がわかりませんね。教えていただいても?」


「バカ野郎。俺はお前達の先生だ。先生が教え子を気にかけるのに理由が必要かよ」


 こういうところが人気投票男性部門一位の理由なのだろう。実際、彼は度々主人公の危機に駆けつけ幾度となく救っていた。千鶴ほどではないにしろ、彼も実力的には申し分ないものを持っている。強大な敵を殴り倒すその姿は男が惚れる男の姿だった。


「話しはそれで終わりですか」


「いや、もう一つある。稲荷家とその周辺に気をつけろ。連中、まだ懲りてないみたいだ。何をやらかすかわからん」


「言われずとも、あのような外法を扱う家とは関わるつもりはありません」


「俺の方は一方的に突っかかられそうだなあ」


「今頃あそこの家は千鶴の存在を死にものぐるいになって探してるはずだ。用心しろよ」


「りょーかいです。ま、俺には最強のお師匠様がついてるし、大丈夫ですよ」


 本来教える必要の無い情報を教えてくれた英一郎に対するせめてもの礼として、はっきりとは言わずとも千鶴の無事を漏らす。それが、今の恭弥に出来る最大限の譲歩だった。


「ふっ、ならいいんだ。彼女がついているなら安心だ。俺の出る幕もないだろう」


「はて、なんのことやら」


「とぼけやがって。ったく、しょうがねえ奴だ。時間取らせて悪かったな、二人共もう行っていいぞ」


 二人揃って英一郎に礼をして退室する。職員室を通って廊下に出ると、先程までの空気感が嘘のように学生気分に戻った。人間常時気を張っている事など不可能だ。恭弥にとってこの時間は昔を思い出しリラックス出来る貴重な時間だった。


「面倒な事になりましたね」


 とはいえ、目の前に積まれた問題の姿が消える事などなく、むしろ増えていく一方だ。


「まったくだ。これから稲荷家にされるだろう嫌がらせを考えると頭が痛くなる」


「せめてもの救いは我々の世代には余計なしがらみが少ない事です」


 それすらも本編が始まってしまえばしがらみどころか血みどろになる訳なのだが、少なくとも今はまだ大丈夫だ。そんな事を知りうるはずもない桃花に「そうだな」とだけ言って二人は教室へと戻った。

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