第9話

 桃花がいなくなり、居間には恭弥と千鶴の二人が残された。微妙な空気が漂っているのは、行く宛のない千鶴がこのままなし崩しで同棲する事になるだろう事がお互いになんとなくわかっているからだ。しかし、それを口に出してしまえば最後、事は決してしまう。だが、言わなければ始まらない。お互いになんと切り出すか悩んだ末に出した言葉は、


「「あの」」


 見事なまでにハモってしまった。照れからどちらもお先にどうぞとやり合ったが、結局恭弥が先に話す事になった。


「千鶴さんは公的には死んだ扱いになるはずなので、家を借りる事が出来ません。幸い、俺の家は俺以外に誰もいないんで、千鶴さんさえよければこの家に住みませんか」


「願ってもない事です。今ならまだ口座のお金も下ろせるはずなので、明日の朝にでも全額下ろしてきます。自宅にある必要な物は申し訳ないですが、恭弥に取りに行ってもらえないでしょうか。処分するにはあまりに惜しすぎるんです」


「わかりました。後必要なのは……生活必需品は明日買いに行くとして、偽造身分証ですかね。そっちの方は俺がなんとか協会に渡りをつけます。最悪変化の術を使って顔を変えてもらう事になるでしょうが、まあ千鶴さんなら余裕でしょう」


「何から何まですみません。これではどちらが年上かわかりませんね……本当に、情けない……」


 前世を合わせると同年代なんだけどなあ、と恭弥は思った。しかし、恭弥自身、今の身体に引っ張られているのか、実年齢の割に精神的に幼くなっている事を自覚していた。


「いいんですよ。これから千鶴さんには数え切れないほど借りを作る予定なので、先行投資って事で、一つ納得してください」


「ふふ、どれだけ働かせるつもりですか。私に出来る事など限られていますよ」


 そうは言うが、作中に実際戦った描写が無いだけで、設定資料集などを漁ると千鶴の規格外さがよくわかる。内に秘めた霊力は膨大で、陰陽術の大半を修め、薙刀を使った近接戦闘も得意、それに加えて科学者としての一面も持つ才女なのだ。これを化け物と呼ばずしてなんと呼ぶのか。


 幸いな事に恭弥と桃花の奮闘のおかげで被害が最小限で済んだが、あのまま自由に暴れていれば、本部は半壊状態、退魔師の死体が山程出来上がっていた。この力が理性を以って十全に活かされれば大概の妖は一蹴出来る。


 千鶴が無事生還出来たのは、様々な偶然が重なった結果、砂浜から一粒のダイヤを探すかの如き奇跡の所業だったのだ。そうでなければ、学生退魔師二人で鬼を討伐するなど本来あり得ない出来事だった。


「とはいえ、これから先あんなのがうじゃうじゃ出てくるんだよなあ……」


 様々な残酷に満ちた「夜に哭く」とはいえ、創作作品特有のご都合主義は少なからず存在する。


 その一つに相性問題があった。強大な力を持つ妖達に対して、登場人物達はある時期まで彼らの持つ異能の力が妖に特効となる場合が数多く見られた。


 ちょうど、今回の事件で桃花の持つ異能、雷の力が妖にとっては猛毒、人には薬の効果があったおかげで、人に取り付いた鬼にとってはまさに天敵といえる異能だったように。


 作中の主要人物達は通常であれば勝ち得ない妖達に対し、相性を武器に勝ち進んでいく。だが、それも結局はある時期までだ。


 ある時期とはつまり、ヒロインのルートが確定するまでだ。ルートが確定してしまえば主人公に選ばれなかったヒロイン達はそれまで神の意思で相性の良い妖達と戦っていたのに、途端に相性の悪い妖と闘う羽目になる。それまで守り神のように自分を見守ってくれていた作品の意思が、今度は牙を剥いて襲いかかるのだ。


 一対一の戦いを得意とするヒロイン相手には群で襲いかかる妖を、遠距離戦を得意とするヒロインには近接戦闘を得意とする妖を、瞳術使いには盲の妖を、と、それはもう悪意に満ち満ちた采配を行ってくる。


 戦いに破れたヒロインを待ち受けるのは、特殊性癖を持つプレイヤー垂涎の陵辱プレイシーンであったり、残虐な人体解体ショーの始まりだ。


 問題はストーリーが中盤を超えてくると離れた地点でそれぞれの戦いが始まってしまう事だ。その際に主人公が誰のルートに入っており、誰がどの妖と闘うかをしっかり把握した上で助けに行く必要があるという事だ。


「ねえ千鶴さん」

 呑気な顔をしてお茶をすすっている千鶴に声をかけると、彼女は柔らかく微笑んだ。

「どうしましたか、そんなに真剣な顔をして」


「千鶴さんって分身出来たりしません?」


 常人であれば絶対に不可能だろう事だが、この人であればやってやれない事もないのではないか。そんな縋るような思いに千鶴は、


「完全な分身は作れないでしょうが、式神を使えばあるいは」


 流石作中最強クラスのキャラクターは言う事が違った。ダメ元で言ってみるものだ。完全な分身でないにせよ彼女の分け身が作れるのであれば話しは変わってくる。


「ちなみにどの程度の強さになります?」


「そうですねえ、私本体の十分の一といったところでしょうか。必要なのですか?」


 十分の一と聞けば弱く聞こえるが、元となる人物が千鶴であれば話は別だ。分身相手であっても今の恭弥が相手をすれば逆立ちしても勝てないだろう。


「この先間違いなく必要になるんです。もうちょい強く出来ないですか」


「難しい事を言いますね。ですが、愛弟子のお願いです。頑張ってみましょう」


「助かります。後、重ね重ねになるんですが、俺の修行方針は妖を拘束するのと、弱らせる力を伸ばす方向で頼みます」


「それは構いませんが、本当によいのですか? いずれあなたも一人でお務めをする事も出てくるでしょう。その時に決め手に欠けるようでは困るのは恭弥なのですよ」


「俺は番付には興味がないので最悪討伐失敗したところでいいんです。弱らせて、少しでも妖を喰えればそれだけで強くなれますから」


 妖を喰うという言葉を聞いた千鶴は難しい顔を見せた。そして、子供に言い聞かせるように話し始めた。


「いいですか、捕食というのは便利な異能です。妖を喰らえば喰らうほど強くなってゆく。ですが、使い方を誤れば簡単に命を落としてしまう。恭弥の事ですからそのリスクを承知の事とは思いますが、やはり師としては推奨は出来ませんね」


「そうは言っても、才能に欠ける俺が強くなるにはそれしかありませんから」


 退魔師の強さとは一般に対妖に関する強さの事を指す。対人訓練でどれだけ良い成績を叩き出そうと、実戦で妖に通用しなければ使い物にならない。


 加えて、異能の存在もある。極端な話五体不満足で歩く事もままならない退魔師であっても、瞳術を始めとする身体能力を要求されない異能が強力であれば強いと見なされる。


 そも、退魔師達にとって身体能力はそこまで重要視されていない。異能が強力であり、尚且その異能を戦闘に耐えうる時間維持出来るだけの霊力量こそが重要なのである。


 しかしながら、霊力量は生まれた時点である程度限界が決まっており、修行で伸びるような物ではない。恭弥のように、妖を捕食する事でその霊力を我が物とする異能でも持っていない限り、霊力使用の効率化をこそ訓練する。


 その点、恭弥の異能は霊力消費の激しい異能持ちからは喉から手が出るほど欲しい異能だが、肝心の恭弥本人が持つ霊力の使い道はそこまで強力なものとはいえなかった。


「強くなるために私に師事したのでしょう。それでは矛盾しているではありませんか」


「いいんですよ。俺は派手に立ち回るつもりは今のところないですから。裏方に徹するつもりです」


「そうは言ってもやはり心配です。ここはやはり師として私が――」


 くどくどと新たな修行方針を語る千鶴を尻目に恭弥は考える。


 本来であればこの時点で恭弥も千鶴も作中から消えていなければいけない存在である。まかり間違ってお務めに精を出し、恭弥が退魔師のランキングである番付の上位にでもなろうものなら正史から大きく外れてしまう可能性がある。


 お務めは、陰謀などがなければ基本的に妖の強さに応じて番付の中からちょうどよい強さの者が選ばれ討伐の令が出される。


 ここで恭弥が番付を上げてしまうと、実力的にまずあり得ないが正史では桃花が戦った相手と恭弥が闘うなんていう事が起きてしまう可能性がある。そうなれば、登場人物達が本来積むはずだった経験を奪う形になり、結果として死ぬような場面ではないところで死んでしまうという事が起きる可能性がある。


 すでに恭弥と千鶴含め魍魎の匣事件で死ぬはずだった退魔師達が生存している現状、これ以上余計な事をする気にはなれなかった。


「であるからして恭弥には一人でも戦える実力をつけてもらって――」


「それはそうと千鶴さん」


「なんですか? 人の話しを遮って」


「晩飯何にします? 俺作りますよ」


「そうですねえ。ハンバーグが食べたいです」


 見た目の美しさとその知性に反して、千鶴の食の好みは存外子供じみたものであった。


「わかりました。材料あったかなあ……」


 ゴソゴソと冷蔵庫の中身を漁りながら恭弥は次に起こるであろう悲劇に思いを馳せた。


「ああ、そういえば次は『人間ミンチ』だったっけ」


「ん? 何か言いましたか?」


「いやいや、ちょうどミンチがあったんでハンバーグが作れるな、と」


「そうですか。久しぶりに恭弥のご飯が食べられるので楽しみです」

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