第8話

 狭間家は昔ながらの木造日本家屋である。といってもべらぼうに広いという訳でもなく、二階建ての各階四ルーム程度の家である。


 それにしても、恭弥一人が住むにはあまりに広過ぎ、定期的にハウスキーパーを頼んで清掃してもらっていた。とはいえ、退魔師関連の物がある部屋に近づかせるわけにはいかないので、結局半分程度は自身の手で掃除するしかなかった。


 ちょうどつい最近ハウスキーパーを頼んでいたので、人を呼んで恥ずかしくない程度に部屋は片付けられていた。


 そんな狭間家の居間で三人はテーブルを囲んでいた。卓上には恭弥がいれたお茶が湯気を立てており、三人揃って無言で湯呑を傾けた。


 そんな中口火を切ったのは恭弥だった。


「話しをする前に、これだけは約束してほしい。俺がこれから話す内容の情報源は尋ねない。もう一つ、桃花にはここで聞いた事を一切他言しない事」


「私は構いません。元よりお二人に拾われた命、どう扱われようと異論ありません」


「桃花は?」


「……まあ、よいでしょう。内容如何によりますが、守ると致します」


「それじゃ困るんだが……まあいいか。聞いたらどうせ他言する気もなくなる」


「そのような内容をなぜ貴方が見知っているのか気になるところですね」


「言ったろう? 情報源は尋ねないって」


 桃花はこれ以上無駄な問答をする気は無いのか、目で話しの続きを促した。


「便宜上今回の事件を魍魎の匣事件とします。この事件の目的は千鶴さんの意識を奪って操り人形にする事だったんです。首謀者は稲荷家を筆頭とした妖共生派です」


「首謀者が稲荷家という事でしたら私にも思い当たる節はありますね」


「そうです。あそこは妖共生派とは名ばかりの、妖の力を利用して協会の利権を得る事しか考えていない過激な連中の集まりです。彼らにとって穏健派の筆頭とも言える千鶴さんの存在は邪魔でしょうがなかった」


「わたくしもあまり良くない噂は耳にしていましたが、よもや彼らがそんな事を考えていたとは露ほども思いませんでした」


「千鶴さんの実力を知っている連中は正面から挑んでも返り討ちに遭うのは目に見えていた。だから、匣に封じた鬼の力によって、千鶴さんの意識を奪い、その力だけを行使しようとした。誤算だったのは匣に封じられていた鬼の力が想定よりも強力だった事。そのせいで稲荷の制御を離れてしまい、あの結果が生まれた訳です。これが魍魎の匣事件のあらましです」


 こうして話しをまとめてみると、存外大した事のない事件だったように思えるが、関わった人物達が軒並み妖怪めいているせいで事がここまで拡大してしまった。


「以前から有形無形の嫌がらせは受けていましたが、今回ばかりはしてやられました。犠牲になった方々に申し訳ありません……私の力が及ばないばかりに……」


「千鶴さんが悪い訳じゃないです。気に病むなって言っても病むんでしょうけど、あまり気にし過ぎないでください」


「ですが、こうなってしまえば穏健派の方々は動きづらくなるでしょうね。旗印である千鶴さんがあのような醜態を晒してしまったのです、空中分解するのも時間の問題かと」


 桃花の言う事はもっともだった。実際、夜に哭く本編で、千鶴本人の名前は出なかったが、魍魎の匣事件によって穏健派が自然消滅した旨の記載があった。


「私はそのような存在になったつもりはないのですが、いつの間にやら担ぎ上げられていたようですね……誠、情けない限りです」


「そこでさっきの話しの続きです。千鶴さんには死んでもらいますって言いましたが、今二つの選択肢があります。一つは穏健派のみに生存を明かし、裏で協会のバランスを取るために動く。もう一つはこのまま死んだ事にして俺の切り札になってもらう事。ちなみに、普通に生きてましたって戻るのは無しです。権蔵爺さんがそんな事許さないだろうし」


「とはいえ、千鶴さんがいなくなれば、協会の権力争いは泥沼でしょうね。今でさえ薄氷の上を歩いているようなものなのに。そうなれば、わたくし達も他人事ではありません。老人達にいいように利用されるのが目に見えています」


「最初の選択肢を取った場合、多少パワーバランスが整うから権力争いはマシになると思う。だけど、俺としては二つ目の選択肢を選んでくれた方が嬉しいです」


 千鶴は「というと?」と尋ねた。


「詳しくは言えないんですけど、この先本部に妖が攻め込んで来たり、俺達の世代の犠牲なくしては討伐出来ない妖の存在が出てくるはずなんです。その時に、千鶴さんに助けてほしいんです。俺は、一人でも多くを救いたい」


「貴方がなぜそのような事を知っているのかは置いておくとして、その情報の確度は? そこまで自信満々に言うのです、五割以上はあるのでしょうね」


「断言は出来ない。だけど、俺が変な事をしなければ起こると思う。現に今回の魍魎の匣事件も俺は事前に起こる事を知っていた」


「未来を見通す異能にでも目覚めたのですか?」


 千鶴の問いに、恭弥はここで種明かしをするか否か迷った。頭の中でそうした場合のメリットデメリット、そしてリスクを計算した。その結果、


「あーまあ、そんな感じです。俺自身まだそんなはっきりとはわかってなくて」


 お茶を濁す事にした。曖昧な言葉を言っておけば後で詰問された際にどうとでも言い訳が出来るという腹積もりだ。


「それで、千鶴さんはどっちの選択肢を取りますか? 俺は千鶴さんの選択を尊重します」


 恭弥の問いに千鶴は悩むかと思われたが、その実すぐに決断を下した。


「二つ目の選択肢を選びます。穏健派の方々には申し訳ありませんが、私には彼ら全てを救う事は出来ません。なれば、せめて愛弟子の生存確率を上げる事を望みます」


 退魔師という死が軽い世界に生きる者特有の命を天秤に乗せる行為。今、千鶴の中では顔も知らない穏健派の命と、恭弥の命が天秤に乗せられた。その結果、傾いたのが恭弥の側だったというだけの話しだ。そこには誰にも責める権利は存在しない。


「まだまだ恭弥には教える事がありますからね、側を離れる訳にはいきません。それに、お務めがなくなるというのであれば、これまで以上に修行に割ける時間が増えるというものです」


「マジか。ほどほどに頼みます……」


 なんとなく話にまとまりが見え始めた段になって、桃花が湯呑をちゃぶ台に置いた。


「お話がまとまったところで、わたくしは傷が痛むのでお暇させていただきます」


「本当に申し訳ない……」


「いえ、あれは妖の所為ですから。千鶴さんが悪い訳ではありません」


「わかってると思うけど、今日話した事は誰にも言うなよ」


「言われずとも。このような爆弾を人に話す趣味などありません。わたくしはまだ生きていたいので。それでは」


 そう言って立ち上がった桃花に、恭弥は思い出したように「あーそれと!」と言った。


「……まだ何か?」


「妹とは絶対に仲良くするんだぞ。絶対にだ。何があっても信じる事が大事だ」


「何かと思えばそんな事。よろしくない未来でも見えましたか」


「そんなところだ。呼び止めて悪かったな。見送りは必要かい?」


「いえ、送り狼に食べられてしまっては困るので」


 そんな事を桃花はすまし顔でこともなげに言ってみせた。こういうところが敵わないと思う。いつまで経っても男は女性の手のひらの上で踊っているのだろう。


「気をつけてな」


「はい。それではまた明日」

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