第7話

「ソレ」とはすなわち恭弥のもう一つの異能である「捕食」だった。


 文字通り鬼の霊体に喰らいつき、その身を喰い潰していく。自身の身の丈よりも遥かに巨大なそれを、恭弥はガブりガブりと桃か何かにかぶりつくかのように貪っていく。その度に恭弥の身体に刻まれた傷は時間を巻き戻すかのように修復されていく。後に残るのは破れた霊装だけだ。


 そうして、最初は美味そうにかぶりついていた恭弥だったが、半分ほど喰い潰してからその表情を苦痛に歪め始めた。


「やはり重たいですか……」


 桃花の言葉に恭弥は返事する事なく苦痛に歪んだ顔のままガブガブと捕食する。


 そもそも捕食とは、失われた霊力を妖から摂取することにより自身を強化回復する狭間家に伝わる禁術の一つである。


 なぜ禁術なのか。その理由の一つに捕食を行う者の持つ「格」よりも上の妖を捕食してしまった場合消化しきれずに意識を乗っ取られてしまう可能性があるからだ。


 この場合、限界まで弱らせたとはいえ相手は千鶴を乗っ取る程の格を持った強大な鬼だ。疑う余地なく恭弥よりも格が上である。


 恭弥は自身が強くなるために度々この禁術を使ってきたが、消化に時間がかかる妖の事を「重たい」と評していた。この鬼は、今まで捕食してきた妖の中で最も重たかった。


 とはいえ、重たい程度で済めば消化に時間がかかるだけだが、今回ばかりは相手が悪かった。


(ちくしょう。意識が侵食されてきた)


 恭弥の意識がどんどんと深化していく。それと同時に喰らっている相手である鬼の意識が浮上してきた。


「我を喰らうなど片腹痛い。逆に食らってやるわ」


「うるせー。人の師匠の意識乗っ取った次は俺かよ。やれるもんならやってみやがれ」


「ではそうさせてもらうとするかの」


 鬼の口が開くのがわかった。次の瞬間、恭弥は生まれて初めて味わう表現出来ない痛みに支配された。痛みのあまり声を出すことすら忘れるほどだった。


「……てめえ、何しやがった」


「これは異な事を言う。お前の魂を喰ったまでじゃ。魂を喰われたのは初めてか? ん?」


「煽ってんじゃねえよ……んな経験あるわけねえだろ」


 喰われたら喰い返す。恭弥も負けじと鬼に喰らいついた。


「なかなかやるではないか。我の肉は美味いか?」


「くそったれが。クソマズイに決まってんだろ」


「その威勢がどこまで続くか見ものじゃの」


 ガブリ。鬼はわざわざ音を立てて恭弥の魂を喰らった。


「――――――――――――!」


 声にならない声が上がる。来るとわかったその瞬間に訪れた痛みは、なまじ先程体験しているから恐怖心も上乗せされていた。


「くふふ。痛いじゃろう。時にお前、妙な魂を持っておるの。この世界の者ではないのか」


「……わかってんじゃねえか。腹壊しても知らねーぞ。どの道てめえは死ぬ運命にあるんだ。俺の身体を奪ったところで爺さん達が出張ってきて終わりだ」


 最早半分ほどは喰い、侵食され、奪われた意識の中で虚勢を張る。


「ふむ。確かにさっきのおなごに比べると脆弱な身体じゃの。このままではお前の言う通り我は殺されてしまうかもしれんの」


「…………なら大人しく俺に食われろ」


「それもつまらんじゃろう。のう人間、我と契約せんか?」


「どうせクソみたいな契約だろ。妖の言うことは信用出来ない」


「くふふ、そう言うな。お前にとっても悪い話ではないのじゃぞ? このまま喰い合えばお互いに喰い損なってどちらかもわからん出来損ないが生まれるだけじゃ。それならば契約して共生した方がいいと思わんか?」


「そう言って油断させる腹積もりだろう」


「用心深い人間じゃの。我は元々眠っていたところを強引に起こされて不機嫌だっただけじゃ。元の性格は大人しいのだぞ? 普段の意識はお前にくれてやる。だから、運動したい時だけお前の身体を貸してくれればそれでいい」


「あんだけ暴れてよく言うぜ……」


「それにお前、お前が言うところのヒロイン? を救いたいのじゃろう? 我が力を貸してやる。お前にとっても悪い契約ではないはずじゃぞ」


「てめえ、俺の思考を読みやがったな」


「当たり前じゃ。もう半分程度は融合しているのじゃ。それしき造作もない。お前にだって出来る事じゃぞ。我の思考を読んでみろ。嘘は言っていない」


 言われた通り恭弥は鬼の思考を読み取った。意識をあえて深化させ鬼と同化する。すると、確かに嘘は言っていない事がわかった。


「…………だったとして、俺のメリットに対してお前のメリットが少なすぎる」


「言ったじゃろう。我は眠るのが好きなのじゃ。たまに運動がてら暴れられればそれでいい」


 決められたシナリオを捻じ曲げるには恭弥自身相応に強くなる必要がある。正直な話、この契約は喉から手が出るほど有り難い話だった。


「……わかったよ。俺だってせっかく大好きな作品に転生出来たのにこんな事で死にたくない。利害の一致だ。だけど、言っておくが俺はお前の事信用していないからな」


「それでいい。我の名は鬼じゃ。鬼の名に懸けてこの命尽きるまで契りを果たそう」


「俺にも狭間恭弥っていう名前がある。前の世界の名前は忘れた」


「恭弥、幾久しく」


 鬼はその言葉を最後に意識をどこかへ隠してしまった。だが、その存在だけは恭弥の身体のどこかに感じる事が出来るというなんとも不思議な感じだった。


「――ん! 恭弥さん!」


 気がつけば先程まで捕食していたはずの鬼は跡形もなくなっていて、まるでさっきまでの出来事が夢か幻であったかのようだった。


「平気なのですか」

 その声に振り向くと、油断なく刀の柄に手をやる桃花の姿があった。


「俺、いつの間に喰い終えたんだ?」


「半分を超えた辺りから一心不乱に無表情で食べていましたよ。覚えていないのですか?」


「意識喰われかけてたみたいだ。でも、喰い終わったし大丈夫だろ。……大丈夫だよな?」


 どういう訳か普段の捕食とは違う感覚があった。普段は異物を身体に取り入れるので多少なりとも辛い感覚があるのだが、今回はまるで元からあったものが帰ってきたかのような感覚があった。


「わたくしに問われても知りませんが。まあ、大丈夫なのではないですか」


「それより千鶴さんだ。どこに行った?」


「千鶴さんまで食べかねない勢いだったのでそこに避難させました。気を失っているだけのようですよ。邪気は感じません」


 千鶴は崩壊を免れた建物の廊下に寝かせられていた。その顔は穏やかで、先程までの様子とは打って変わって眠れる森の美女となっていた。


「千鶴さん、大丈夫ですか?」


 この人の事だから大丈夫なのだろうと勝手に結論を出し、宣言通り恭弥は千鶴の胸に手を伸ばした。しかし、その手を取る者があった。他でもない、千鶴本人の手だ。


「甘いですよ。お説教をしてほしいみたいですね」


「やだなー冗談に決まってるじゃないですか」


「もうよいのですか?」


 桃花の問いかけに千鶴は身を起こそうとした。恭弥は倒れないようその背を支える。


「はい。迷惑をかけました。意識はあったのですが身体の自由が効かなかったのです。情けない限りです。これでは恭弥の師などと口が裂けても言えませんね」


「まったくですよ。ちゃんと警告したのに千鶴さんのことだから老人達の口車に乗っちゃったんでしょう? お人好しもほどほどにしないと」


「面目ない……恭弥の言うことをもっとよく聞いていれば」


「まー起こっちゃった事はしゃーないです。そんで、これからの事なんですが、悪いんですけど千鶴さん、死んでください」


 瞬間、桃花が刀に手をやるも、それを千鶴が手で制した。


「どういう事ですか、恭弥。きちんと説明してくれるのですよね」


「もちろんです。けど、あんまりのんびりしてる時間もないんで俺の家来てください。話しはそれからです。悪いんだけど桃花、式神出してくれない? こんなナリじゃタクシー使えないしょ」


「……高級なタクシーですこと」


 嫌味一つ、桃花は巨大な鳥を模した式神を創り出した。三人を乗せた巨大な鳥は、闇夜の中をバサリバサリと恭弥家目指して羽ばたいた。

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