第6話

 退魔師に正装というものは存在しない。各々が好きな霊装を身にまとい、お務めを果たせば良い。しかし、慣例的に和装が好まれている。


 桃花もその例に違わず桜色の袴を着込んでいる。一本一本に霊気が練り込まれた椎名家お抱えの職人の手による逸品だ。


 並大抵の攻撃で傷つく事はなく、見た目に反して衝撃すらも軽減する優れものだが、鬼と化した千鶴相手にはその防御効果も見込めそうになかった。


 ひらりひらりとまるで舞いを踊るかのように袖をはためかせ、鬼の霊体が放つ霊気の拳を避けていく。


「厄介ですね。恭弥さん、動きを止められますか」


「難しい事を言ってくれる」


「あら、出来ないとは言わせませんよ」


 狭間家長男の恭弥に与えられた異能は霊力を物質化する能力だった。他の退魔師達が雷だの炎だのを使う中非常に地味な異能だが、その実使い方さえ上手ければ、いかような状況にも対応出来る万能の異能だった。


「上半身を止めるぞ!」


 恭弥は霊力で鎖を形成した。恭弥の意のままに動くそれは千鶴の上半身に絡みつき、両腕を胴にがんじがらめに縛り付けた。本体である千鶴を拘束したおかげで、彼女と同化している鬼にも効果が現れた。腕の動きが鈍った。


「ち、くしょう……なんつーバカ力だ……!」


 普通であれば抜け出す事の叶わないその呪縛を、鬼の力を得た千鶴はその膂力で以ってして千切り飛ばそうとした。


 ギチギチと鎖の擦れる音が響く。引きちぎろうとする千鶴に対し、全力で霊力を注ぎ込み拘束を強める恭弥。その均衡を崩したのは桃花の刀による一撃だった。


 椎名家に伝わる伝説の名刀、その一振りである「雷斬らいきり」は、刀工が狂気的なまでに鍛え上げ、遂には雷を切り裂くまでに至った。その結果、雷斬には雷の力が宿り、その身に宿した雷は、妖にとって猛毒であり、また人の身には薬ともなる。


 その一撃は、まさしく人の身でありながら鬼を宿してしまった千鶴に対して、特効ともいえる効果をもたらした。


『グ……ウ、ゥウ……!』

 鬼と千鶴、痛みに閉じられた口の端から折り重なった狂気の苦悶の声が上がる。


 一太刀、二太刀、その刀身が鬼の霊体に打ち込まれる度に、鬼はその影響を弱めていった。


「いいぞ! その調子だ!」


 だが、窮鼠猫を噛む。桃花の攻撃によって僅かながらに千鶴としての理性を取り戻した鬼は何をすれば状況が改善するのかを千鶴の意識を読み取る事で理解してしまった。鬼は妖にあるまじき霊力操作で拘束を解き放った。そして、自由になった両の手で周囲の建物をめちゃくちゃに叩き壊し始めた。


「マズい! 巻き込まれるぞ!」


「面倒な事を……!」


 瓦礫の落下から身を守るのに手一杯になってしまったのがいけなかった。煙の向こう側から伸びてきた鬼の手に恭弥の身体がむんずと掴まれる。


「うぐ……!」


 その後に起こる事など予想がついた。腕を限界まで上に上げた鬼は次の瞬間恭弥を地面に叩きつけた。


「ガッハ……!」


 肺の中の空気が全部吐き出された。そのまま空気を求めて開いた口から大量の血が吐き出された。


 生きているのは奇跡に近かった。インパクトの瞬間咄嗟に霊力でクッションを作っていなかったらミンチの出来上がりだった。それでも尚衝撃で骨が折れた感触があった。


「恭弥さん!」


 追撃をしようと振りかぶった鬼の拳を桃花が受け止める。サイズ通りの衝撃を受け止めるには桃花の身体はあまりにも矮小に過ぎた。僅かな時間受け止める事は出来たが、すぐに吹き飛ばされてしまった。


 恭弥程ではないにせよ、今の一撃で利き腕の肩を脱臼するという刀使いとしては致命的なダメージを負ってしまった。


「……くっ!」


 外れてしまった肩を崩れ残っていた柱に打ち付けて無理やりハメ直す。食いしばった際に切れてしまったのだろう、口の端からツウと一筋血が流れる。


 眼前では再び拳を振りかぶり、今度こそ恭弥に止めを刺そうとしている鬼の姿があった。


「逃げなさい! 恭弥さん!」


 恭弥は意識を手放す事を要求する身体にムチを打って、無様に転がる事で致命の一撃を回避する事に成功した。なんとか立ち上がる事は出来たものの、膝がガクガクと笑っている。とてもではないが切った張ったの殺陣など出来そうにない。


「……これだから安物の霊装は嫌になる。クソほども役に立たねえじゃねえか」


「よかった、無事でしたか……!」


 折れた肋骨と右腕を霊力で補強し、これ以上悪化しないようにする。


 最早自前の身体は言う事を聞かなかった。ならば、霊力を腱として無理やり身体を動かすしかない。自分で自分を操り人形にするのだ。


「ちくしょう! これが終わったら絶対千鶴さんのおっぱい揉ませてもらうぞ」


「…………どうやら頭の方は無事ではないようですね」


「これが無事に見えるならその目は節穴だ。死ぬ一歩手前だよ」


 頭から垂れてくる血で視界すらも不鮮明だった。


「軽口を叩ける余裕があるようで結構。行きますよ」


「オーライ」


 未だかつて自分自身を操り人形にするなんて事はしたことがなかったが、存外なんとかなるものだった。動く事を拒否している身体を無理に動かしているので激痛が走るし、時折吐血もしたが、動かなければ待っているのは確実な死だ。動くしかない。


 鬼は先程の攻撃で弱っている。だが、それはこちらも同様だった。異能で無理やり身体を動かしている恭弥はもちろんの事、利き腕が万全とはいえない桃花も動きに精彩を欠いている。お互いに弱っている現状、最初と変わらないか、それ以上に不利になっている。


 そんな中でも流石に桃花は椎名家次期当主の最有力候補だけある。同年代とは隔絶した力量を持った彼女は無理に攻める事はせず、隙を伺い続けている。


 それが出来るのはひとえに彼女の持つ集中力が異常だからだ。常人が集中を維持出来る時間は十五分程度であるというのに、彼女は戦闘が始まってから三十分近くずっと集中し続けている。


 一方の恭弥も、千鶴との修行によって集中力自体は維持出来ているが、それ以上に身体のダメージが大きすぎて霊力の扱いが安定しない。


「拘束が甘いですよ」


「わかってるっつの!」


 先程から何度も鬼の拘束を試みているが、安定しない霊力の放出で作られた鎖では鬼を拘束するには至らなかった。今も、鬼の身体に絡みつかせるところまでいったが、事もなげに引きちぎられてしまった。


「バカ力も大概にしろってんだクソ野郎!」


 桃花は攻撃的な異能の持ち主であり、防戦一方の戦いは不得意としている。それだけに留まらず、持ち前の異能故防御面に不安が残る。対して、鬼もまた攻撃にパラメータを振った妖であり、防御面はそれほどでもない。


 後一撃。決定的な隙が生まれれば桃花の奥義を使い戦局を変える事が出来る。


「わたくしの知っている恭弥さんはこんな情けない男ではありませんよ」


 だから、発破をかける。桃花は恭弥が追い詰められれば追い詰められるほど実力を発揮する人物だと知っている。


「鬼の一つや二つ拘束して見せなさい」


「どうしてこう俺の知ってる女は気が強い連中ばかりなんだ! いいぜ、やってやるよ!」


 恭弥は自身を操っていた霊力の糸を解いた。そしてその場に座り込むと目を閉じた。全力で隙を晒す形になるが、桃花は恭弥が何をするか瞬時に理解し、囮役を買って出た。


「千鶴さんみたいに上手くは出来ねえがやってやる。臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」


 恭弥は九字を切った。そして、千鶴とは違い霊力で五芒星を鬼の六方に描いた。


「星の導き、天は雷、雨を晒したその先に光あれ。六甲結界!」


 恭弥の言葉と共に鬼の六方に描かれた五芒星が光り輝く。一つの五芒星から伸びた一筋の光の線はやがてもう一方の五芒星へとたどり着き、更にもう一方へ。


 最後の五芒星まで光の線がたどり着いたその時、六甲結界の名の通り、六角形の結界が完成する。中心にいる鬼はその動きを止め、完全に拘束された。


「上出来です」


「……長くは持たねえぞ。早くしてくれ」


 九字の最後である「前」の形で手を固定している恭弥の身体の至るところから出血が始まる。それは、一見動きを止めたように見える鬼が内部で激しく暴れている事の証左だった。


 桃花は恭弥の言葉に返さず、刀を鞘に戻し、ただ静かに目を閉じた。


「貴方に死に化粧を施しましょう。それはとてもとても綺麗で残酷な美しさ……」


 そう呟くと、桃花は目を開き、ゆっくりと刀を鞘から抜き出した。途端、周囲に桜の花びらが舞う。


 舞い踊る桜の花びらの中、桃花はゆっくりとした歩みで千鶴、否、鬼へと近づいていく。


「咲けや咲け、桜花びら寄生蟲」


 桃花は鬼の霊体へとあくまで優しく雷斬を突き刺した。すると、みるみる内に鬼の身体から桜の花びらが生えてきた。その様はまさしく鬼に寄生する蟲そのものだった。


「今です!」


 鬼の力を極限まで弱らせたその時、恭弥は「ソレ」を行った。

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