第3話
下駄箱で上履きに履き替え、二年B組を目指す。このクラスには原作ヒロインが桃花を含め二人程いる。
クラス内における人気番付で、桃花が美人側の頂点だとすれば、
小柄な体躯に濡羽色のミディアム、どんぐり眼に子供っぽい声色。そして、それに反するように狂暴な物が胸部に備わっている。
白銀のロングヘアで、切れ長の目、モデル体型の桃花とは正反対に位置する存在である。
ちなみに、薫はルートによっては死ぬだけではなく妖の孕み袋となってしまう。人懐っこい性格で癒やし枠であったにも関わらずそんな結末を迎えてしまう彼女の姿に、一体どれだけのプレイヤーのメンタルにダメージを与えたか想像に難くない。
そんな彼女の周囲には常に人がいる。ただ座っているだけで誘蛾灯に集まる蛾の如く女学生が寄ってくるのだ。そして、恭弥の席は薫の前の席である。
「ちょっとすいませんね」
そう言ってカバンだけ置かせてもらい友人である健介の元まで避難する。いつもの朝の光景である。
なぜ席の主である自分が気を使わなければならないのかとやるせない気にもなるが、そんな事でいちいち憤る程子供であるつもりもなかった。実際、転生前の年齢をプラスすると三十も近い。とはいえ、肉体年齢に引っ張られているのか、はたまた学生が多く在籍する環境にいるせいか、自分で思ったよりもだいぶ子供っぽい対応をしてしまう自覚があった。
そうはいっても、窓際の後ろから二番目という絶好のポジションに席があるというのに、前後を桃花と薫に挟まれてしまったために、昼はもちろん朝すらも移動を余儀なくされるのは面倒でしょうがなかった。これに関しては愚痴を言う事くらい許されると思う。他の男子学生から羨望の眼差しで見られるし、まさに踏んだり蹴ったりだった。
「お前らホームルーム始めるぞー席につけー」
そう言って煙草をふかしながら教室に入ってきたのは担任の
原作でもいぶし銀として名を馳せた英一郎は、ともすればうだつの上がらない中年に見えるが、隠しきれないカリスマ、というのだろうか、彼には何か惹かれるものがあった。
よれよれになったスーツに、学び舎であるというのに片時も吸うのをやめない煙草、常に面倒そうな、それでいて飄々とした態度を崩さない。これらのマイナス要素が奇跡的なバランスでもって北村英一郎という男を一流に仕立て上げていた。ダメ男だけど頼れる兄貴肌、そんな風な印象も抱かせる男だった。
彼は原作でも屈指の強キャラであり、ここぞという時に現れては主人公を助けていた。
そんな彼が放った適当な言葉に、しかし学生達は文句一つ言う事なく従う。やはり彼には人を率いるカリスマがあるのだろう。
「えー先日発生した地震によって――」
煙草を咥えながら話す英一郎の言葉を右から左に流しつつ、恭弥は放課後に起こるだろう出来事へ思いを馳せる。
原作の前日譚である「夜に哭く0」における最大の事件、「
この事件を発端に、薄氷の上を歩くかの如き危ういバランスで成り立っていた退魔師協会のパワーバランスが完全に崩れ、御家騒動プラス協会のゴタゴタという誰も望まない泥沼の争いの火蓋が切って落とされる。
それを回避する事が出来ればヒロイン達を襲う死亡フラグがかなりの数減るはずだ。主人公がどのルートを進むにしろ、ヒロイン全員生存を狙う恭弥にとって千鶴の生存は必須条件だった。
(つーか協会のゴタゴタも意味わかんねえしな……)
退魔師の開祖とされる人物がいて、その人物の血を色濃く受け継いでいる御家が協会内では権力を持っている傾向にあるが、必ずしも開祖の血を濃く引く御家が強い退魔師を生むとは限らない。だからこそ微妙なパワーバランスと利害関係で協会は成り立っている。
そんな協会内で、千鶴はかなり権力を持っている方だ。尚且、上の人間にしては柔軟な思考を持ち、若者世代の支持を集めている。それが老人達には面白くないのだ。
(そうはいってもクソジジイ達がいなきゃ上手く回らん事も多いんだよなあ……)
と、ここまで思索にふけったところで、後ろからちょいちょいと指で背中を突かれた。
「ん?」
振り向くと、心配そうな顔をした薫がいた。
「もうホームルーム終わったよ。ずいぶん上の空だけど大丈夫?」
「いつの間に。ちょっと考え事をしていたんだ」
「そーなの? 体調悪かったら保健室行くんだよ?」
「いや、体調は大丈夫だよ」
ヒロインという事でもちろん薫も退魔師である。その縁で、桃花程ではないにせよこうして日常会話をする程度にはお互い見知った顔だった。とはいえ、学園では悪目立ちしたくない恭弥にとって、話しかけられるだけで嫉妬の対象になってしまうので可能であれば会話は避けたかった。だから、適当に会話を切り上げて薫に向けていた身体を前に戻した。
ところまでは良かったのだが、今度は前の席に座った桃花が話しかけてきた。
「そういえば、先程伝え忘れたのですが、今夜の会合は無くなったそうです」
そりゃそうだ、と恭弥は思った。定期的に開催される当主同士の会合が存在するが、その当主達が自らの利権のために結託して千鶴暗殺を本日決行する予定なのだ。会合などしている場合ではない。だが、そんな事を桃花が知っているはずもないので、どうでもいいという風を装って「そうか」とだけ返した。
「あ、そうだ。俺も言い忘れてたけど今日は本部には近づくなよ。なるべく家から出ないでくれると助かる」
「……なぜです?」
「あー、いや、ちょっと良くない噂を聞いたものだから」
桃花は「ふうん」とだけ言って追求はしてこなかった。明らかに訝しんでいるが、首を突っ込む気はないようだった。
人を助けるという事は命を投げ捨てる事と同義、とは退魔師の鉄則である。転じて余計な事には首を突っ込むなという意味でも使われる。
この業界は余計な事をすると文字通り首が飛んでしまう事も珍しくない。見てはいけない物を見てしまったらその時点でアウトだ。必要な事は必要な人間だけが知っていればいいのである。
「貴方が何をしようと構いませんが、くれぐれも命だけは落とさないように」
「わかってるよ。俺だって死ぬつもりはない」
人生二度目となる講義を思索にふけりながら受け終えた恭弥は足早に学園を去った。
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