第2話

 私立広陵学園。退魔師協会の息がかかった退魔師達が多く通ういわくつきの学園。表向きは高偏差値の進学校だが、その実態は年若い退魔師達が「学生」という身分を得るためだけに存在するような学園である。


 事実在籍する学生の内半分以上が退魔師、ないしそれに関連する人間で埋め尽くされている。


 普通の進学校と思って進学した一般人は悲しいことに教師陣からの手厚い進学サポートなどというものは到底望めず、あるのは完全放任主義に近い何かだ。その代わり、校則は限りなく自由であり、実質あってないようなものである。


 通常の学園であれば封鎖されている屋上も当然のごとく開放されているし、アルバイトをしようが髪を染めようが何も言われない。その代わり何かあった時学園は何もしない。


 さて、そんな学園になぜ恭弥が通っているかというと、簡単な話である。それは、恭弥自身も退魔師の末席に身を置いているからである。


 とはいえ、御家騒動からは程遠い分家も分家、薄い血しか持たない狭間家の当主としての身分である。


 この世界における恭弥の父にあたる人物はそれなりの実力を持っていたこともあり、彼が当主をしていた時代は協会から有形無形の支援があったが、父亡き今とんと音沙汰がない。退魔師稼業はお情けで務まるような世界ではなかった。


 幸い生活そのものは偉大な父が遺してくれた遺産で問題ないが、問題は別のところにある。この世界の出来事に介入するのはいいが、恭弥には主人公を――。


「よっす恭弥!」


 今更ながら自身の置かれた境遇に思いを馳せながら歩いていた恭弥の背を乱暴に叩く者がいた。飯田いいだけんすけだった。彼は珍しく退魔師に関係の無い一般人学生である。友人の少ない恭弥によって貴重な一般人の友達だった。


「……痛いじゃないか。お前の辞書には普通に挨拶するという文字は無いのか」


「ないね! それより聞いたかよ、氷の女王、またフッたらしいぜ? 今度は二年のサッカー部主将。一体誰ならオッケーするんだかな」


 氷の女王こと椎名しいなとう。彼女は原作のメインヒロインであり、あだ名の通り凍りつくような美貌を持つ人気ヒロインの一人である。


 彼女は人気ヒロインである一方不遇ヒロインという一面も持っている。というのも、ヒロイン中最も死亡フラグが用意されており、またその死に様がどれも酷かった。しかも序盤中盤終盤、隙あらば死亡フラグを建てるものだから彼女の攻略には骨が折れた。


 原作開始半年前である現在も、進行形で死亡フラグを育てている。目下恭弥がその救出を目論んでいる相手でもある。


「巨大な敵が倒せて面倒な稼業から足を洗わせて死亡フラグをへし折って命を救って山奥で一緒に暮らしてくれる人ならオッケーするんじゃないか」


「ず、ずいぶん具体的だな。本人から聞いたのかよ」


「まさか。適当に言っただけさ」


 さもありなん。そんなことをやってのける事が出来るのは世界に愛された主人公様だけである。ご都合主義の一つでもなければ彼女は攻略出来ない。


 ちなみに先程恭弥が言った内容は桃花を攻略するにあたって主人公がやったことである。その過程で主人公は何度も死にかける訳だが彼はその度に愛の力で乗り越える。


「お、噂をすればだ」

 健介はわざとらしく手でメガネを作って桃花を発見した事を告げる。


「ほんっといつ見ても美人だよなー。眼福眼福」


 その美しい立ち居振る舞いからは気品と確かな知性が感じられ、白磁の如き肌と同調するかのように風になびく白銀の長髪。有象無象の視線が鬱陶しいとばかりに不機嫌気味に釣り上げられた薄い眉の下にはルビーを思わせる紅い瞳があった。


「本当に、困るくらい美人だよ」


 今でこそ驚きのあまり息を呑むなどという事はなくなったが、初めて目にした時はそのあまりの美しさに感動して息を呑んだ。


 さりとてお人形さんを眺めるかの如く綺麗だと言ってただ観察していれば、彼女はほぼ間違いなく死んでしまう。だから、恭弥は原作開始前のこの時点からすでに悲劇の回避へと着手していた。


「お前はそんな美人さんとどーいう訳か友人だ。一体全体何をしたんだ」


「何もしていないよ。ちょっとした機会に話しをするようになっただけだ」


 そう、特別な事は何もしていない。妖討伐の事などを指す「お務め」で一緒になった際にこれ幸いと話しかけ、ちょっとした友人関係を構築しただけである。それもこれも不遇ヒロインである彼女を救うためだ。


「あら、恭弥さん。おはようございます。先日はどうもありがとうございました」

 こちらの姿に気づいた桃花が鈴の音の如き耳触りの良い声でそう言った。


「おはようさん」


 桃花が丁寧な会釈をして見せたのに対して、恭弥は軽く首をしゃくるだけに留まった。ここら辺に育ちの違いが出ている。


「ご機嫌麗しゅう、椎名さん」

 恭弥に乗る形で健介も戯けた口調でそう言った。


「いえ、先程から不快な視線を向けられているので良くはありません」


「まあこんだけ見られてたら不快にもなるわな」


「本当に、煩わしい事この上ない」


「そうですよね! いつも見られてたらストレス感じますもんね」


「貴方もですよ。恭弥さん、付き合う友人は選んだ方が良いかと思いますが」


「相変わらずの塩対応! でもそれがいい!」


「……貴方は静かに話せないのですか」


 伊達に氷の女王と呼ばれていない。桃花はごく一部の人間を除いて基本的に血の通った反応を返さない。元々落ち着いた性格だというのもあるが、それ以前に周囲に壁を作っている。そんな中恭弥はある事から例外の一人である。


「その辺にしといてやってくれ。それより、前紹介した店どうだった? あいつは気に入ってくれたか?」


「ええ、おかげで誤解が解けました。いずれお礼に参ります」


「いいよ、俺は店紹介しただけみたいなもんだし。気にしないでくれ」


 桃花には妹が存在する。原作時点ではお互いを殺したい程憎み合っているが、元々は仲の良い姉妹だった。なぜそうなったのかは裏設定に書いてあった。この時期に両陣営の大人達の企みによってその仲が引き裂かれてしまうのだ。誤解に次ぐ誤解。次第にそれは疑心へと変わり、憎しみになる。


 あまり介入し過ぎて流れが変わってしまえば困るが、大人の薄汚い考えでせっかくの姉妹仲が引き裂かれてしまうのは避けたいと思った。だから、恭弥は死亡フラグ回避の一歩として姉妹の仲を取り持っていた。


 とはいっても、やっている事は単純だ。姉妹水入らずで過ごす時間を増やす。ただそれだけの事だ。元々仲が良いので、それだけで十分過ぎる効果がある。


 原作に影響が出なさそうな範囲で姉妹のお務めを肩代わりし、悩みがあれば相談に乗る。そして、良いお店を紹介して二人で過ごさせる。たったこれだけの事で死亡フラグが一つ回避出来るのならば安いものだった。


「そうですか。ではこうしましょう。いつか貴方に危機が訪れた時、わたくしが真っ先に駆けつけましょう。貴方風に言うならば貸し一つです」


「そんな日が来ない事を祈ってるよ」


「なんだこの疎外感は。二人共俺にもわかる会話してくれよー!」


「うるさいですよ」


「相変わらず冷たい!」


 有象無象に比べれば反応してくれるだけまだマシな対応をされている事に気付いていない健介に苦笑しつつ、三人は学び舎へと足を踏み入れた。

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