第16話 咲の月曜日

 咲は昨日教わった洗濯と掃除のやり方を思い出しながら、せっせと手を動かす。母の手伝いをしていた時とは違う苦労があった。


 まず、洗濯機は一度も動かしたことがなかった。母が洗剤を色々投入していたのを見てはいたが、投入口がこんな風になっているとは思わなかった。

 咲は手際よく、茜に指定された洗剤と柔軟剤を決められた場所に入れる。そして、ボタンを押す。

 まだ二回しか──一回目は茜と一緒にした──していないが、覚えるのは簡単だった。

 寧ろ、洗剤を入れてボタンを押すだけなので掃除よりも楽だ。

 次に掃除だ。洗濯機が動いている間に出来るだけ早く終わらせる。ただ、流石に二人で全部屋の掃除は無理なので、今は自分たちの使う部屋とトイレ掃除だけでいいと言われている。

 咲としてはリビングの掃除も加えても問題はなかったが、失敗したら追い出されるかもしれないので黙っておいた──たとえ失敗しても茜はそんな冷酷ではない。


 咲はトイレ掃除をする前に階段を上がり、自室の扉を開けた。

 部屋には椅子に腰掛けながら本を読む自分と同年代の少女──智乃がいた。

「ねぇ智乃。どうしてあたしだけ働いてるのよ。あなたも居候の身なんだから少しは手伝いなさいよ」

 咲がここに来た理由は、智乃に手伝ってもらう為だ。


 しかし、智乃は一向に動く気配がない。聞こえているのかを疑うほどだ。

「ねぇ智乃ってば!」

 今度は強めに怒鳴る。するとやっと動き出した。

「智乃がやるよりも咲がやった方が早い」

「それはそうだけど! 二人で居候してるのに片方だけ仕事するのって可笑しいと思わない?」

「思わない」

 即答だった。

 この怠け者をどうにかして働かせたい。智乃が動くとすれば、

「そんなんじゃ、試験に合格出来ないんだからね」

 一瞬、ぴくっと反応した。もう少しでいけると判断した咲は更に付け加える。

「あーあ、二人でクリアしたかったんだけどなー。もしかして、あたしだけ先に神になっちゃうかもなー」

 智乃は本を閉じ、じっと咲を見た。

「な、なによ」

「……ご法度」

「大丈夫よ。誰にも聞かれてないわ。暁月は部屋で寝込んでるし、茜は学校だもの」

 智乃は試験開始前に聞かされた禁則事項のことを言っているのだろう。智乃には到底叶わないが、咲だってそれを忘れるほどの馬鹿ではない。

「でも、バレたらどうするの?」

「大丈夫よ。もう言わないから」

 本当に言う気はない。だが、

「智乃が手伝ってくれないって言うから、いけないんたからね? 何が試験か分からないんだから、もしかしたらこれが試験かもしれないのに」


 その言葉を聞いて渋々納得した智乃は椅子から立ち上がり咲の側まで来る。

「何するの?」

「トイレ掃除」

「それ以外は?」

「ない」

 そんな短い会話をしていく毎に、智乃が嫌そうな顔をしていく。

「はぁ、……あっちでも一度も掃除したことないんだから最初は教えてあげるけど、これからは毎日一人でやってね。トイレ掃除」

「智乃にもっと優しい仕事はないの?」

「ない」と、断言する咲は「早く行くわよ」と言い智乃と共に階段を下りた。


 咲と智乃が掃除を終え、咲はリビングで、智乃は自室で寛んでいると、家のインターホンが鳴り響いた。

 少し驚いた咲は、絨毯の上にジュースをこぼしてしまった。慌てて拭くが、こぼした時点で一度、洗う他ない。しかし、今からだと元通りにする前に茜が帰ってくるだろうから、叱られるのは確実だ。


 怒られることが分かった咲は深いため息を一つ。

 それから、玄関へ向かう。一瞬自分が開けて良いのか躊躇いはしたが、郵便物などだったら受け取らなければいけないと考えた咲は玄関の扉を開ける。

「……はーい。……どちら様?」

「あ、咲ちゃん。昨日ぶりだね、暁月くんいる?」

「瑞紗!? まぁ、いるわよ」

 どうぞ、と言って瑞紗を上げる。自分の家じゃないが瑞紗なら平気だろうと考えてのことだ。

 瑞紗は、一人で暁月の部屋に行けるから大丈夫だよ、と言って一人でスタスタと階段を駆け上がっていった。

「瑞紗って暁月の彼女……なのかな?」


 咲には彼氏・彼女の概念がよく分からないが、な人に告白をして、了承されれば恋人になることが出来、その二人を彼氏・彼女と言うことは知っている。

『好き』という感情が分からないが、言葉の意味としては理解している。


「……瑞紗は暁月が好き。それで、暁月も瑞紗が好き、ってことよね。……智乃ならこの感情も知っているのよね」

 少し智乃を羨ましく思う。いや、智乃ではなく、アルテナの能力を、だ。


 咲──セレネの能力はどんなことでも──バカなので頭を使うとパンクするのでそれは出来ない──やろうと思えばなんたってできるが、やりたいと思ったことでないと上手く効果が発揮できない。


 セレネの能力は、咲が身体能力に長けていると考えた場合、アルテナは知力に長けている。セレネには分からないことでも何でも知っている。どうやってそんな知識を得たのか、誰かに教えてもらったのかは分からないがまるで未来さえも分かっているような気がする。


 見習い神の修行をしていた頃は、文字のテストや数字のテスト以外の、体を動かすスポーツのテストが好きだった。それならアルテナに勝てるからだ。

 姉として、妹に負けるというのはプライドが許さない。それでも、全能の力でさえも文字のテストや数字のテストでアルテナを越えることは出来なかった。

 アルテナは勉強をしていないのに、必死に勉強しているセレネを平然と上回って、それが凄く厭わしかった。

 それでもそれが能力なんだ、ということは常識なのでアルテナを憎むことなんか出来ない。セレネがそう思ったらアルテナにも同じことを思われてもおかしくはない。

 アルテナは一度もセレネにスポーツのテストには勝てなかったからだ。セレネだってアルテナに嫌われたいわけじゃない。 妹に嫌われることと妹に負けることを天秤にかければ、前者の方が価値は重い。

「あとで智乃に聞いておこうかしら……。智乃ならきっと分かるはずよ」

 後で智乃に聞くことを忘れないように心のメモ帳に書き込む。人間として転生しても能力が活かせるのは便利だ。こうして心の中で覚えたことも必要な時に引出しを開ける感覚で取り出すことが出来る。


「──あ」


 咲は絨毯の存在を完全に忘れていたことに気づき、急いでリビングへ向かう。そして、ゆっくりと丁寧に、且つ素早く絨毯を丸める。

 しかしこれは、洗濯機にはいるだろうか、疑問がある。毛布のように柔らかくないので丸めたら円柱になってとても入りそうにない。

「──はぁ。これは茜に謝るしかないわね」

 もう、そうするしかないと思った。絨毯の洗い方を知っていれば対処できたかもれないが──

「あれ、もしかすると、瑞紗に聞けばいいのでは?」

 妙案を閃いた。

 そうと決まれば急いで──転ばないように──暁月の部屋へ向かう。あまり音を立てると暁月を起こしてしまいそうなので部屋が近くなったら普通に歩いていく。

 暁月の部屋のドアが開いていた。瑞紗が開けっ放しにしたのだろう。

 そんなことを思いながら咲は声をかけようとドアノブに手をかける。

「──今は誰も見てないし、大丈夫だよね」

 急に瑞紗の声が聞こえたので咲は反射的に隠れるようにドアの影に入った。好奇心でチラ見をする。

「──瑞紗……?」

 その声は瑞紗には届いていないようだ。瑞紗はゆっくりと暁月に顔を近づける。対して暁月は完全に眠っている。

 ──何してるのかしら?

 咲にはこれから何が起こるのかさっぱりだったので、そのまま眺めていた。

 次の瞬間には、瑞紗は眠っている暁月の唇にキスをしていた。

 その時、咲にも分からない感情が心臓の鼓動を荒くした。自分でもびっくりした咲はそのまま逃げるように自室まで早歩きで歩く。

 自室にはもちろん、智乃がいるが、そんなことは気にしない。あっちだって特に気にした様子ではなさそうだ。今はそうしてくれるのがありがたい。


 ──何なのよ。これ


 心臓の鼓動が止まない。

 寧ろ、さっきよりもドクンドクンと智乃にも聞こえてしまうんじゃないか思うほどに打っている。

 何がなんなのか分からない咲にはこれを止める手段が分からない。

「咲。どうかした?」

 突然、声をかけられた。

 誰かと思って顔を上げてみれば、智乃が椅子に座ったままこっちを見ていた。

「平気よ。ただ──」ただ、「──不思議な感覚を味わったから、混乱しただけよ」

「……そっか。何があったの?」

 何があったのか。そう聞かれると、何かがあったわけではない。どうすれば上手く伝えられるだろうか。いや、上手く伝える必要はない。智乃が上手く読み取ってくれる。

「瑞紗が暁月にキスをしていたのをこっそり見ちゃったの」

 智乃は一瞬驚いた顔を見せた。そんな顔をしたのは初めてかもしれない。いつも表情が変わらないから。


 しかし、直ぐに元の表情に戻る。

「咲は、暁月がキスをされているのを見てそうなったの?」

「──え?」

「暁月がキスされている光景を目撃したから、その不思議な感覚? を感じたんじゃないの?」

「えっと、そう、かもしれないわね……?」

「何で疑問形」

「仕方ないでしょ! あたしだって分からないんだから!」

 智乃に教えてもらいたいくらいだ。


「うーん、多分。これはほんとに多分なんだけど、咲は暁月が好き……だから瑞紗とキスした暁月に嫉妬したんだと思うよ」

 嫉妬。咲の知らない感情のうちの一つだ。

 今のは嫉妬という感情の現れなのだろうか。だとしたら、咲は暁月が好きということになる。


 しかし、

「あたし、暁月を好きだとか思っていないわよ?」

「それ、無意識だとしても絶対本人の前で言っちゃダメ」

「あ、ごめん。でもあたし好きってなんなのかよく分からないし」

「分からなくても、その言葉は人を傷つけるよ」

 そんなこと初めて知った。いや、今まで知らなすぎたのか。

「それは、ごめん」

「別に、でも咲は好きが分からないの?」

「えぇ」


「じゃあ、智乃のことどう思ってる?」

 どうしてそんなことを聞くのだろうか。まぁ、取り敢えず思ったことを口にする。

「大切な妹──あ、ここでは親友だったわね。すごく大切な親友で居なくなったら悲しいと思うわ」

「それだよ。その大切だって思う気持ちと居なくなったら悲しいって思う気持ち。この二つの気持ちが強くなったから、さっきそうなったんだと思うよ。それが、好きってことなんだから」

 そうだったのか。誰かを大切に思う気持ちの居なくなったら悲しいと感じる気持ちは、好きとイコールだったんだ。


「でも咲、智乃を好きって気持ちと暁月を好きって気持ちは必ずしも同じってことはないからね」

「それってどういうこと?」

「それは自分で確かめて」

 智乃はまた本を読み始めた。

 ──このモヤモヤはどうすれば取れるのかしら

 そんなことを思っていると、

「ただいまー」

 玄関の方から声が聞こえた。

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