第13話 夜の執筆
その日の夜。
暁月はパソコンを起動させ、いつものアプリケーションを開き、サイトにアクセスした。
サイトの名は『小説家になろう』。暁月が毎晩投稿しているサイトだ。
そこで暁月は『Utopia』という物語を書いている。ジャンルはホラーサスペンスだ。
主人公──
というあらすじだ。暁月的にはかなりの出来だと思っているのだが、なかなか共感が得られない。
やはり、自分が書きたいことを書くよりも人気の出やすいイチャイチャ甘々なラブコメや俺TUEEEE系の方が良いのだろうか。いや、だめだと暁月は呟く。
「僕は瑞紗のために小説を書いたんだから」
その小説──絶賛投稿連載中の作品とは違う──も既に出来上がっている。ただ意気地無しだったから渡せなかっただけだ。だがそれだけが理由ではなかった。
納得できなかった。この小説が瑞紗に渡すことに相応しくないと思った。暁月の本心を知ってもらうために、己の欲を出し切った作品を書いたつもりだ。
でも、足りない。今は小説家の足元にも及ばない技量しかない。暁月はもっと技術を磨きたい、知識を得たい。
そんな衝動に駆られた。
己の技量が上がれば、気持ちを──感情を
今日もまた、小説を書く。一日何文字書くとか、何時間書くとかは決めていない。書きたい時に書きたいことを書きたいだけ書く。ずっとそれでやってきた。
書きたくない日なんて来なかった。
書きたいことなんてあり過ぎて、忘れそうになった。
一生書いていたいと思うほどに、書くことが好きだった。
でも、
「──書けない」
外はもう闇に蝕まれている。月の光だけが、地球を照らしてくれている。
暁月は机のライトだけを付けて、薄暗い部屋の中でそう呟いた。
自分で発した言葉なのに、頭が必死に抵抗する。それを否定するかのように。認めたくない自分がいた。小説を書き始めてから半年以上が経っている。
半年間そんなことは一切なかった。何を書こうか迷うことはあっても、何を書いたらいいのかすら分からなくなることなんて一度もなかった。
暁月は初めての経験に畏怖する。このまま一生書けなくなってしまうのではないか。小説家になれないのではないか。そう思った。
これがスランプで終わって欲しい。そう願うことしか出来なかった。
暁月は小説を書くだけではなく、読むことで文章構成力を身につけたつもりでいる。自分で言うのもあれだが、独学にしてはかなり力をつけた方だと思う。沢山の本や雑誌を読んで、ネットで調べて知識を培った。
一日とて怠けたことなどない。学校の授業だって知識を得るためと考えれば自然と楽しく受けられるようになったし、経験を積むことが大切だと知ったからバイトだって探し始めている。
「なのに、どうして。僕はちゃんと出来てなかったの? 足りなかったの?」
暁月額を机に打ち付け、目を潤しているものが落ちてこないようにする。
ガンッ。ガンッ。ガンッ。思ったよりも強く打ちつけてしまったのか、その音が部屋の静けさを証明するように暁月の耳にもはっきりと鳴り響いた。
それでも痛みは感じない。書けないことに対する苦しみの方が圧倒したからだ。
暁月にとって小説は、瑞紗のためのラブレターだった。それが今では、瑞紗と同じくらい大切な──人生に欠かせないものとなっていた。
その小説が書けなくなったということは、瑞紗に振られたことと等しく辛いことだ。
ラブレターを渡さずに、恋を実らせる方法を暁月は有していない。
顔を上げ、本棚──自作本は手元にあるためそこにはない──を見上げる。一番先に目に入ったのは、小説を書くきっかけのラノベ『妹さえいればいい。』だった。
内容は言わずとも分かる人もいるほどの名作といえる作品だ。暁月はこのラノベを読んだことが、出会えたことがかつてない幸福だった。小説を読むことだけでなく、書くことの楽しさと人生の愉しさを教えてもらえた。
そして、そんな暁月のように人生を変えてくれるような作品を書いてみたいと思った。
その時、一滴の雫が頬を撫でるように落ちていった。それがきっかけとなるように次々に流れていく。
「…………悔しいな」
それが暁月の本心だった。
どんなに努力しても、才能には到底勝てなくて。
どんなに急いで勉強しても、経験の無さが壁のなって立ちはだかっていて。
きっと、暁月の努力なんか大したことはなくて。
暁月以上の努力をした者達だけが、小説家という職業を手にすることが出来ていて。
そう思うと、胸の内の葛藤と嫉妬、怒りと悲しみが
「うぅぅぅ」
耐えきれなくなった暁月は嗚咽を漏らす。最初は小さかった声がだんだん大きくなっていく。夜中だからとか、近所迷惑にならないかなど一切頭にない。
ただ、精神を苦しめる感情を早く外に出してやりたい。その一心だ。
暁月は泣き続ける。いや、もうそれしか出来ない。小説を書く気力はもうなくなっている。泣いたところで何も意味がないのは知っている。
だからといって泣くなというのは無理がある。……そんなことは、無理に決まっている。
その時、ガチャ。扉の方から音が聞こえてきた。
暁月は一時泣くのを止め、涙を裾で擦り、扉を凝視した。
扉の前には智乃が立っていた。パジャマ姿のまま、うさぎの抱き枕? 人形? を持っていた。
泣いていたことを気づかれたことに暁月が騒ぐより先に、智乃が口を開いた。
「どうしたの? 具合でも悪い?」
智乃が心配してくれていることで騒ぐ気はなくなった暁月は心を落ち着かせる。
「大丈夫だよ。ごめんね、起こしちゃって」
「ううん。咲の寝相が悪過ぎて眠れなかったとこだから」
「そ、そうなんだ」
咲は寝相が悪い。絶対にベットで寝させたら落ちるパターンだ。
「それで、何処か具合でも悪いの?」
「いや、大丈夫だよ」
「ほんとに?」
「う、うん」
何だろう。本以外に興味なさそうな智乃がかなり心配してくれている。暁月が倒れた時だって、心配してくれたのかさえ不明だったのに。
「そう。それならいいんだけど……」と智乃は続けて「面白かったよ」と付け足した。
「え? 何が?」
「……本。君が書いた本──面白かった」
高揚感。今暁月が感じたのはまさしくそれだ。初めて言われたその言葉に思わず涙してしまいそうになるが、堪える。
そして、聞き返す。
「本当に? あんなのが面白かったの?」
智乃は表情変えずに答えた。
「うん。今まで読んだ本の中で一番面白かった」
暁月は嬉しさのあまり堪えることが出来なかった。
暁月の泣く様子を見て、悲観したのか近寄って頭を撫でてくれた。
智乃の身長では、暁月の胸あたりまでしかないが背伸びをしてまで優しく撫でてくれた。暁月は咲に抱きしめられた時のことを思い出した。
あの時も咲が暁月を想ってしてくれた。赤の他人なのにあそこまでしてくれたら、暁月でなければ変な気を起こしていたかもしれないのに。
嬉しい。
それ以外出てこない。
もし、こうされるのが茜だったら。もしくは別の人だったらこんな純粋な気持ちを抱くことはなかっただろう。
咲だからこそ、智乃だからこそ、なのだ。
「ありがとう智乃。面白いって言ってくれて」
「? 面白かったから素直に言っただけ……後、破っちゃったし」
智乃だからこそ、純粋に面白いと言われたことを受け止められる。お世辞で言われても嬉しくもなんともない。その人の厚意で言っていたとしても、暁月には分からない。
「本のことは残念だったけど、正直そこまで大切なものじゃなかったんだよ。確かに前は大切だったけど、必要ないから」
「必要ないって?」
純粋で素直な疑問というのはこんなにも胸に刺さるのだろうか。
「書けなくなったんだ。小説が」
もう隠すこともない。過去のことだ。これまでの努力は全部、過去だ。
「どうして?」
「それがわかったら、今頃書き始めてるよ」
「いつから書けなくなったの?」
「いつからかな。もしかすると、ずっと書けていなかったのかも」
そうだ。ただ文字を揃えて文を作っていただけで、本当は最初から書くことすら出来ていなかったんだ。
「そんなことないよ」
「どうしてそんなことが言えるの?」
「だって、智乃は君の小説──面白いと思ったから。また読みたいと思った」
「……そんな事言われても。──書けないものは書あけないんだ!」
そこではっとする。暁月はつい当たってしまったことに気がついた。智乃の方を伺う。
「……ごめんなさい。智乃そろそろ寝るね」
「大声出してごめん智乃。僕が悪いんだ。許して欲しい」
「うん、平気だから大丈夫だよ。おやすみ」
「……おやすみ」
暁月がそう言うと、智乃は部屋を出ていった。出る間際に囁いた『新しいのが書けたらまた読みたいな』。その言葉は暁月には聞こえなかった。
「はぁ……何やってんだよ僕は。智乃に当たったってどうしようもないだろ。これじゃあ明日から顔向けできないよ」
暁月は自分の行動を深く反省していた。
いくら何でもやっていい事と悪いことの区別は分かる。先の暁月の行動は後者だ。
これじゃあ、智乃の中で暁月は怖いイメージを付けられても何も言えない。
「智乃に謝らないとな」
智乃との関係を取り戻す、と言うより何より小説を好きだって言ってくれた子にあんな目をさせる小説家になりたくない。
暁月はもう一度本棚を見据える。
暁月の目先には『妹さえいればいい。』がある。その作品内のキャラクターに『
「なれるだろうか、主人公に」
脳内でもう一度、伊月の言っていた言葉を繰り返す。
そして、口に出す。今度は誰も起こさないように、小さな声で大きな意思を。
「僕──いや、俺だって主人公になりたい」
主人公:佐藤 暁月がここに誕生した。
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