第10話 約束

『佐藤 暁』の名前を『佐藤 暁月』に変更。

 ですが、呼び方は変わりません。




 暁月はその不思議な空間で横になっていた。何もない床の上で独りポツンといる姿は孤独を体現したようだった。

 目を開けるとそこには純白の世界が広がっていた。見渡す限り、白単色で染められている所為か、距離感が全く掴めない。天井があるのかさえも分からない。

 とてつもなく大きな世界にいるようにも、小さな箱に入っているようにも思えた。


 そこへ突然、どこからともなく大柄の男が現れた。

 男の顔は若さと老いの丁度真ん中くらいの歳頃のように若々しさと尊厳さがある。眉間に皺を寄せれば近寄り難く思われそうな顔つきだ。そして、奇妙なくらい似合った和服を着用している。

 暁月の第一印象は誰だこの人、だ。

 もしここが不思議な空間でなければもっと別に思うことがあっただろう。

 自分が誘拐され、目の前にいるのがその犯人かもしれない。そんな考えに一切思い至らなかった。

 この人は誘拐などしていない。なんの根拠もないのに、絶対の自信を持って言えた。どうしてそう思ったのか、自分でも分からない。


 しかし、事実、男は何かをする素振りを見せずただその場で腕を組んで仁王立ちしたままだ。

 今まで気が付かなかったが、男の隣に小柄の──と言っても成人女性の平均身長よりもやや低い程度──女性がいた。

 男の体格が大きいためか、女性の体が小さいからなのか、その二人が並ぶと親子のようにも見えてしまう。


 二人は暁月をじっと見ている。いつも茜から向けられる心苦しくなるような視線ではない。

 男からは、娘を預けるに値する男かを判断する目を。女性の方は、娘を信じて見送るような優しい目で見つめている。

 やがて、時間にして十秒くらいが経過した頃、男が口を開いた。

「なぁ、さっそくで悪いんだが、お前ん家に双子が来てないか? まだちっこい双子の女の子なんだが……」

 暁月は頭の整理が追いつかずに男の声を認識するので精一杯だった。


 男の声は、年相応の声をしていたが、この人には絶対の敬意を評すべきだと脳が言っている。

 聞かれたことで覚えているのは、双子がどうとかのみで重要な部分を聞き逃してしまっていた。


 もう一度お願いしますと乞うべきかと悩んでいる内に隣にいる女性から声をかけられた。

「ごめんなさい。急に聞かれても動揺するだけよね。まずはここが何処なのかを教えてあげますね。かなり簡単に説明するとここはあなたの夢の中です。あなたの夢の中に入ってきました。私は不知火と申します。こちらはカムイです。私たちはあなたに言いたいことがあって来たのです」


 漸く耳が慣れてきたのか、今度はしっかりと聞くことが出来た。女性──不知火というらしい──の声は耳がとろけそうになるほどの美声だった。

 これ以上美声の人を暁月は一人しか知らない。


 しかし、夢というのはそれを認識できるものなのだろうか。これまでも何度も夢を見てきた中で夢の中の人から夢です、と言われたのは初めてだ。夢の中に入ってきた、と言われたのも初めてだった。


 しかし、暁月は自分でも驚くほどに冷静だった。夢の中に入ったと言われたら、言った相手を馬鹿だと思うだろうが暁月はそう思わなかった。寧ろそれが当然のように思えた。

 だからこそ、暁月は怯えることなく答えることが出来る。

「えっと、僕は佐藤 暁月と言います。その、言いたいこと、とは?」

 何を言われるのかは分からない。でも不思議と悪い気はしなかった。

「佐藤 暁月さん。あなたに一つ、頼みがあります。……どうか、二人の願いを叶えてあげてくれないかしら?」


「二人……?」

 暁月には二人というのが誰を指すのか分からなかった。知人に双子なんて居ただろうか、と知り合いを含めて多くの人を脳内から引きずり出す。が、双子の知り合いはいなかった。

「えぇ。もしかすると、双子ではないかもしれないのだけれど、ごめんなさい。名前までは分からなくて、ただ、あなたの家に居たのは確かなのよ。心当たりないかしら?」


 心当たりはない。だが、本当はそうではない気がしていた。心当たりなど本当に皆無だ。暁月の家族は両親二人と妹で四人家族。双子などいない。

 ただ、あと二人居たような気もした。その二人というのが不知火の言う二人と合致するかどうかは分からない。


 それにその二人が暁月の知り合いだとも限らない。もしかしたら、存在するかどうかも怪しいかもしれない。

 ──でも、そうなのかもしれない。

「その二人はきっと双子と呼んでも可笑しくないくらいの双子ですよ。僕がその子たちの夢を叶えられるかどうかは分かりませんけど、貴方様方の頼みでしたら努力したいと思います」

 自然と敬称をつけてしまった。でも、そう出来たことが喜びとなって胸をざわつかせている。

「ありがとう」

 不知火は満面の笑みを浮かべた。隣を見ると、カムイと呼ばれた男も満足気に喜んでいるようだった。

 何となく、認められたような達成感を抱く。

「ところで、夢を叶えるというのは具体的にどうすればいいんですか?」


 不知火とカムイは同じように険しい顔をした。何かまずいことを聞いてしまったのだろうか、と暁月は内心焦る。

「それは二人の夢ですので、私たちでは分かりかねますが、二人の夢を応援してくださるだけでも結構です。あの子たちはまだ子供ですから成長していく中で夢が変わっていくかもしれません。ですがどうかあの子たちを幸せにして欲しいんです」

 幸せ。その言葉は暁月の一番好きな言葉だ。大切な人を幸せにあげたいと頑張ることさえ幸せに思えるからだ。


 誰かを幸せにするためにかけた時間が自分の幸せになっていく。その人を幸せにする為ならば、自分はどんなに高い壁でも乗り越えて見せよう。その勇気がどこからでも溢れ出てくるような言葉だ。

 きっと不知火とカムイも同じ気持ちなのだろう。四人の関係はまるで知らないが、幸せにしてあげたい、その気持ちだけは理解出来る。

 だからこそ、暁月は断言出来る。

「きっと、二人を幸せにしてみせます」




「──つき、 暁月!!」


 誰かが暁月を呼ぶ声が聴こえる。妹の声ではない。瑞紗の声でもない。

 それじゃあ一体誰なのか。

「んぅぅ……」


 暁月は起きて声の主を確認しようとする。しかし、体が動かない。いや、手足はかろうじて動かせる。

 それといつもより重量感がある。まるで地球の重力が少し強くなったように。

 やや恐怖心があるものの目を開けないことには始まらないので恐る恐る目を開く。


「暁月!」

 一番最初に視界に入ったのは朝方玄関先で寝ていた少女の一人、咲の姿があった。

 咲は、暁月に覆い被さるように腹部に股がっていた。先の重量感の正体はこれだったようだ。

 見ると、暁月はソファーの下で倒れているようだった。


「えっと、これは一体……」

「お風呂から上がって暁月を呼びに行ったら、倒れてたから……」

 咲がどれだけ心配しているのかが声でわかった。

 会ったばかりでどうしてそこまで思ってくれるのか分からなかったが、心配させてしまったことを申し訳なく思う。


「心配かけてごめん。でも、少し疲れただけだから、平気だよ」

 暁月の言葉を聞いてわかり易く安心した咲は、暁月から素早く離れる。

「まぁ、別に心配なんかしてないからどーでもいいけどね!!」

 捨て台詞を吐きながら、リビングから出ていった。

 相変わらずだなと思いつつ、少し馴染めてきたことに対して喜びを感じていると、


「おにーちゃんはとうとうロリコンになりました、めでたしめでたし」

「何もめでたくない!」

 頭上から妹の声が聞こえてきた。いつもの声の何も変わらない声だが、だからこそ少し安心した。

 声のする方に頭を動かすと妹と目が合った。しかしそこで暁月は疑問に思う。


 何故、横になっている──具体的には仰向けの自分と妹の目が合うのだろうか、と。

 与えられたヒントはただ一つ。いつか感じた柔らかな感触が後頭部を伝わってくる。

 しかし、それは前よりも一段と寝心地のいい枕──だと思っていた。


 その寝心地のいい枕だと思っていたものは枕は枕でも、妹の膝枕だった。

「なっ!」

 それに気付いた暁月は急いで起き上がる。しかし、起き上がる前に妹の顔があったため、当たり前のことが起こる。

 ゴツンと二人で額を撫でている。

「ごめん茜。膝枕にびっくりしたんだ」

「それじゃ理由にならない」

「ですよね」

 あはは、とこれから叱られることを念頭に置きつつ、直ぐに正座する。これから起こることに向けて。


「……別に今日は特別に許してあげる。おにーちゃんも今日は色々あって疲れただろうから。お風呂は明日はいることにして今日はもう寝たら?」

「ビンタくらいなら──え?」

 説教が始まるかと思いきや、逆だった。そんな寛大な心を持っているなら毎日そうしてほしいものだ。しかし、それは口には出さない。口に出せばもう二度とこんなことがなくなるからだ。


「おにーちゃんはうちのことどー思ってるの?」

「……おにー」

「おにーってなに? そんな動物聞いたこともないけど」


 鬼。と言いたかけたが、妹の顔が鬼化することを恐れたので、誤魔化した。おにーで誤魔化せるとは思っていないが、それで突き通すしか道はない。

「はぁ、そんなこといいから。疲れたんでしょ? だったらもう寝た方がいいよ」

 やけに優しい声だ。もしかして、妹も心配してくれたのだろうか。いや、それはない。

 ならどうして、膝枕までしてくれたのだろうか。いつも兄らしくしているお礼なのだろうか。よく分からないがそういう事にしておく。


「ありがとう、茜。でも今日は汗もかいたし、シャワーだけ浴びてくるよ」

「おにーちゃん、そう言って可愛い妹たちの残り湯啜る気でしょ」

「啜らねぇよ! というか、妹たちって」

「いいじゃん別に。だって一緒に暮らすなら家族同然でしょ?」

「まぁ、別にそれでいいならいいけど」


 暁月はそう言ってリビングから風呂場へ向かう。風呂場へ行くにはリビングに一つしかないドア──裏口も含めれば二つ──を開けて一度廊下に出る必要がある。

 暁月がドアノブに手をかけると、九十度時計回りに回してそのまま引く。

 直後、


「うわっ!」

 咲が倒れ込んできた。

「どうしたの、咲?」

「君のことが気になって盗み聞きしてたっぽいよ」

 廊下の方から別の声が聞こえてきた。智乃の声だ。

「ちょっ智乃! 別にそんなんじゃないって言ってるでしょ! もう、部屋に戻るよ智乃!!」

「はぁーい」

 勢いよく階段を上る咲と、ゆっくり本を読みながら上る智乃を見送り、暁月は風呂場へと向かう。


 ──そう言えば、何か夢を見ていたような……忘れてるってことは大したことじゃないってことか

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