第67話:老兵からの手紙

 七年前の事件。宝田に協力し、やがて船場と出会った。石車は心を病み、アワワ商店街へ立つようになる。

 法に則った捜査をしているはずの宝田。裏の世界から情報を集める船場。両者の手足として、形無は真実を求め続けた。

 それがここ数日の間、一気呵成の様相で動く。結果、辿り着いた犯人は青二の父親。功労者は石車で、事態を動かしたのは船場だ。


「お前がそんなことをしてたとはな、七年間も。教えてくれれば、何か手伝えたかもしれないのに」

「悪い。どうにも裏稼業でな、友野を巻き込みたくなかった」


 お台場まで、二十分と少し。送ってくれる友野の車中、大まかにだがほとんどのことを話した。

 ルーエンからもある程度聞いているはずの親愛なる友人は、運転する正面を見たままため息を吐く。残念そうに。


「いや、責めてるんじゃない。気持ちが分かるなんて図々しいことは言えないけど、何となく分かる気はする」

「そうか、助かる」


 押し付けのない態度が、ありがたくも心苦しい。物分かりの良い距離感が、寂しくもある。むろん裏返せばそれが、友野の感じているもののはずだ。


「暗い顔するなよ。ずっと知りたかったことが分かったんだろ? 喜べ、って言うと違うか。ええと、まあ、何か他のことも出来るようになるさ」

「だな。何をすりゃいいのか、さっぱりだけど。きちんとした木工を習いに行くかな」

「月謝は十万。材料費は別な」

「高えな」

「格安だよ」


 ――まだ冗談にくらいは応じてくれるか。

 卑怯な確認の方法だと思う。けれども友野を失いたくはない。船場や宝田、石車。それに青二とも、違う場所に居る唯一の人間だ。


「おいおい。そんな札束でも落としたような顔をしないでくれよ」

「そんな羨ましい顔してたか?」

「してた。安心しろ、僕も似たようなもんだ」


 意外な告白。まさかこの友人にも、許せない相手が居るのか。びくっと反応した形無を、ルームミラー越しの友野は笑う。


「ははっ、驚くなって。お前が何か抱えてるのは、気づいてたさ。でも言いたくないみたいだったから、聞かなかった。僕も冷たい人間なんだよ」


 ――ああ。いい奴だよ。お前は。

 冷たくなどない。それが普通の、いい友人というものだ。そんなものが自分にあることを、奇異にさえ感じる。


「そんなことない。少なくとも隣に座ってる変人より、友野はあったかいよ」

「そうなのか?」


 ジョークの通じる相手と判断したのだろう。友野は石車に、笑顔を向けた。人見知りの激しいあの男も、「えへへ」と精一杯に応じる。

 それからすぐ、軽トラのあるホテルに着いた。どうせ戻るのだから構わないと、石車は友野が連れていった。


「ああ疲れた。帰って寝ようか」

「オレも行っていいの?」

「いいに決まってんだろ。さっきの話、聞いてなかったのか」


 青二が何を躊躇うのか、おそらく分かる。彼が気に病むのは当たり前で、そうならない人間なら願い下げだ。

 しかしやはり、構う必要はない。親と子は血縁という意味で身内だが、心や身体は別の人間。他人なのだから。


「オレ、あいつの子どもなんだよ」

「だから何だ。俺の親父なんか、つるっぱげだった。でも俺は禿げてない」

「……何それ」

「親と子どもが違う人間って見本だ。見てくれが似たとしても、中身は絶対に違う。仮にお前が、同じになろうとしてもな」


 冗談にしようと思ったのに、うまくいかなかった。あからさまな義理的な笑いを、「はは」と漏らされたのが悲しい。


「石車みたいになれとは絶対に言わんけど、あの図太さのいくらかくらいは持ったほうがいい。遠慮する奴が損する世の中だからな」

「うん」

「うーん。どうしても気になるんなら、バイトでもして生活費を稼いでくれ。俺の収入も減るから」

「分かった」


 少年は頷いた。だが笑みの欠片もなく、納得した風でない。もう一度「帰ろう」と声をかけても、やはり頷くだけで返事はなかった。


 ◇ ◇ ◇


 浅井浩二は警視庁から埼玉県警に身柄を移し、逮捕された。DNA鑑定が行われ、余罪も多く判明したようだ。

 逮捕の知らせから、ちょうど二十日後の日曜日。形無家を訪れる者があった。赤いワゴンRでなく、表にタクシーを待たせた宝田だ。


「メーターが上がっちまう。手短に言うぞ」

「はあ」

「浅井浩二は明日、起訴される。事実も全面的に認めている。素直なもんだったそうだ」


 詳しくはメモをしてきたと、茶封筒が差し出された。受け取るとしっかりした洋紙に、境山警察署と印刷がしてある。


「じゃあな、もう会うことはないだろう」

「えっ、どうしたんです?」

「妻の里へ行くんだよ。一人っ子でな、畑を継がせてくれるとさ」


 警察官を辞めたらしい。鬼瓦のようだった四角い顔が、戻した凍り豆腐のごとしだ。和らいだと言えばそうだが、萎びて頼りなげにも見える。


「そりゃあ――じゃあ、墓はどうするんです?」


 ずっと張り詰めていたものが途切れた気持ちはよく分かる。そんなことを言うなと言えるほど、気安い関係でもない。


「寺には話を通してある、お前が管理してくれ。いつか飽きたら、その鍵を寺に返しゃいい」

「鍵?」


 茶封筒を逆さにすると、小さな鍵が滑り落ちてくる。突起が一つあるだけの、簡易な物だ。


「位牌堂の引き出しの鍵だ。いい物は入っちゃいない」

「分かりました」


 また「じゃあな」と、宝田は背を向けた。が、玄関の戸を掴んで止まる。


「そうだ、忘れるとこだった。青二に伝えとけ」

「はい、何です?」

「お前はお前だってな。誰に何を言われようと、いつか自分の大事なもんを掴んだ奴が勝ちだ。お前の保護者は、それを良く知ってる」


 ――褒めてるのか?

 意図を考えるうち、宝田はさっさと歩いていった。つっかけを履いて追いかけたが、もう振り返らない。

 走り去るタクシーに向かい、深く頭を下げた。


「ってことらしい」

「うん。聞いてたよ」


 ゆっくりと青二も玄関から出てくる。手を振ろうとしたのだろう、腕を上げてまた下ろす。


「明日、墓参りに行く。青二も来いよ、助けてくれたって環に紹介したい」


 あれからまだ、墓へは行っていない。顛末を話したかったが、半端になると思えて。

 しかし宝田が去ったくらいだ。もう事実がひっくり返ることはないのだろう。そう思い、行く気になった。


「遠慮しとくよ」

「何でだよ、帰りに焼肉も食わせてやるから」

「何で食べ物で釣れると思ってんのさ。そういうんじゃないよ」


 環に紹介などと、畏れ多い。遠慮していると考えたが、違うらしい。


「次に行くときは一緒に行くよ。最初は一人で行きなよ」

「別にいいのに」

「いいから」


 譲らなかったので、勧めに従うことにした。次回は行くと言うのだから、無理強いすることもあるまい。

 それより宝田からの手紙を、どうすべきか。すぐに読みたい思いと、墓の前で読み聞かせたいのと。この期に及んで、怖れる気持ちもある。

 だからとりあえず、机の上へ丁重に置いた。


「読まないの?」

「後でな」


 というやり取りが、十数分置きに繰り返される。青二の父親に関することだから、気になるのは当然だが。


 ――心の準備が出来るまで待ってくれよ。

 そう声に出すのは、気恥ずかしい。それで結局、風呂に入った後と決めた。風呂に意味などない。他にきっかけが思いつかなかった。


「先に読んでよ。その後、オレが読んでまずいことがあったら、中身を教えてくれるだけでもいい」


 いちいち出来た男だ。巡り合ってからのおよそひと月で、見違えた。こんな調子で学校に行っては、以前と別の意味で級友と話が合わないのでないか心配になる。


「んじゃお先に」


 風呂に入り、禊を済ませた気分だ。父の作った重い椅子に腰かけ、机の横に青二がしゃがみ込む。

 高鳴る心臓を、軽口で無かったように振る舞う。

 どういう心積もりで読もうと、どういう開け方をしようと、中身は猫でない。既に決まった文面だ。分かっていても、落ち着かなかった。

 爪で摘むように、取り出す。入っていたのは、警察の使う罫紙。埼玉県警察とも印刷されていないもの。昨今、調書なども機械印字でなければ受け付けられないそうだ。

 その用紙にきっと万年筆の、へたくそな文字がのたくった。


「宝田さんらしい」


 出だしの一行に、苦笑混じりで噴き出した。宝田に笑わせられる日があるとは思わなかった。

 それで油断したのが、いけなかったかもしれない。その先いくらかを読んで、以降を知るのがつらくなった。


「青二。友野のくれたやつ、取ってくれるか」

「えっ、飲むの?」

「途中まで読んじまったからな」


 空港から送ってくれた友野が、別れ際に飲み物をくれた。ディスカウントで買ったらしく、箱で。

 黒文字で雄々しく、ストロングと書かれたチューハイ。この先何か口走っても、強い酒のせいだ。

 七年振りのアルコール。冷蔵庫に入れてもなかった缶の半分ほどを、一気に呷る。

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