第55話:船場の命令

「ここは私の世話する者に貸す部屋でな。正確には、このビル全てだが」


 形無を押し込むように、船場は玄関に入ってくる。後ろにタオと、部下たちも続く。


「なぜこんなところへ来た? 先日の件を謝罪にか。さすが情報屋というところだ、抜け目ないな」


 靴を脱ぎ、乱れた裾を整え、ついでに横髪を撫でつけ、短い廊下を歩く。船場の動作はサッサッと、ひとつひとつに効果音が鳴るようだ。


「いや、ええと」


 形無は後ろ歩きに、青二とルーエンの居る居室へ退がった。

 自信に満ちた薄い笑みの男は、見え透いた皮肉を言っている。これに返すうまい言葉などあるはずもないが、分かっていても探してしまう。


「ただでさえ、あの夫婦に手間がかかっている。お前まで世話を焼かすな」

「形無さん、どう――船場!」


 複数を引き連れて戻った背中に、青二が不審の声を投げた。それは最後に逃げ回っていた相手を認め、敵意の叫びとなる。


「一緒に居たのは、やはり青二か。連れ去られたと聞いて、心配していた。しかし呼び捨てとは、友人として扱ってくれたのか? おそらくそうでないだろう。ならばいかんな、他人を呼ぶときは敬称を付けるべきだ」


 細いストライプの入った、濃いグレーのスーツ。どう見てもその辺りの会社員と違う、整髪料をたっぷり使ったソフトモヒカン。

 カタギには見えない風体で道義を語る口調は、至ってフランクなものだ。


「あ、あんただってオレを呼び捨てにしてるじゃないか」


 引き止めようと腕を掴むルーエンを、青二はそっと引き剥がす。座っていたその場に立ち、声をつかえながらも噛みついた。

 船場は「ハッ」と、愉快げな顔を作って笑う。吊り上がった口角が、世界を滅ぼす悪魔のようだ。


「はっはっ。その場に適した内容を、臆せずに言う。簡単なようで、稀有な才能だ。あとは正しい言葉選びが備われば素晴らしい」


 そろそろ新聞配達なども始まる早朝。船場の両手が打ち合わされ、パンとけたたましい。


「これは真面目な話だが、卒業したら私のところへ来るか? 側近として育ててやる」

「オレはあんたに会った日から、ずっと真面目だよ。船場さん・・・・、オレはあんたにだけは雇われない」


 肩の震えは何か。分からないが、青二はきっぱりと撥ねのけた。船場は彼に「そうか、残念だ」と。言って数拍の余韻を置き、ニヤリ笑って済ませる。


「さて、めでたく振られたわけだが。形無お前には、やってもらわねばならんことがある」

「ふ、古女房のほうが後回しとはね。あんまりじゃないですか」


 廊下から板間に入ってすぐ。立ち止まっていた船場が、また詰め寄ってくる。減らず口を叩きながら、逃げる方法はないか考える。

 しかしそんなものは存在しない。人ひとりが駆け抜ける隙間くらいもちろんあるが、形無の脚力でそれは叶わない。


「私は古いタイプでな、黙って尽くしてくれれば相応に答える。きゃんきゃんと要らんことを吠えたてるようなら、野に下ってもらう。そういう人間だ」


 話しながら一歩ずつ、部屋の隅へ追い詰められた。後退ろうとして壁に踵が当たり、後がないことにはっとする。そんなものは物語の中だけと思っていた。

 タオは座ったままのルーエンに抱きつく。呼んだはいいが二人とも、物々しさに慄いているようだ。


「それで何をやれって言うんです?」


 聞きたくはないけれども、他に引き伸ばす方法が見つからない。船場の後ろには、黒いスーツの男が二人。一人は何度か見たことのある、スポーツマンタイプ。人好きのする笑みで、敵意を剥き出しの青二に向かう。


「簡単な仕事だ、またドライブに行ってもらおう。とりあえずの行き先はここだ」


 もう一人は船場よりも背が高く、筋肉隆々の格闘家然としている。メモを渡すのも気に食わぬように、船場と形無の手元を睨みつけた。


「綾の杜公園? 近いじゃないですか」


 小さな紙片に、わざわざ書かれた地名。平静を装ったが、背すじに寒気が走る。一度ならず、繰り返し。


「とりあえず、と言った」

「そこで何を?」


 環の遺体が放置された場所。そこは新たに、石車が殺された場所という評価を加えた。

 またどうして、そんな場所へ行かねばならないのか。当然に疑問と、胸に抱えた忌まわしい気持ちとが視線に篭もる。


「お前は余計なことを考えなくていい、行けば分かる」


 一本ずつ指揮棒のような船場の指が肩を掴んだ。力強く、ぎゅっと耳に届くほど。


「いてっ!」

「悪いようにはせん。黙って言われた通りにすればいいんだ」


 ――死に場所へ自分の足で歩けってのか。

 合理的だが、趣味の悪い話だ。しかし逃れられない。はかな市の裏の支配者と今までも感じてはいたが、今夜はっきりと分かった。

 この男に手の届かぬ場所は、街のどこにもないのだ。


「はあ……」

「形無さん!」


 同意しかけたとき、ダン! と床が鳴った。岩山を駆け上る男鹿のごとく、青二が跳ねる。

 ひと跳びで船場へ組み付き、壁に押し付ける。勢いで部屋の全体が揺れ、ぱらぱらと埃が落ちた。


「逃げて! オレは殺されやしない! 早く!」


 これまでの汚れ仕事を清算する為に死ねと言うなら、青二は関係がない。彼もそうと悟っていたらしい。船場は「うっ」と頭を打って、床に膝をついた。


「早く!」


 なおも絶叫する青二は、油断なく船場を押さえ付ける。ここは彼の言う通りにするのが、厚意を無駄にしない最善の選択ではあったろう。

 だが、形無は動かなかった。


「このクソガキ、船場さんに何をしやがる!」


 格闘家めいた男が、棍棒のような腕を振り下ろす。それは青二の首すじを打ち、少年は車にでも轢かれたように飛ばされた。

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