第53話:彼の持ち物

「そいつをどうすんだ? 機械オンチにも、そのままじゃ何も出来ないくらいは分かるぞ」

「だね。とりあえず充電しなきゃ」

「電源のあるとこか――」


 スマホを充電するだけの時間、電源を確保出来る。それはもう、そこが隠れ場所ではないか。

 本末転倒に気付いて悩むが、青二はこともなげに言う。


「コンビニに行ければすぐなんだよ。充電出来るし、Wi-Fiもある」

「ああ、ワイファイな」


 よく耳にするネット用語だが、どんなものかは知らなかった。


「知ったかぶりしない」

「うるさい。知ってる店に連れてかなくていいんだな」

「そうそう。形無さんの取り柄はそこなんだから、見栄を張らなくていいよ」


 行かなくて困るのは形無も同じ。もちろん本気で反論したのでない。だがヤッさんとその仲間たちが、どっと笑うのには「えぇ?」と困惑する。


「おいおい形無さんよ、言われちゃったなあ」

「そうだよ。いまどきWi-Fiなんて、あたしらでも知ってるもの」

「いいよ、いいよ。ボウズの言う通り、見栄なんて張っていいこたあない」


 多勢に無勢だ。どうせ長居している暇はない。「敵わないから退散するよ」と逃げ出した。

 去り際、改めて礼を言うのも忘れなかったが。


「コンビニを全部見張ってるなんてないよね」


 青二はやけに気に入られたらしい。立ち上がったのを引き止められて「持っていきな」と菓子を渡されていた。

 追いついての問いには、明瞭な回答が出来ない。


「そんな人数は動かしてないと思う。でも誰がどこから見てるか分からない」


 こうして歩いているすぐ先のアパートさえ、船場の関係者が居ないとは言いきれない。コンビニまではたったの二番地だが、その間に候補が何軒あることやら。

 五分にも満たぬ何でもない裏通りが、凶悪な地雷原に思える。


「――で、それだけでいいのか?」


 目指したニャミリマートには、誰何の声なく辿り着いた。裏口をノックし「ちょっと居座らせてくれ」と話すと、馴染みの店長がバックヤードに入れてくれる。

 何やら作業をする青二を座らせると、形無は立っているしかない狭い部屋。業務にも差し障るし、手短に終わらせねばならない。

 ニャミマ系列で貸し出しているという充電器を借り、少年は「当て」とやらに接触を試みる。


「そうだよ。アクティベーションは自分で出来るから」

「アク……?」

「ええと、初期設定だよ。ガラケーも店で買ったまんまじゃ使えないでしょ。電話番号を設定したりとかさ」

「最初から日本語で言ってくれ」


 アクティベーションとは、店員にやってもらうものでないのか。問うと青二も同意した。


「ちょっと面倒だからね、オレもやったことはないよ。でもやり方は、動画で見たから覚えてる」

「近ごろは何でも動画だな」


 このセリフは我ながらおっさん臭い。羞恥したが、青二は気に留めなかった。記憶に頼って行う作業に、苦戦しているらしい。


「あれ、これで設定データが落とせるはずなんだけど。古いから項目が違うのかな」

「焦んなくていいぞ。ここに居る間は大丈夫だから」

「うん、ありがと」


 見えを張る張らないのやりとりで気付いていた。別に青二は、逃げなくて良いのではないか。形無が境山湖に沈められたとして、この少年が同行する理由はない。


 ――ただまあ、あの夫婦が何をやってるかだな。

 商品を傷物にされた。船場は怒って当然だが、それだけだろうか。あの二人への扱いは苛めと言おうか、執拗さが度を越しているように思う。

 償いをするはずが、重ねて何かやらかした可能性が高い。そういうことなら、夫妻への嫌がらせに青二が利用されるかも。

 画面に集中する青二を手伝うことも出来ず、妄想が捗る。


「ふう、やっと出来たよ」

「お疲れ。で、そいつをどうするんだ? ただ電話するとか、ネットを使うとかじゃないんだろ」


 やっとと言ったが、結局は十五分ほどしかかからなかった。


「いや? 電話するだけだよ」

「へ? それなら俺のガラホでも――」

「それじゃ駄目なんだよ。オレのスマホじゃないとね」

「お前のって。お前が買った物だけど、中身は空っぽだろ?」


 これは見栄でない。正規に店舗で買おうと公園でリサイクル品を買おうと、中身が真っ白なのは同じはずだ。


 ――あ、いや。前の持ち主の登録した情報とか?

 それなら青二は「オレの」と言うまい。


「違うんだなあ」


 言いつつ操作して、画面をこちらに向けた。軽やかな音楽が奏でられ、ゲームの画面が立ち上がる。

 空のスマホにこんな物が入っていないくらいは知っていた。


「プレイヤー名を見てよ、オレになってるでしょ」

「プレイヤー名?」


 どれがそうなのか分からない。それらしき物を探し、見つけた。

 セージ。と、カタカナで表示されている。


 ――賢者、哲学者?

 英語でSageセージだとそういう意味になるが、青二を平たく言ったものとすぐに察した。


「おお、たしかに。でもレベル九百九十って、いくつまであるんだよ」

「九百九十九だよ。あと少しだね」


 ロールプレイングゲームなら、少しはやった。最高レベルは九十九だったが、半ばまで上げる前にゲームをクリアしてしまった。

 それでも時間は、百時間前後もかかった覚えがある。


「よっぽど面白いんだな。だからそんな、アク――初期設定? ややこしいことを、記憶だけで出来るはずだ」


 難しく感じるのは、未知の分野だからだろう。しかし差し引いても、青二はかなりの熱を持ってやっていた。


「違うよ」

「ん?」

「これはオレのだからさ」


 どういう意味で言ったのか、図りかねた。けれどいつもの、こちらの軽口に乗っての発言でないのは分かる。

 苦心した作業を終えてほっとした表情だったのが、きゅっと唇を結んでまっすぐに見据える。


「あのスマホはさ、オレのじゃないよ。本体も毎月の料金も、父さんが払ってる。だけどデータはそうじゃない。ゲームだけじゃなく、ニャインのリストも電話帳も、オレが作ったんだ」


 ゲームや通信に使うソフトのアイコン。その中に蓄積された記録は青二が選び、残していったもの。

 それくらいは分かる。が、何を言わんとしているのかまだ理解しきれず言葉が出ない。すると彼は画面に触れ、またこちらに向けた。


「こんな番号、ショップに行っても売ってくんないんだよ。父さんや母さんは、知りもしない。オレが手に入れた、オレのもんだ」


 表示されたのは、形無さんと名札の付いた、形無の電話番号。


 ――ああ……。


 連れて来られたときの、刺々しい少年。失敗に落ち込み、新たな体験を喜ぶ少年。

 それなりに見てきたつもりだが、ひとつひとつどこか冷めた印象がある。だが青二には青二の、大切な部分はたしかに存在するのだ。

 こういうものと明確には言えないが、強いて言語化するならば、たったいま彼自身が言った通りに違いない。

 目の前で、自慢げに。


「だな。お前のもんだ」

「だろ? だから返してもらったのさ」


 多感な十八歳の持つ、貴重な財産。その中から何を活用するのか。

 改めて問うた答えに、形無も納得した。そこに行けば、船場の息はかかっていまいと。


「ここなのか?」


 はかな市駅近くから、二人はまたアワワ商店街の中心付近へと戻った。中央から一つ入った通りの横丁。

 一階が赤い看板の居酒屋で、上階がアパートになっている。


「うん。ルーエンの説明は分かりやすかったし、間違いないよ」


 青二の当てとは、友野のところへ外国人技能実習制度によって来日しているベトナム人女性だった。

 奪われてしまったスマホから電話帳を取り返し、電話をかけたのだ。

 彼女ならば、日本のしがらみに関わってなどいるはずがない。連絡先を交換していた青二に、惜しみない賞賛を向ける。


「何階?」

「ええと、四〇一って」

「あー、エレベーターないのか」

「運動するんでしょ」


 元は白かベージュだったはずの壁は、残らず黄土色に変色していた。それがさらに雨染みで黒くまだらに汚れている。

 カビ臭く、ぎりぎり肩幅の階段を、二人は上っていく。

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