第52話:道理の異なる世界
はかな市駅の東側に、公園がある。遊具はなく、道路と線路とに挟まれた、うなぎのねどこだ。
グレーのフェンスがむやみに高く、どうもイメージとして監獄めいた。敷地の入り口へ、市民公園と彫られた石柱が空々しい。
「また出くわさない?」
「どうだろうな。用心しながら行くしかないさ」
子どもの使っている姿を見たことがない。表の通りからも、進学塾のビルに遮られて見えない。
うらぶれたその場所へ行くには、アワワ商店街から道なりに進めば良い。が警戒して手前の通りを行き過ぎ、反対から回り込んだ。
「――ん。騎士どもは居ないみたいだ」
こちらが二人連れなのは、既に知られたはず。だから並んで、立て看板の陰から覗く。
一本だけ立つ街灯で、細い道路の闇は薄れていた。園内から伸びる枝の下にも、塾の裏に置かれたプロパンの後ろにも、人影はない。
「だね。さっさと行こうよ」
スーツという呼び名は、騎士の着ていた全身甲冑に由来する。などと余計な雑学を披露しようとしたのに、青二は聞き流した。
「何、どしたの?」
「いいや、何でもない」
二歩を先んじた青二が振り返る。船場の部下たちが居ないのなら、怖れることはない。だのに物陰から出るには、いちいち「よし」と意気込みが必要だった。
――俺もこのくらい向こう見ずでいれば、死なせずに済んだのかな。
ふと考えてしまって、かぶりを振る。今はどうでもいいことだ。
「やあやあ。続けてお出でとは、何ごとかな?」
公園に入り、最奥へ進む。シラカシとレッドロビンで作られたささやかな緑地に、ダンボールハウスが二つ。
宴会中なのは五人だ。昨日とは二人、面子が違う。
「ああ、ヤッさん。居て良かった」
用があるのは界隈で最も年長の男。言葉を飾らなければ、最も薄汚れて貧相な風体でもある。
だらんと垂れ下がったタンクトップの胸元から、洗濯の出来そうなほど肋骨が浮き出て見えた。
「へ太郎はまだ見ないよ」
「あ、うん。それはもういいんだ。頼めるかな?」
「いいともさ、何だろうね」
ヤッさんが六十前くらい。あとの四人は二十代から四十代まで、まんべんなく。
知らぬ顔はないが、誰も生者を妬むような視線を持つ。にこやかに出迎えてくれるヤッさんでさえ、垣間見える。
「靴と、スマホ。あるかな?」
「あるよ、あるよ。古い型だけどね。ボウズ、サイズはいくつだい?」
彼らの座るダンボールの絨毯を間借りして座る。ヤッさんは長年の親友のように、形無と青二との肩を叩いた。
「へっ。え、ええと。二十六・五」
さしもの青二も、まだ勝手が分からない。淀んだ空気に溶けた体臭を嗅がぬよう、声が裏返っている。
「俺は二十六」
「あいよ。払いは?」
干物のようなヤッさんの手が突き出される。物を要求するなら、金を払え。当たり前のことだ。
「それが悪いんだけど、持ち合わせがないんだ」
「へえ? そりゃあ業が深いね、またにしよう」
「そこを何とか、頼むよ」
柔和そうな笑みは変わらない。しかし上げかけた腰は下り、隣の女性が差し出した乾き物のカワハギに手を伸ばす。
「い、いいよ形無さん。オレが払うよ」
「いやお前に出させるわけにいかないだろ」
払うべき対価のほとんどは、青二が要ると言ったスマホの分だ。だが暇に飽かして、贅沢品を欲しいと言っているのでない。大人の立場で、払わせる道理がなかった。
「あるんなら払っておくれよ。こちとら明日も生きてるか分かんないんだ」
どうやら気が変わったらしく、ヤッさんはハウスに引っ込む。すぐに出てきて、靴箱を三つ示した。
蓋を開けると、二つまでは運動靴だ。靴店で買えば、千円くらいの。汚れてはいないが、新品独特のツヤツヤした感じもない。言うなれば、新古品みたいなものだろう。
最後のひと箱は、スマホが詰められている。一つずつ薄い紙で包んで、差し込むように並べられた。
「ニャイフォンは――あった。これでいいよ。全部でいくら?」
「そうさね、切りよく三万円といこうか」
ぼったくりだ。どうせ産業廃棄物などから拾い集めたに決まっている。中古の買い取りに出せば、一つ千円か二千円になればいいところだろう。
「ヤッさん。別に俺は、無一文になったわけじゃないんだ。たまたま今は払えないってだけで」
「何が違うんだい? オイラが金をもらえないのは同じだろうさ。でもこの子は払うと言ってる」
いいよ払うよと、青二はポケットに手を伸ばそうとする。それを「駄目だ!」と掴んで止めた。
「明日でいいなら、十万持ってくる。この子から金を取らないでくれ。この子にそういう体験をさせないでくれ」
正座に座り直し、頭を下げる。両手こそ突かなかったが、土下座に近い。視界の外で、ヤッさんはどんな顔をしているのか。「へー」とわざとらしく声を出して、ため息を吐かれた。
「いやはや本当に業が深い日なんだね。釜が空くのはまだ先だろうにさ」
ヤッさんは金にシビアなだけで、悪人ではない。住居のない彼らでは、中古品を買い取ってもらうのさえ苦労する。
まごまごしている間にも、昨今の品物は値を落としていく。彼らもその日ごと、獲物を金に替えなければ生きていけない。
「世知辛いねえ。食べるかい?」
四十代と見える女性。二番目に年長の手が、カワハギを突き出す。彼女が両手で、何度も裂いた残りだ。
勧められたのは青二。一瞬、怯んだ顔を見せる。けれども果敢に受け取った。
後で食べます、と逃げる手もあるだろう。しかし少年はそうしない。ちょっと眺めて、大きな欠片を口に放り込む。
「ん――うん、うまい。初めて食べたけど、おいしいよこれ」
「そうだろ? 遠火でじっくり炙ったからね」
気を良くしたのか、女性はポケットから、炭酸のオレンジジュースを取り出した。それはそのまま渡さず、何を思ったか自分の肩掛けカバンを探る。取り出したのは、封を切っていない粗品のタオルだ。
種も仕掛けもないと示すマジシャンの手つきで、銀行名の入った清潔なタオルで念入りに缶が拭かれる。
「ほら、喉が渇くだろ?」
「ありがとう、もらうよ」
「冷えてなくて悪いね」
これだけやってもらえば、女性が思い遣ってくれたのが分かる。青二は躊躇なく缶を開け、ぐびぐびと飲み干した。
「分かった、五千円でいい。ニャイフォンは古くても高く売れるんだ、機械オンチにゃ分からんだろうがね」
「本当だよ、安すぎない?」
「いいんだ。ただし明日じゃなく、今貰うがね」
言われた通り、スマホの中古相場は門外漢だ。電気機器は値動きが激しいので、よほど専門でなければ分からない。
――機械オンチだからじゃなくてな。
「うん、払うよ。いいよね?」
少年の反応を見れば、ヤッさんは出血大サービスをしてくれたようだ。それをまだ払うなと言う口は持ち合わせない。そもそも青二の金なのだから。
「でも一万円札しかないんだ。預けとくから、また何かあったら手伝ってよ」
「ああ、いいともさ」
ヤッさんは最初と変わらぬ笑みで、充電器をおまけにくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます