第九節 追われた先に

第48話:捜す者捜される者

 古い木造の平屋。間取りはダイニング以外に、部屋が四つ。古民家と呼ぶほどの歴史はないが、幼いころは玄関が土間だった。

 今はセメントで固められたたたきに、ガラスの破片が散らばっている。照明を点けると却って見えなくなったので、足下を注意するよう言った。


「誰も居ないみたいだね」


 扉を開けるのも中の音に注意していたが、物音はなかったように思う。青二の言う通り、どこかに潜んでいる気配はない。だが念の為、手前から調べていく。

 襖の引き戸は形無の父親の、細かな仕事道具が収められた部屋だ。畳にダンボールを敷いて、頑丈なだけが取り柄の棚が置かれる。鉄釘や細工彫りなどと、どこかの民芸品が雑然と並べられた。

 この部屋に形無のノートパソコンも置いている。金額的に、心情的に。何かあれば最も被害の大きな部屋。戸を開けると、惨状に「うわ」と声が漏れた。


「ぐっちゃぐちゃだね」


 棚という棚から、物という物全てが引き摺り出されている。棚の前だけでなく、部屋の隅にまで。過去、大きな地震のときにもこれほどでなかった。


「酷えことするなあ――」


 足の踏み場を確保するのに、幾つか拾い上げる。すると壁に穴が空いていた。きっと金が見つからず、物を投げつけたのだろう。


「父さん、苛つくと物に当たるから」

「お前が悪いんじゃないさ」


 肩をすぼめる青二を慰め、ざっと見回す。パソコンは無事だ。高価なわけでないが、些かの思い出がある品も残っていた。


 ――これならまあいいや。

 ふうっと安堵の息を吐き、次の部屋へ。

 そこも畳で、箪笥ばかりを置いた衣装部屋だ。今や両親の遺品置き場だが。

 室内はやはり乱暴に引っ掻き回されている。母親の着物も、中に隠してあると思ったのか、いちいち拡げられていた。


「ごめん……」

「だからお前のせいじゃないって」


 親が勝手にしたことを、子が責任を負うなどいつの時代か。そう言ったところで、青二が気に病むのは避けられない。優しく背中を叩き、捜索を続ける。

 タイルを敷き詰めたトイレ、同じく風呂。もちろん蓋を開けて、誰も居ないのをたしかめた。

 廊下に面した倉庫も、カップメンの箱がそこらじゅうへ投げ出されている。

 こんなところへ大金を置くはずがあるまいに。青二も中を覗き、「はあ」と呆れた声を出した。

 残るは形無の寝室と、青二が使う両親の寝室。


「せーの、で開けるぞ」


 向かい合わせになった襖へ、二人それぞれ手をかける。囁きに青二は頷き、直ちに言った。


「せーの!」


 二枚の襖が、スパンと音を立てて開く。どちらの部屋も、潜めるような場所はない。ひと目見て、浅井夫妻はもう立ち去ったのだと確信した。


「当然ここもだわな」


 お目こぼしの理由がない。畳んだ布団や、取り置いてある数冊の雑誌。ハンガーにかけた上着など、大して数のあるでもない品々が床に散乱している。

 よもや散らかすことが目的なのかと思うほど。


「金もないか?」


 あの百五十万円を、青二はどこに置いていたのだろう。この家へやって来たときに持っていた、手提げバッグか。それとも置いてある文机か。

 他のどこであっても、無事ではなかろう。両親がしまっていた手紙の類も、紙吹雪よろしく畳にぶちまけられた。


 ――そうか、通帳を作ってやれば良かった。

 多額の現金を持たせたままなどと、不用心なことをさせた。簡単な解決策を思い付いても、もう遅い。


「ないよ」

「悪い。俺はいつも、当たり前のことに気付くのが遅すぎる」


 自分自身を殴り飛ばしたい。部屋に入っていく青二を見ていると、そんな欲求に駆られる。目の前の三寸の柱に、額を打ち付けようかと思った。


「違う違う。この部屋にはないよってこと」

「ああ。だから失くなって、って。え?」


 そもそもこの寝室に置いていなかった。青二は言いながらも、心配そうに玄関方向へ戻る。

 そして立ち止まったのは、すっかり空にされた倉庫の前。


「まさか」

「うん」


 控えめに頷いた青二は床の板を爪で引っ掻き、起こす。そこはもしも・・・の為に拵えていた、秘密の隠し場所だ。


「良かった。見つかってないよ」


 差し入れた手に、厚みのある茶封筒が握られた。しゃがんだ姿勢で少年は、それを振ってみせる。


「いつの間に?」

「今朝だよ。形無さんが船場から離れるなら、用心したほうがいいかと思ってさ」

「抜け目ないな」


 元気いっぱいとはいかないが、照れ笑いが見えた。

 実質の被害も、これなら玄関のガラスと壁の穴だけだ。あとは片付ければ元通り。


「そうだ。形無さん、パソコンを借りてもいい?」

「いいけど、何するんだ?」


 ひと息入れて、茶でも飲むかという気になった。しかし青二は、「ちょっとね」と移動する。

 最初の部屋に戻り、足の踏み場を作ると、パソコンを立ち上げた。一応はパスワードも設定してあるので、それも入力して席を譲る。


「あの二人がどこに居るのか、分かるかもだよ」

「どうやって?」


 言うだけ言って、青二は何かのソフトをダウンロードした。起動すると、どうやらスマホのメーカーが出しているものらしい。


「これでオレのスマホの位置が分かるんだよ」

「へえ、そんなことが出来るのか。俺のも?」

「それは無理」


 きっと紛失したときに見つける為の物だろう。だとしたら便利だが、期待をバッサリと断ち切られた。


「うん。やっぱりここから離れてるね」

「なるほどなあ、細かく分かるもんだな」

「まあもう捨てられてて、他の誰かが拾ったって可能性もあるけどね」


 表示された地図には、建物の形までも見える。誤差はいくらかあるようだが、少なくともこの家に居ないことはたしかだ。


「取り戻すか?」

「いや、いいよ。そもそもオレのじゃないわけだし」

「まあな。明日にでも、俺が用意してやるよ」


 形無には単なる通信手段でも、青二には必要だろう。あれ一つで彼は、外国人の女性たちとすぐに仲良くなっていた。


「それは悪いよ」

「気にすんなって」


 ガンガンガンッ。

 玄関の戸が、激しく叩かれた。和み始めた会話を打ち切り、視線を合わせる。口に人さし指を当てると、当然とばかり青二は首肯した。


「居るのは分かってるんだ! 出てこい!」


 相当の力で、戸が揺すられている。錠をかけた覚えがなく目配せすると、少年は自身を指さした。


「何かヤバい。逃げるぞ」


 囁き、足音を忍ばせて歩く。部屋を出ると、ガラスに男のシルエットがくっきりと見える。


「逃がすなよ、船場さんに殺されるぞ」

「怪我はさせても?」

「殺さなきゃそれでいい」


 あちらも小声で、物騒なことを話している。一人の声はよく知っていた。毎月の報酬を渡しに何度も来てくれた、船場の部下だ。

 虚しくも悔しい気持ちが、胸を占めようとする。が、感傷に浸っている暇はない。


「あっちだ」


 勝手口へと、青二と共に逃げ出した。

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