第47話:俺のところへ

「で、信号待ちのときを狙って逃げ出したわけか」

「止まってる間、襟を掴まれてたから。走り出してすぐね」


 それから現在に至る。というところまで話し終え、青二はトレーの上を片付け始めた。シェイクも含め、もはや跡形もない。


「そうか――」


 どんな言葉をかければ良いのだろう。具体的な語句どころか、不幸を同情すれば良いのか、怒りに共感すれば良いのか。はたまた、ただ慰めるべきか。方向も見えない。


「チーズロコモコってどうだ? うまそうだぞ」

「オレはフードファイターじゃないんだよ。さすがに食えないって」


 下手な言葉をかけられないと思うと、物を与えるしか考え付かなかった。陳腐な人間だなと自己嫌悪したくなるけれど、「まったく」と怒って見せる青二は笑いを堪えた。


「おじさんになると、食い物のことしか考えられなくなんの?」

「誰がおじさんだ。俺はまだ二十八だ」

「オレからしたら、十個も上だよ」


 言い合うたび、青二の口からクスクスと笑声が零れ落ちた。この路線だと光明を見出し、さらに続ける。


「じゃあお前も、八歳の子にはおじさんだな」

「もう、何ムキになってんの? 形無さんさ。おじさんっていうか、ガキだよね」

「う、うるせえ!」


 要望に従い、への字に口を結び、頬を膨らませる。きっと赤く染まってもいるはずだ。


「ふふっ」

「ふははっ」


 どちらからともなく、自然な笑いがはみ出していく。取り巻くあれこれを思えば、全く以て不真面目なことに。


 ――こいつ、一人ぼっちになったんだな。

 親は必ず子どもを愛し慈しむもの。大真面目に、そんなことを言う人は居る。

 形無の親は、何とか赤点を回避していたろう。宝田は落第していたが、病的なまでに心を入れ替えた。

 けれど、そうでない親も存在するのだ。そんな親でも、ここまで育つには必要だった。あの親でなければ、今ここに居る青二とは、違った十八歳になっていたはず。

 何と皮肉なパラドックスもあったものだ。


「お前、面白い奴だよな」

「そう? クラスの奴とは、全然話が合わないよ」

「知ってるさ」

「何だよ」


 そろそろ行くかと席を立ち、青二は食べがらをダストボックスへ運んでくれた。

 ここで聞いた話は、何も解決していない。船場がどう考えているか確かめねばなるまいし、浅井夫妻が日本を発つまでは青二から目を離せない。


 ――だからまあ、そうするのがいいんだろうな。

 どんな弊害が出るのか考えようともせず、トレーを重ねる青二の背に声を投げかけた。


「なあ青二。お前が居たいだけ、ずっと俺んちに居ろよ。仕事を手伝わすし、金が足りなきゃアルバイトもさせる。それでも良ければな」


 少年は、びくっと肩を震わし、背を縮こまらせた。おそるおそる振り向いた顔には、「このおじさん、何言ってんだ?」と不審が書き込まれている。


「心配すんな。ショタじゃねーから」


 ブリキの木こりが錆びついたように、ぎこちない動きでこちらを向く。あまりに声が出てこなくて、つまらぬ冗談を重ねた。


「ええ?」


 赤茶けた声は、なおも懐疑的に。細めて睨みつけるような眼は、演技でない。


「居ろよ。どこか別のとこに行ってもいいけど、お前が暮らしていけるかチェックするからな。そう思ったら、俺んちに居るのが面倒でなくていいだろ」

「あ……」


 何と答えたのか、聞き取れなかった。口の中でもごもごと、二言三言。「あ?」と聞き返せば、「何でもない」と今度ははっきり言った。


「まあ考えとくよ。他にどうしても行き場がなかったときの、保険としてね」

「保険なんか入ってないくせに」


 へへっと笑った声が、石車を連想させた。青二も同じイメージを浮かべたらしく、急に口を結んだ。


「行こうよ」

「ああ」


 駐車場で軽トラに乗り込み、エンジンをかけ、窓を開ける。そこまでしても、行き先が決まっていない。


「家に戻るのも、どうなんだかな」

「危ないかもね」


 いつまでもは停まっていられない。とりあえず、はかな市方面に戻る進路を取る。どうにもならねば、通り過ぎて友野のところへ行くのもいい。


 ――いや、迷惑になるか。


「あれ、そういえば青二。お前が飛び降りたのって、峠道の下だよな」

「だね。信号のある交差点のとこ」


 青二を見つけた場所から最寄りの信号までは、番地で一つ分しか離れていない。その信号は、形無家から言っても最寄りになる。


「そこからどこへ行くはずだったんだ?」

「そんなの決まってるでしょ。あの二人は、お金が目当てだよ」


 青二に譲った、百五十万円が目当て。すると逃げてしまった息子より、そちらを探しに行く。

 となると、向かう先はどこか。


「ええっと。もしかして俺んち?」

「そうだよ。でも俺が降りたのは、形無さんと会う二十分くらい前だよ。行ったんなら、会ってるって」


 ああ。と、かわいそうに思う。聡く、度胸が据わっている。それはそうかもしれないが、やはりただの高校生だ。あまりのことに、気が動転しているらしい。


「そいつは――どこかに隠れてれば会わないわな」

「あっ」


 家を出て、一時間近くが経つ。これから戻ればさらに二十分ほど。それだけあれば、家じゅうを探し尽くせるだろう。


「念の為に聞くけど、金は家だよな」


 痛恨のミス。常であれば当たり前に気付ける事実を見過ごした。青二は歯を食いしばって、顔を歪める。返事も声なく、頷くだけだ。


「よし、飛ばすぞ」


 情報屋であって、運び屋でない。だがやはり新鮮さが売りでもある。だから時間帯ごと、どこを通れば早いか調べはついている。

 往路はゆったり二十分オーバーの道のりを、復路は十二分で駆け抜けた。


「気を付けろよ」


 形無家の前は、街灯が薄っすら照らし出している。門灯は点けずに出た。

 包み込む林に目を向ければ、どこもかしこも暗黒に溶けている。五メートル先へ人間が潜んでいても、視覚で気付くこと叶わない。

 道路を挟んで対面の土地に軽トラを駐め、小さなマグライトを手にゆっくりと近付く。


「外には居ないみたいだな」


 道路からライトが照らせる範囲に動くものはなかった。逸る青二を腕で治めつつ、玄関の前に立った。


「入られてるな」


 二枚引きの玄関扉に嵌まった磨りガラス。その一部が、腕の入る大きさに割られていた。

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