第46話:断絶

「ころ――石車を?」


 店のBGMは、曲名も判別が難しいくらいに絞られている。前の道路の音も、さほど聞こえない。階下の厨房でカチャカチャと鳴るのが、最も大きな音源だった。

 邪魔にならぬ雑音の中、聞き違いではない。青二は息を飲むのと一緒に頷いた。


「そんな。いや、お前が聞いたのはたしかなんだろうけど。え、聞いたのか? 誰に?」


 そんなことが起こるやも。想像していたはずだが、狼狽えた。

 誰かが死ぬ。死んだ。殺される。殺された。そういう会話は、はかな市にも偶にある。稀に、ではなく。他人の話を収集することが生業なだけに、他の住人たちより聞く頻度は高いだろう。だから慣れている。

 しかし石車がとなると、別だった。


 ――いや船場がやったから、か?


「は。落ち着きなよ、大人なんだからさ」

「おち、落ち着いてるさ」


 呆れたと小さくため息を吐いて、少年は窘める。度胸の据わっている子だが、平気を装っているだけだろう。もちろん、そう出来ることが彼の強さではあるけれど。


 ――俺だって、どうってことない。

 自分のトレーに載せたアイスコーヒーを飲む。と、ひと口で無くなった。暑いからだろうか、Lサイズにすれば良かったと悔やむ。


「ええと。お前はどうにかして、そのことを知ったんだろうさ。でも俺には、百五十万と石車がどう繋がるのかさっぱりだ。順に話してくれよ」

「え? あ、まだ言ってなかったっけ。うん、話すよ」


 不覚に頭を掻きつつ、青二は「ええっと」と記憶を手繰る。ほんの数時間前からのことだが、整理には時間がかかるようだった。


 ◇ ◇ ◇


 絶え間なくフライドポテトを口に運びつつ、やがて青二は語り始めた。日の変わる前、昨日の午後七時過ぎころのことを。


「しばらく会えないんだからな。たっぷり食べてくれ」


 はかな市駅に来いと言われ、どこかへ移動するのかと思ったのは形無と同じ。そのまま近所の焼き肉店に入り、父親の浩二は体裁を取り繕った。

 たっぷりと言われはしたが、メニューを見せてはもらえない。どころか父も母も、注文をしない。先に手配をしてあったのだろう。


「こんなの食べたことないだろ?」

「うん、まあ」


 形無と行った中に、焼き肉はなかった。だから壁に掛かった品札を見ても、何が何やら分からない。ギアラだのミノだの、日本語なのか? と、青二は疑問に思う。


「お父さんが居ないと、こんなところ来れないのよ」


 そう言う母はカルビというのを自分の前に置いて、黙々と食べ続けた。偏っているが、それが焼き肉における母の作法なのだろう。


「父さんたち、ベトナムでバイヤーを任されたんだ。いい商品を探して買い付ける仕事だな」

「へえ、良かったね」


 最初に出てきた白飯が無くなるころ、浩二は先のことを話し始めた。両親の理解はともかく、額面通りの話でない。船場の意図を聞いていた青二だが、知らなかったとしても返事は変わらなかったろう。

 あの二人が、良くも悪くもどうなろうと知ったことでない。はっきりそう考えていたと青二。


「ありがとう。ただ、それは表向きなんだ」

「へえ?」


 つまらぬことしかしない親だが、存外に踊らされるばかりの馬鹿でないらしい。ほんの少し評価を改めた青二だが、すぐにそんなことはどうでも良くなった。


「やはりあの船場って人は危ない。大きな声じゃ言えないが、最近もまた人を殺したんだ。お前が世話になってる、形無さんの知り合いみたいだ」

「知り合い?」

「ええと、石、石車だったかな。ホームレスの人だよ」


 へ太郎が殺された。

 聞き流すと決めていた耳へ、その事実が強引に飛び込む。衝撃で、くらっと目眩さえしたと言った。


「何でさ。何でその、石車って人が殺されるのさ」

「ええ? それは父さんもよく知らない。うるさい奴だって言ってたから、何か嗅ぎ回ってたんじゃないか?」


 浩二が元から石車の名を知っているのは不自然で、船場を調べる動機があるとも分かるまい。

 だからその発言に、信憑性があると青二は判断した。


「でな。指示に従うふりをして、向こうに着いたら逃げようと思うんだ。最近、日本人の移住が多くて、こっちより随分と住みやすいみたいだよ」


 真っ当に渡航した者と、同じ土俵では語れまい。気付いたが、夢見る中年の戯れ言などどうでも良いと青二は思ったそうだ。

 それよりも石車の件だ、と。


「ホームレスの人は、どこで殺されたのさ。し、死体は?」

「やけに気にするんだな。もしかして、お前も会ったことあるのか」

「まあね」


 形無と石車に繋がりがあることは、もう知っている。その上でも、余計なことを悟らせまいと青二は言葉を選んだ。

 それが却って、声を上ずらせたようだが。


「いやね、ホームレスと知り合いなんて。お父さんもお金のことで失敗したのは何度もあるけど、その度に何とかしてくれたわ。たくさんのお金を稼いでね」

「お――」


 自慢げに語る母は、先日と同じく首に布を巻いていた。透ける素材の物を。

 対して青二は「女のことでの間違いだろ」と言いかけた。すんでで堪えたのは、褒められるべきだろう。


「お?」

「何でもない」

「場所は分からないな。薄納基地がどうとか言ってたから、その辺りかもしれないけど。遺体をどうしたのかも知らない」


 薄納基地の近くならば、綾の杜公園はピタリだ。やはりあの日あの公園で、へ太郎は殺されたのか。青二は、目を閉じずに居られなかったと漏らす。


「石車の始末が付いたら、形無だって言ってた。いい加減にどうにかしろって、部下の人に言ってたんだ」


 次から次へ。驚愕の事実が披露される。しかし船場が形無をとは、どういう理由でそうなるのか。突飛に感じたと青二は言う。


「どうにかって、理由も言ったの?」

「そんなことまで言うもんか。でも船場は下っ端に汚い仕事をさせておいて、ある程度経ったら切り捨てると聞いたことがある。死人に口なしというやつだ」


 青二の疑問に、皆までは答えがない。それが逆に、本当に船場から聞いた話と思えた。


「じゃあ父さんたちもヤバいんじゃないの」

「だから話に乗ったふりをして、逃げるんだよ。向こうで目処が付いたら、お前も呼べるようにする」


 船場がそこまでやる人間として、ならば父の言う計画など通用するものか。考えても、議論はしない。翻意させる理由も価値も、青二にはないからだ。

 ここまでで浩二は話を打ち切り、もう追加のなくなった食事を片付けにかかる。思えばこのとき、酒を飲まないのをおかしいと勘付かねばならなかった。


「ああ、もう一つ」


 店を出て「じゃあな」と別れるでなく、同じ方向へ歩いていたそうだ。青二は迎えに来てもらいやすいよう、駅前に向かうつもりだった。


「ん、どこか電話をかけるのか?」

「そりゃあ形無さんだよ。この時間じゃ、タクシーでも使わなきゃ帰れない」

「待て、もううちへ帰っていい。あの男のところへは行くな。言ったろう? 一緒に居たら危ないんだ」


 操作していたスマホの画面を、骨ばった浩二の手が押さえつける。それが言い終えると同時、強引に奪い取った。


「何すんだよ!」

「親に向かって、その口の聞き方はなんだ!」

「焼き肉食わせたくらいで、偉そうにすんな!」


 船場についてを信じないわけでない。むしろ八割がた信用した。だからこそ、それを軽んずる父親が愚かに見える。

 正義は勝つとかでさえない。はかな市のラスボスクラスの悪人を、女遊びしか出来ない小悪党が出し抜くと言うのだ。


「父さんと母さんは、どこへでも行って好きにすればいいだろ! だからオレも好きにするよ!」

「やかましい!」


 裏筋の飲み屋街ではあるが、往来の只中。浩二は青二の顔を殴り付けた。拳でだ。

 倒れた拍子に、駐めてある車の車輪に頭をぶつけた。狭い道路にも関わらず、普通車のセダン。


「――すまん、やり過ぎた。でも分かってくれ、そうするのがお前の為でもある。死にたくはないだろ?」

「はっ。父さんの言う通りになったとして、呼ぶのは何カ月も先じゃないか。その間にオレなんか、殺されるに決まってる」


 頭が茹だり、目の前の男を父と呼ぶのも嫌気が差した。だからと違う呼び名を考える手間も惜しく、血の味のする唾を吐き捨てる。


「そうだ。だから頼みがある。お前の持ってた金を貸してくれ。そうすれば計画を早めることが出来る」

「金?」


 自宅で対面したとき、船場は現金を封筒から出した。その残像が、今日この会食を演出した。

 なるほどそういうことか。理解して、安心したと青二は言った。

 もしも本当に息子を心配しての食事、計画であったらどうしよう。迷う気持ちが、塵ほどはあったからと。


「渡すわけないだろ」

「ねえ、お願い。元々私たちの為に用意してくれたんでしょ? 必ず返すから」


 鼻から抜けた母親の声。甘えるときの猫の鳴き声にそっくりだ。


「そういうのは、ちやほやしてくれる男にしろよ。オレにされたって、気持ち悪いだけだ」


 頬を擦り付けんばかりだった母親が、ふうっと息を吐いた。離れていく間に、表情が凍り付いていく。


「駄目だわ、この子。親孝行とかって気持ちがないみたい」

「ああ、分かってる」


 そんな言葉が合図とでも言うように、母はセダンのドアを開ける。しまった、と察したが間に合わない。父、浩二が膝を使い、ほとんど蹴り込むように押し入れる。

 助けを呼ぼうにも、通行人は酔客ばかりだ。もめごとは「やれやれ!」と囃し立てるのが関の山。


「おとなしくしなさい」


 後席に乗せられた隣に父。運転席には母が乗って、行き先も相談のないまま車は走り出した。

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