第40話:似た二人

 広い公園と学校とに挟まれた道路。もう少し進めば、航空自衛隊の敷地に突き当たる。遠く彼方に人と車の気配がしても、すぐ近くには青二の呼吸しか聞こえない。


「分かるよ。だから形無さんは、船場なんてのと付き合ってる。そうまでして調べようとしたのに、宝田さんを疑わせることになった。やってらんないよな」


 閑静な空気に、少年のぼそぼそとした話し声が穴を空ける。彼が口を閉じれば、すぐに頑なな静けさが戻る。

 学生たちの歓声が。公園で遊ぶ子どもたちの声が。耳へはたしかに届いているのに。ほんの数十メートルかそこらを離れただけで、別世界から届く音のように思えた。


「俺には出来ることがあった。気付いても、もう環は居ないんだ。後悔したって、何もかも遅いんだ。なのにどうして俺は、こんなことをしてる? 釘を打って、木を削って、色を塗って、腹が減ったらラーメンを食う。どうして俺は、そんな呑気にしてられる?」


 思いつくまま、だらだらどろどろと言葉を垂れ流す。

 顔を覆った指の間から、目の前にしゃがみこんだ青二が見えた。唇を噛んで、まるでこの少年が悪いように申しわけなさそうな顔をする。


「俺ほどものを知らない奴は、他に居やしない」

「……そんなことないって」


 二度。何か言いかけて、言葉が飲み込まれた。それから出てきたのは、よくある気休め――では終わらない。


「オレもさ、って同じにしたら怒るかもしれないけど。うちの親が最低だって言うなら、独りで生きてきゃいいって思うよ。でも、そうはしなかった。出来るかどうか、試そうともしなかった。それに比べたら、形無さんは凄いよ」


 ――怒るなんて。

 つらそうな独白に答えようと、顔を向ける。濡れた両手を外し、拳に握ると震えた。

 青二は困ったように笑って、視線を伏せる。高校生らしい理由のない活力と、子どもらしい頼りなさが同居している。


 ――何言ってんだ俺は。

 高校生に、どうしてもらおうというのか。慰めて助けてもらう気か。そう気付くと、上ずった呼吸が鎮まっていく。

 いや聡い彼ならば、不足ではない。その資格がこちらにないと思った。


「そんなことはないさ。俺がお前なら、もっと救いのないことになってる。よくやってるさ」


 無理に笑おうと声を出すと、咳き込んでしまった。


「そんなことないって」


 両手と首を否定に振った青二は、尻もちをつく。そんなことなくなんかないと、その否定に否定を重ねようとしたが咳が治まらない。


「げほっげはっげはっ――」

「もう何やってんだよ」


 起き上がる青二に手を差し伸べると、咳が出て滑った。少年が、また尻もちをつく。


「ええ、何だこれ? ウケんね」


 青二がプッと噴き出した。さほど面白かったわけでなかろうが、ノリというやつだ。

 けれどもそれで止まらず、「あははは」と続けざま笑う。弾みがついてしまったらしい。


「何だこれ。オレ、カッコわりぃ」

「格好悪いのは、おっさんの俺のほうだ」

「だね。不細工なおっさんが、汚くなってる」


 指をさして笑われた。演技というか、笑う為の笑いだ。

 それが分かっていたから、「何だと」と息巻いて見せようとした。だが、語尾を噴き出してしまう。


「何だぷうって! あはははは!」

「う、うるせえ!」


 面白いことなど何もない。互いに自分の恥部を隠し、見てみぬふりをし続けた。笑ってごまかすことしか出来なかった。


「あー、もう。いい加減にしてよね」

「お前が笑いだしたんだ」

「喉乾いたから、何か買ってくるよ」


 言われてみれば、カラカラだった。小銭を出そうとしたが、「それくらい持ってる」と青二は駆けていく。公園の西側入り口で折れて、木々の向こうに見えなくなった。


 ――あの辺なんだよな。

 環の遺体が捨てられた、詳細の場所は知らない。写真を見せてもらう機会はあったが、断った。さすがにそれを見て、正気で居られる自信がなかった。

 入り口を二十メートルも過ぎると、航空自衛隊の敷地だ。外部業者が搬入する際のゲートがある。


 クオォォォォォォ――。

 突如。巨大な掃除機でも動かしたような、高い音色が轟く。それは一瞬で終わらず、鼓膜の忍耐力を試すように鳴り続けた。

 正体は自衛隊の航空機だ。綾の杜公園の向こうは、滑走路になっている。マニアでないので、エンジン音から機種までは分からない。が、大型の機体に火が入ったようだ。


 ――あんなでっかい物飛ばすなんて、よく怖くないよな。

 大きさより値段かもしれない。もしも墜落とか、傷付けてしまったらと想像するだけで怖ろしい。

 ともあれ暖気からタキシング、離陸まで。しばらくは賑やかだ。静かなよりも、よほど心地良い。今のように、心が嵐に見舞われているときは。


「はあっはあっ! か、形無さんっ!」


 しばらくして、青二が戻ってきた。息を切らすほどの勢いでだ。


 ――青二が居てくれるのも、俺には助かったのかもな。

 などと、ちょうど考えているときだった。


「どうした?」


 植え込みの煉瓦に腰かけ、慌てた様子の少年に問う。それほどのことが昼の公園であったとも思えない。


「こ、これ見てよ」

「んん?」


 青二は抱えていた物を突き出す。急に何かと焦点を見失ったが、どうやら布製の品らしい。つまり衣服だ。

 シャツにしては塊が大きく、つるつるとした風合い。何よりベージュ色に見覚えがあった。


「おい、これ!」

「そうなんだよ、しかもここ!」


 奪い取り、拡げてみる。やはり石車のトレンチコートに思えた。中でも青二が指をさし、語気を強くするのは裾の辺り。


「赤い――」

「血だよね、きっと」


 擦り切れかけた裾の一箇所が大きく破れ、その周囲が鮮血に汚れていた。

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