第41話:行方は知れず
「どこにあった」
「売店の自販機のゴミ箱だよ。缶が散らばってて何かと思ったら、これが突っ込んであった」
綾の杜公園の中央にはログハウス風の売店がある。ただしイベントでもない限り、店員が常駐しているわけでない。毎日一回、自販機を含めた設備の点検に訪れるだけだ。
このコートが石車の物なら。昨夜、宝田に目撃された後、ここへやって来たことになる。
「ポケットに何か入ってるか?」
右のポケットを探ると、青二は左のポケットを探す。裏地もない薄っぺらな作りだ。すぐに手に、クシャと感触がある。
取り出してみると、スライスチーズを包むビニールだった。同じく青二が取り出したのは、魚肉ソーセージ。まだ封を切っていないものと、食べた後と。
「形無さんが買った……」
「ああ、石車のに間違いない」
猛暑だの酷暑だのと言われた去年も一昨年も、石車はコートを脱がなかった。それがどうして、ゴミ箱へ捨てられたのか。
考えつくのは一つだ。
「誰かに連れ去られた、のか?」
「えっ、そうなんの? 事故とかじゃなくて?」
「事故で病院に運ばれたってなら、宝田さんが知らないはずない。怪我人だからって、持ち物を勝手に捨てたりもしない」
先刻話したとき宝田は、石車を自由に泳がせていると言った。不意の事故であれ、入院したとなればそうは言うまい。
「そっか。でも誰かって誰さ」
「恨みがあるとかで言えば宝田さんなんだが、違うとなると――」
「船場?」
思い浮かべた顔と一致する名を、青二は声にした。奇異な行動をするホームレスとは接点などなさそうな、SESグループ代表。
それがいきなり、石車を話題にした。しかもあの男の価値を問うようなもので、形無は無縁だと答えた。
――もしもあの質問が、石車に何かあったら困るかって意味だとしたら?
そうだ。石車は船場のことを、宝田から間接的に聞き出していた。そこからさらに踏み込んだなら、煩わしく思うだろう。
他の者ならともかく、社会的地位のないホームレスであればひと思いに、と。
「いやそれは考えすぎか」
「何を考えたんだよ。船場が殺したんじゃないかって?」
しゃがんで血痕を眺めていた青二が、顔を上げる。
眉根を寄せているのは、臭かったからでなかろう。酸化して黒ずみ始めた血が、これと分かる臭いなど発しない。
「え、いやまあ、そうだ。お前もそう思うのか」
「そりゃそうでしょ。うるさいのが増えたなと思ったら、すぐやりそうだよ」
「印象の話か」
「それもあるけど、嗅ぎ回ってるみたいなこと言ってたじゃん。へ太郎が自分でさ」
過ぎた妄想と思いきや、青二も同じ意見だった。一昨日の石車、昨夜の船場。互いが言い合う形になったことから考えると、この二、三日に何かあったと考えるべきか。
「この辺にホームレスの人居ないの?」
その何かを知っているとすれば、石車と親しいホームレスしか居まい。やはり青二は、こちらが言う前に案を出す。けれども一般住宅と自衛隊施設しかないこの辺りに、定住している者は覚えがなかった。
「ちょうど俺も考えてたんだが、近くには居ないんだよ。駅のほうへ行ってみなきゃな」
頷いた青二は、基地の外来搬入口のほうへ歩き始める。この位置からなら、大通りへ戻るよりも駅に近いからだ。
いったい何が起きているのだろうと、後ろ姿にも首をひねる様子が見て取れた。しかしそれでも彼の動かす手足は、いちいち元気がいい。
環の遺体があった近くで、石車も何ごとかに遭う。偶然にしては厭味の過ぎる出来事を思うと、形無も首を三つ四つ用意せねばならない。最も怪しい男の身を案じてやるなど、厭味の上に皮肉まで載っている。
――忘れることなんか、ずっとないんだろうけどな。
ほんの数分前、この世の終わりみたいな気持ちになった。
だが、いま考えたところで何も出来ることはない。と、見てみぬふりに戻すことは出来た。それはいったい、誰のおかげだろう。
「ありがとな」
どんどん先を行く少年の背に、礼を言う。それは小さな呟きのつもりだったのに、彼は素早く振り返った。
「え、何か言った?」
「いや何も」
「ええ?」
キュウウウゥゥゥィィィ――。
響き続けていた自衛隊機のエンジン音が、一層高まる。いよいよ離陸するらしい。
滑走路の端へ移動し、爆音がさらにもう一つ強まった。全ての準備を整え、大地から解き放たれんと走り始める。姿は見えないが、どの辺りか手に取るようだ。
ヒュゴッ。
車輪の摩擦音が消えると、エンジン音も少し鎮まって聞こえる。それでも十二分に、耳をつんざくと言えるけれど。
「シーワンだね」
「だな」
主力を退いて間もない、自衛隊の輸送機。巨大な体躯が重力を引き剥がすように力強く、空高くへ翔け昇っていく。
ふと視線を地上に戻すと、目の前をコンテナの十トン車が過ぎた。学校の校門によくある横移動式のゲートを通り、基地内へ入っていく。
百五十メートルほど進むと外来受付けの建物がある。隣接した駐車場へ、迷う様子も見せずに進んだ。
昼と言わず、夜と言わず、時間に応じた働きをしなければならない。自衛隊員も運送業も、そういう意味では同じ労苦を抱えている。
――俺は自分の家の自分の布団で、毎日寝られるもんな。
環が最後に眠ったのはアスファルトだったのか、それとも公園の土か。またそんなことを思い浮かべてしまい、慌てて首を横に振った。
◇ ◇ ◇
「……どうする?」
はかな市駅周辺のホームレスたちに話を聞いたが、昨夜以降に石車を見た者は居なかった。
そのことと関係なく一つ驚いたのは、彼らの誰も石車の名を知らなかったことだ。あの男がどうしてホームレスになったのかも。
「どうって言われてもな。あとは船場に直接聞いてみるくらいしか思いつかない」
「それはまずいよね」
「石車がどこへ行ったか、知ってるでしょうって? そんなの俺が境山湖に浮いちまう」
時刻は午後七時近い。ホームレスたちは、日が暮れれば
「宝田さんは教えてくれないよね」
「あれだけはっきり、俺も共犯って言ってたからな」
石車とは知らずとも、大きな交通事故ならば誰かが知っているはずだった。その情報もないとなると、やはり誰かに連れ去られたと考えるべきだ。
――その誰かが宝田さんとか? まさかな。
無骨な刑事の顔よりも、形無には環の父という想いが強い。可能性として存在するケースも、どうにかして候補から外したいと思う。
シャシャシャンシャシャシャン――。
前触れもなく、半分以上を夜に染めた商店街にポップな音楽が響く。昨年やっていたアニメの主題歌だ。
「あ、電話」
どうやら青二の着信メロディーらしい。ニャインの着信音でないことからすると、友達ではないのだろう。取り出したスマホの画面を見て、顔を顰める。
「父さんだ……」
「出ないのか?」
「うーん、まあ。出るよ」
青二の親が番号を知っているとは意外だ。思いのほか、無頓着でないのかと評価を改めかける。
――ああ、契約者が親なのか。
身も蓋もない事実に気付いてしまった。軽くため息を吐いたのは、まだあの夫妻に幾ばくかの期待があるらしい。
「え、まだだけど。今から? うん、いや――駄目じゃないけどさ」
通行人の邪魔にならぬよう、青二を壁際へ押す。優しくと意識したが、少年の表情は随分と険しい。
配慮の甲斐なく、通話は二分ほどで終わった。
「ぶつかったら良くないと思ってな」
「何?」
「嫌そうな顔してるから」
「何だか知らないけど、形無さんじゃないよ。父さんがね」
今朝も風呂に入った綺麗好きの男子高校生は、むず痒げに頭を掻き毟る。
「何だ。また何かあったのか」
「そうじゃないんだけど。今日の晩飯、一緒に食べないかって言うんだ」
「いきなりだな。でもその言いかただと、飯だけってことか」
「そうらしいよ。いよいよ出発するから、最後くらい家族の顔を見ておこうって。わけ分かんないよね」
――最後、と来たか。
苛とした気持ちが鎌首をもたげる。が、どうにか宥め、人生の先達らしくアドバイスをした。
「何週間か何カ月か知らんけど、当分行ってるんだろ? こう言っちゃ悪いが、旅行中に死ぬことだってある。会おうって言うなら、会っといたほうがいいんじゃないか?」
旅行中に死ぬとは、縁起が悪いにもほどがある。けれども青二にはもっと立つ瀬のない展望を、あの夫妻は描いているはずだ。
「うーん……」
「やっぱり会うんじゃなかったって。そうなったら、どんな高いもんでも奢ってやるから。会ってこいよ」
どうしても嫌だというのでない。最も近い他人として生きてきた親と、会ってどうしろというのか。
少年の気持ちは、おそらくそんなところだ。
「やっちまったってのは、また他の何かでやり直せるんだよ。でもやらなかったのは、どうしようもない。悔やむ以外に何も出来ないぞ」
どちらを選んでも、青二は傷付くに違いない。それなら自分のせいだと思わないのはどちらか。形無なりに、選んだつもりだった。
――余計な世話だよな。
ううんと唸り、逡巡を重ねる青二。その姿に、無理をする必要はないと言いかけた。
「どうしても行きたくないんなら」
「いや、行くよ。一つお願いを聞いてもらえるなら、だけど」
彼のほうから要望が出るのは初めてだ。しかも場合が場合で、断る理由があるはずもなかった。
「お願い? 何でも言えよ」
「大したことじゃない。終わったら連絡するから、迎えに来てよ」
「何だそのくらい。アルゼンチンでも行ってやるさ」
「本当に? 聞いたからね」
気持ちだけは本当にそのつもりだ。もちろん食事に行くのだから、せいぜい東京に出るくらいだろうが。
当人の言う通り、大したことでない。だのに青二は、喜色を浮かべた。
不可解な石車の件。突然な父親の誘い。消化に困る表情を二つ湛え、その片隅で口角が僅か上がる。
「じゃあ行ってくるよ」
「ああ、気を付けてな」
電話番号を交換し、青二ははかな市駅へと戻っていった。
「さあ俺も腹ごしらえしなきゃな」
微かに残った茜の空も、いつの間にかどこかへ姿をくらましてしまった。二軒並んだ居酒屋から、もう出来上がった酔客が出てくる。「ありあっしたぁ!」と、威勢のいい店員の声がこちらまで響いた。
この街を独りで歩くのは、とても久方ぶりの気がした。
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