第34話:仕切り直し

 榧材がたった今どうなっているのか、友野に聞かねばなるまい。出来れば発注元も聞き出して、周辺を探ったほうが良い。

 きっと料亭や、宿泊施設だろう。それならばアワワ商店街の古参に聞いたほうが早いのかもだ。

 古物市も終わりの時間が近付き、速やかにやるべきことを頭の中へ並べていった。するとそれを覗き見したように、青二が問う。


「船場がどうしてるのか、調べたほうが良くない? スパイ仲間とか居るんでしょ」


 はっきりとでなかったが、形無が情報屋と彼は察している。

 それを表現する言葉に、スパイという語句を選んだようだ。何か、ごっこ遊びめいて恥ずかしい。


「そんな映画とかになるような、大層なことはしてないよ俺は。でも調べろって、何でだ?」


 環のことも話したのに、違うと否定しても今さらだ。けれども認めたようで認めない、狡い逃げ方を選ぶ。


「何でって、何となくだよ。またお使いをするだけならいいけど、それじゃ済まないんじゃない? 手許に一億円あったって、どうでもいい額じゃないだろ」

「お使いもこりごりだけどな」


 船場の動かせる金は、一億ではきかない。だがそれでも、青二の言う通り。船場の財布が百万や二百万くらいで、こゆるぎもしないだろう。

 ただし、うっかり落としたのを黙って見過ごすか。その答えは、否だ。


「しらを切るってことはさ。船場の物って知らなかったんだから、責任もありませんってことだろ。そう言い張るなら、知らなかった証拠を作っといたほうがいいんじゃない? どうしたらいいかは分かんないけどさ」


 不法な品物を売買しても、罪に問われない法の抜け道。それを青二は、駆け引きにも当て嵌めろと言った。

 船場がごねれば、こちらの言い分などないも同然だ。そうならぬよう、無実を言い張れるだけの武器を用意しろと。


 ――怖いものしらずってのか、俺なんか相手にならないくらい肝が据わってんな。


「そいつはつまり、この通り知らなかったんです勘弁してくださいって、謝り倒すわけだ」

「それしかないんでしょ」

「おいおい、俺を舐めんなよ」


 弱い立場を高校生に煽られた格好で、どうにも情けない。

 だから強がりを言った。そう見られても決して間違いでなく、むしろ本質だ。船場の近くに居るのは、やはり危険だと思う。


「そろそろ潮どきとは思ってたんだ。考えてみれば、なまじあんな男の傍に居るから聞けない話ってのもあるかもしれない」

「形無さんが船場の仲間と思われてるから? あるかもね、敵も多そうだし」


 何年も付き合って、高校生に気付かされるとは。敵が多そうとは、まさにそうだ。

 船場も天下無敵なわけでなく、表立って敵対する相手も居る。今まではそのルートからの情報を、捨てていたことになる。


「そういうことだ。まあ、だからって敵になる必要もない。距離を置くことにする」

「それでいいのかオレには分かんないけど、応援するよ」

「そりゃどうも」


 はかな市で起きたことだが、船場が勢力を増す前。そのころに威勢を持っていた者からすれば、面白くない相手に違いない。

 当時もっとも重要な情報を抱えていたかもしれない相手が、蚊帳の外だった可能性がある。


 ――何でこんなことに気付かないのかね、俺は。

 そうと決まれば、反省していても仕方がない。駅近くのホームレスたちから、昔のことをもう一度聞いてみなければ。それに船場以外で、いま景気のいいのが誰かも。

 石車には、流通を調べてもらわねば。輸入家具の流れを頭に入れておかないと、また知らずに地雷を踏むことになる。

 飲食関係から、船場の噂を流してもらうのもいい。悪い評判など珍しくもないが、具体的な事例を付けてやればいい。

 手始めには外国人の件だ。そういう話の中で、形無が船場に愛想を尽かしたと流布されれば申し分ない。


「忙しくなりそうだ」

「手伝うよ」


 これからの絵図面を、ざっくりとイメージした。情報屋として、古道具屋として、両方の収入に打撃を受けるのは避けられない。

 だとしても、環のことを何か知れるのなら。優先されることなど何もない。

 もちろん拙速は禁物だ。足下を崩さぬよう、踏み出した先に落とし穴がないかたしかめながら。

 また人ごとのように手伝うと言った高校生が、憎らしくも頼もしく思える。


「猫の手よりは、ましだといいんだがな」

「それは保証出来ないね」

「出来ないのかよ」


 間もなく。午後五時に、古物市の終了を告げる放送があった。拍手などがあるでもなく、あちこちで伸びをする中年たちの呻きが聞こえるだけだ。

 撤収作業は三十分少々で終わった。売り上げは二十万に届かない。まずまず良かったというところか。

 狭い出入り口が混雑するので、大宮の老人の撤収を手伝い、それも終わって待っていた。

 ふと。サイレントモードにしていたガラホが、激しく揺れた。


「おっと――」

「どないした?」

「いやちょっと知り合いが急用みたいで」


 発信者の通知を見ただけでそう言うのは、不審だったかもしれない。けれども老人の前で話すわけにいかなかった。

 そそくさと離れつつ、ようやく通話ボタンを押す。


『長くかかったな。不都合だったか?』

「いえ、そんなことは。見てたのかなってタイミングですよ」

『はっ。見てはいないさ、お前がどこへ居るかは知ってるがな』


 いつも通り。どちらかと言えば機嫌の良い感じのする、船場の声。浅井夫妻の監視役が、形無の所在を伝えたのだろう。


「何かありましたか?」

『昨日の荷を返してもらおうと思ってな。ついでに、いつだったかの約束もある』

「約束ですか?」

『うまいものを食わすと言ったろう』


 ――そんなこと。ああ、言われたか。

 どうにか記憶にあったが、社交辞令みたいなものだと思っていた。都合が合えばとか、行けたら行くとか、そういう類の。


『それに聞きたいこともある。石車って男を知ってるな?』

「え――ええ。知ってますが何か」

『大したことじゃない。詳しいことは、会ってからだ』


 こちらの予定も聞かず、場所の指定だけをして電話は切れた。

 ツーツーと鳴る音を、こうまで不気味に感じたのは人生で初めてのことだ。

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