第32話:怪しさ渦巻く

 正午を過ぎて少し経ったころ、そろそろ青二に声をかけようとガラホを持った。しかし番号を聞いていないと気付く。

 その後間もなく、彼は自分から戻ってきた。頼んだ通り、コンビニの弁当を持って。二つともがニンニクの茎のたっぷり入った、焼肉弁当なのは高校生らしいなと思う。


「母さんはさ、あれで父さんに逆らわないんだよ。知ってる人は知ってるくらいに売れて、ちやほやされてたから。父さんが居ないと、自分じゃ何も決められないみたいだね。優柔不断なんだよ」

「好みの弁当を選ぶのも、決められなかったり?」

「そんな感じ。父さんのお土産をどれから食べるかで、いつも悩んでるよ。どうせ自分一人で食べるくせに」


 目を細めて笑ってしまう。青二には鬱陶しいだけだろうが、形無には微笑ましく思えた。

 一緒に食事をしようというとき、メニューに親を殺されたかというほど睨みつける女性に心当たりがある。


 ――何回でも来て、順番に食えばいいって言ってんのにな。

 いま一番おいしいと思えるのはどれか、その時々で違う。もし外れても、十分に悩んだなら納得がいく。人生で昼食は二万九千回ほどしか食べられないと彼女は言った。

 回数は過去に形無が話したものだ。そんなにあるのだから、一度や二度を失敗しても大したことでない。

 けれども環はその後を続けた。「もう七千回くらいは、済んじゃったんですよ」と。


「どうしたの、ニヤニヤ笑って気持ち悪いよ」

「誰が気持ち悪いって?」

「形無さん」


 言い返そうと思ったが、母親の話をしてニヤつかれた子の反応として正しい。もっともらしい顔で頷いてごまかした。


「それにしたって、要は浮気をされたわけだ。ああまで仲良く出来るもんかと、俺なんかは思うわけだ」


 母親の話と言うなら、これこそ高校生に向ける話題でなかろう。しかし両親の様子がどうだったか、聞いてきたのは青二のほうだ。

 戻ってくるのを迷惑そうにしていた、という件を越えるタブーなどないと考えた。


「仲良く? 車の中じゃ、もう愛想が尽きたみたいなこと言ってたけど」

「事情を聞かされたときか。そう言うほうが普通だと思うよ」

「――ああ。もしかして母さん、何か巻いてなかった?」


 少し考えて、思い当たったらしい。青二は首を手で擦って聞く。


「何かって、スカーフを巻いてたけど。よく分かるな」

「やっぱりね。あの二人がケンカして、仲直りした後はだいたいそうなんだよ」

「スカーフが仲直りの秘訣ってことか? 何だそりゃ」


 母親が青二の友達と聞いて、疑問を覚えたように。息子のほうも父母の決まりごとめいたものを、ある程度知っているようだ。

 しかもあまり聞かないパターンの。


「さあね、理由なんて聞いたことないし。父さんからプレゼントされたとかじゃないの」

「ああ、なるほど。仲直りのしるしってことか。それなら聞かなくもないな」


 ケンカをした後には決まった物を食べるとか、思い出の店に行くとか。そういうものなら分かる気がした。どうやって機嫌を取ったのかは分からぬままだが、知ったところで活かす場面も持ち合わせない。


「おっ、番頭はん。ええもん食うてはるな。おっちゃんにも、ひと口くれんか」


 会話が途切れて弁当を食べ進めていると、スキンヘッドの男性が青二に声をかけた。初出しの古物市で会った、大宮在住の老人だ。


「あれ、昼飯はどうしたんです?」

「それがなあ。急に、どうしても言うてきた大手さんが居ってな。運営役員の手が取れんちゅうて、儂に案内をやらせたんや」

「案内なんて要らないでしょうに」

「まあ体のええ監視役やな、午前中に大手さんは手出し厳禁ちゅうて」


 大手資本に好き放題させては、零細の事業主はお手上げになってしまう。だから良心的な古物市は、大手の参入に制限を設けている。

 ただしそこをどうにかと言ってくる輩も、もちろん居るだろう。老人はその対応に駆り出されたというわけだ。


「それでようやく解放ですか、お疲れさまでした」

「そうなんだ。オレの食いかけでいいなら、全部あげるよ?」

「ほんまか? かまへんかまへん、若いエキスが取れるさかいにな。むしろ歓迎っちゅうくらいや。何や、冗談やがな。けったいな顔せんといて」


 青二の冷たい視線を浴びながらも、老人は焼肉弁当の半分ほどを平らげる。飲み物も青二が、自分の緑茶を進呈した。


「いやあ、ごっそさん。ぼん、名前聞いとこか」

「え、ええと。浅井青二、です」

「そうか。よっしゃ、覚えたで。長い付き合いでも、茶の一滴さえ出さん男に預けとくのは惜しい坊や」


 押しの強い語り口の老人に、青二は引き気味に頷く。褒められるのは満更でないらしく、作った程度には笑う。


「青二に話しかけてたからですよ。それに弁当の金は俺のです」

「青二はん。ああいう尻の穴の小まい男になったらあかんで」

「気を付けます」


 どうやら抵抗しても三すくみだと悟り、諦めた。


「そういえば大手ってどこです? まだ顔を出してなかったとこって、遠方の企業ですか」

「いいや? 船場のとこや」


 言われて気付いた。シップスエージェントサービス傘下の古物チェーンも、関東から東海に跨る大手だ。形無には身近すぎて、参入しているか意識していなかった。

 今まで国内では買い取りをせず販売するばかりだったのが、方針変更ということらしい。

 

「仕入れせんわけにいかんから、どこかが肩代わりしとったはずやけどな。いよいよ自前でやろうっちゅうことや。うまいこと行っとらんのかもな」


 どこかも何も、表向きには関係のない小規模チェーンがいくつも名を連ねた。どれも盗品や犯罪に関連した商品を、気付かぬふりで扱っている。


「どうしたことですかね」

「そういやあ、新しい担当いうて名刺もろうたわ」


 老人は尻のポケットから、名刺を取り出した。両手に拡げると、十数枚もある。それをポーカーで手を晒すように、「ほいっ」と見せてくれた。中にはもちろん、浅井夫妻の物も見える。


「たくさん来たんですねえ」

「せやな。全員に着いて歩くわけにもいかんから、偉い人にくっついとっただけや。船場は来とらんかったが」


 散々歩き回らされて疲れたと、老人はおどけた表情を浮かべた。


「ただな、気になるんがこの二人や。下っ端さんやから、放っといたけど」


 ぎくりとして、唾を飲み込んだ。老人は手札を捨てるかのごとく、拡げた中の二枚をテーブルに放り投げる。

 まさに視線を向けていた、浅井夫妻の名刺だ。


「気になるって?」

「この二人な、先週見かけたんや」


 先週のいつかにもよるが、船場に拘束されてすぐ。老人がどこで見たと言うのか、気にならぬわけがない。

 しかしそうと察せられては、おかしな気を回されてしまうおそれがあった。自分が今、平静な顔をしているのか。見えない鏡が欲しいところだ。


「どこでです?」

「この近くのな、輸入家具を扱うとるとこや」

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