第31話:夫と妻と子

「ええと――古物商をされてるんですね」


 古道具と形無とを何度も見比べた末に、青二の父親、浩二は言った。気温のせいか、気まずさのせいか、額には汗を掻いている。それを妻が、手を伸ばして拭く。


「ええ、まあ。そちらも新しい仕事ってのは、古物関係ですか。何か難しい事情でもあったみたいですが、今度はうまく行くといいですね」

「あの。私たちのことを、青二からは?」

「内容ですか? 言いたくないみたいだったし、聞いてませんよ」


 タレントに手を出したことどころか、私的な不始末とさえ知らないと装った。この二人の機嫌を損ねる必要は特にないのだから。

 それにもし何か聞き出そうと思った場合に、こちらが知り過ぎていては話してもらえない。


「ああ、そうですか。実際ちょっと恥ずかしいことでして、お世話になってる形無さんには申しわけありません」


 あれがちょっとなのかと、眉をひそめそうになる。どうにか堪え、「いえいえ」と無難に流す。

 夫妻は顔を見合わせ、小さく笑いながら頷き合った。


 ――何だ、この二人。仲睦まじいじゃないか。

 知人の夫婦が仲良くしているのなら良いことだ。微笑ましくは見られなくとも、真っ当に羨ましがるくらいは形無にも出来る。

 しかし青二の両親は違う。

 旦那が若い女に、しかも商売道具に手を出した。それが親分の逆鱗に触れ、一家を巻き込んでの苦境に陥っている。

 そんな夫でも手を取り合っていける、聖人のような妻なのだろうか。青二に聞いた話からは、かけ離れた姿だ。


「ご夫婦もうまく行ってるみたいで、ほっとしました」

「ええ?」

「あ、すみません立ち入ったことを。金銭的なトラブルは、血の繋がった同士でも関係を壊してしまうもの。そういう覚えがあったもんで」


 眉間に皺を作りかけた浩二が、途端に「ああ……」と同情の目を向けてくる。


 ――というか、同類を見つけた目か?

 そういう覚え・・・・・・など、本当はない。嗅ぎ取った不審に対し、口が勝手に情報屋の話術を繰り出す。誰でも同意、同調した人間には口が軽くなるものだ。


「形無さんもご苦労なさったんですね。でも今は、こうして立派に立ち直ってらっしゃる。見習わないとな」


 形無をおだてていたはずが、最後にまた妻と見合って笑う。いい歳をしてイチャイチャするんじゃない、と言いかけた。


「そんなことは全然ないですけど。でもお二人も、もう先が開けてきたんじゃないですか?」


 そう聞いたのは、当てずっぽうでない。前回会ったときには、まだ首すじにハンガーの入っていそうなスーツだった。それがいま着ている物は、こなれた感じがする。

 妻も同じく、着慣れた風のワンピース。薄い草色で、ご丁寧に首元にはスカーフまで巻かれた。


 ――暑くないのかね。

 とは余計なお節介だが、思うに自前の服を取りに戻れたのだろう。これまでは缶詰め状態だったのが、多少は自由度が上がったと見える。ただしそれが、一概に良いこととは言えまい。

 船場も何かの意図があって拘束していたはずだ。その意図が解消された為に、扱いが変わったのだとしたら。解消された方向が、良かったのか悪かったのかが問題になる。

 そしてまだ監視を解かれていない事実を踏まえると、後者でないかと想像出来た。


「そうなんです。夫は重要なお仕事を任せられて、海外勤務になるんですって」

「おい、ひと様にそんなことを」

「あらいいじゃない。本当のことだもの」


 シンデレラの継母か意地悪な姉か。そんな空気を醸し出して、妻は得意げに語る。止めようとした浩二は慌てて、周囲の目を気にした。王子と言うより、王子の気紛れに振り回される宰相に見えたが。


「へえ、そりゃすごい。海外の古道具は、やたらに高く売れますからね。まあその分、関税やら何やら面倒ですけど」

「らしいですね。経験なんかないのに、任されていいのかドキドキですよ」


 浩二は妻に厳しい顔を作り、首を左右に振って見せた。すると勝ち気な彼女も夫には従うらしく、先ほどまでの大人しいよそ行きの表情に戻る。


「すると、青二くんも一緒にですね。いや、よく手伝ってくれてますよ。でもやっぱり、ご両親の居るほうがいいんだろうと思って。いつごろになるか、もう分かるんです?」


 預かっているのを迷惑には思っていない。こんなことを言うのは、あくまで当人の気持ちに配慮してだ。と、受け取られるように言った。

 善良な親なら、無理を押してでも肯定するだろう。本当に無理なら、形無と青二と両方にすまないと罪の意識を持つだろう。


「いやそれがですね。ええと、しばらくは行ったり来たり? になるようなんですよ。滞在場所も一定しないだろうし、うん。形無さんさえ良ければ、まだ当分はお願い出来ればと思ってます」

「あらら、それは大変ですね。分かりました、全然構いませんよ」


 浩二はあからさまな作り笑いで、たどたどしく答えた。「思ってます」などと、よくも白々しく言えたものだ。


「ところで、青二くんと会っていきますか?」

「えっ、ここに来てるんですか?」


 息子の為を思って同行を否定した父親は、当人がここへ居る可能性を初めて気付いたように驚いた。箪笥の陰などに目を走らせ、何やら表情の変化が険しく忙しい。

 母親は明らかに迷惑げな顔をした。こちらはどこが出口だったかたしかめるように、通路の行く手を眺める。


「いやいや、ここには来てません。こっちに友達が居るとかで、近くで遊んでるはずですよ。呼べばすぐだと思いますけど、呼びます?」

「あ、ああ。そうなんですね。大丈夫です、あの子も友達のほうがいいでしょう。な、そうだよな?」

「そうね。でも休みの日に遊ぶ友達なんて、居るのね」


 感動もなく母親は答えた。

 それから社交辞令をいくつか交え、夫妻は残りの売り場の見学に戻る。あのペースならば、あと二、三十分ほどで居なくなるだろう。


 ――友達が居ないことくらいは知ってたか。

 同じ家に住んでいたのだから、興味のあるなしとは関係ないのかもしれない。だが父親は、我が子を疎ましく思っているのが明らかだ。


 ――まあ俺も、嘘ばかり並べ立てたけど。

 青二が戻ってきたとき、何と言うべきか。彼の置かれた現実と、彼への言葉と。悩むべきことの多さに、深呼吸にも似たため息を吐いた。

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