第六節 変わる立場

第30話:取り巻く境遇

 古物市が行われるのは、なぜか金曜日が多い。運営側に問うても、明確な理由はほとんど聞けない。

 おそらくは大手の業者が、市で仕入れた物を週末に売り捌く利便を考えてだろう。

 形無のように個人単位で営む者には関係がない。ひと晩で売り物に仕立て直すなど、不可能だから。

 しかし大手が参加するということは、自分の出品した物が大量に売れる機会だ。逃す手はない。


「やばい眠い……」


 その金曜日である今日。まずレンタカーショップが開店する午前八時に、デミオを返却した。

 それから預けてあった軽トラで自宅に取って返し、出品する猛者たちを会場まで運んだ。荒川を越えてさいたま市まで、二往復。

 昨日の大遠征に比べれば、どうということもない。しかし疲労に加えて、眠ったのが午前三時前だった。


「大丈夫?」


 睡眠時間は同じくらいで、年齢も十しか違わない。だのに青二は、随分と元気そうだ。与えられた売り場の前で、会場の全体を珍しそうに眺め倒す。

 今日の市は、基本的に即売形式だ。競りでないので、覗きに来た客の応対をせねばならない。

 値札は付けてあるし、手提げ金庫の暗証番号も伝えた。ただ売るだけなら、青二に任せてもいいのかもしれない。

 陳列が終わって吸い付けられたパイプ椅子から、どうにも尻が離れたくないと訴えている。


「オレが居るから、寝てなよ。誰か来たら起こすからさ。信用出来ないんならしょうがないけど――」


 待てを言いつけられた犬。しかも柴犬がそこに居る。役に立つから命じてくれよと、視線が口ほどに物を言う。


「信用はしてるさ。じゃあ悪いけど、三十分だけ寝かせてくれ」

「いいよ。一時間でも、二時間でも」


 客が来ているのに店主が寝たままなどと、心象が悪い。いいから起こせと言う前に、睡魔との戦いに敗れた。


 会場は公営のイベントホール。依って空調は、省エネ設定の二十八度。

 新しいエアコンならそれで十分に冷えるのだろうが、ガタガタと文句を言い続ける旧式の冷房ではとても無理だ。

 どれくらい眠ったものか、形無は首すじを伝う汗の感触で目覚めた。


「暑っ」


 まぶたが開くと同時に声が漏れる。見えた景色も、南米の遺跡にでも迷い込んだかと錯覚した。

 しかしもちろん、そんなファンタジーは起こらない。最低限の通路を確保した、古道具たちのひしめき合う風景のままだ。

 大手業者は、午後にならねば入れない。姿のないところからすると、まだ午前中らしい。

 ガラホを取り出すと、十一時前を示していた。四十分ほど眠ったようだ。


「あれ?」


 店番を任されてくれた、青二も見えなかった。ご近所の売り場は、特にこちらを気にしている風でない。何かがあったわけではなさそうだ。

 椅子を立つと、一瞬の立ちくらみ。けれども大丈夫だ。仮眠をして、かなりスッキリしている。

 しばらく見回し、意外な場所に少年を見つけた。


「何やってんだ?」


 彼はいつから、囚われの身になったのか。虜囚よろしく、鉄格子ならぬパイプ椅子のフレームを掴み、小さく屈んでいた。


「いや、ちょっと」


 寝ぼけていた頭が、徐々に働き始める。なるほど状況を読めば、そこは形無の陰になっていた位置だ。

 つまり青二は、誰かから隠れていた。

 まさか学校で密かに想いを寄せる女子が、なぜかこの会場に来るという偶然か。


 ――なんてことは、あるわけないしな。

 我ながら起き抜けに、よくも馬鹿なことを思いつけると呆れた。

 さておき気まずげな視線を追うと、中央のやや広い通路辺りに向いた。「何かあるのか?」と倣って見やる。

 会場は小学校の体育館なら、四つ分以上もあった。端のほうに居るこちらからでは、人や物の壁に阻まれてよく分からない。

 だが視力は、両眼ともに一・五だ。いくらか眺めていると、隙間にそれらしき人物を認めた。


「あの二人も来たのか。やっぱり飛ばし屋の見習い中って感じだな」

「みたいだね」

 

 青二の両親は元気そうだ。父親は素より神経質そうな顔を引きつらせて、メモを取っている。母親は夫の物らしい荷物を抱え、ぴったりと寄り添う。

 古物売買の様子を見てこいと言われたのだろう。船場の姿はないが、離れたところに若い衆は居た。

 青二の様子からすると、まだこの前には来ていないらしい。


「会いたくないのか?」

「会いたくないって言うか。今あの人たちに、どんな顔で何を言えばいいのか分かんないんだよ」


 あちらがよほど注視してこなければ、まだ見つかるはずもない。それでも青二は、視線が通らぬように細かく身を躱す。

 両親の境遇を思えば、子どもである青二の気持ちも何となく分かる気はした。

 原因は当人にせよ、望んでいない悪の道に引き摺り込まれて行く渦中。仮に石車がそうなったとしたら、どんな顔をすればいいのか想像がつかない。


「しばらくどこか行ってるか? あ、そうだ昼飯を買ってきてくれよ。ついでに立ち読みでもして、時間を潰せばいい」


 三千円を出すと、少年は一瞬だけ迷って受け取った。


「ごめん。行ってくる」

「ゆっくりしてこいよ」


 浅井夫妻は一筆書きをするように、売り場を縫って歩いている。青二はその反対方向を回って、出口へと向かった。

 それから三十分以上も経って、いよいよ目の前へ夫妻は辿り着く。

 古道具をなぞって見る眼が、こちらの眼と合う。夫は「あ――」と何か言いかけて止まり、妻は夫から一歩離れる。

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