第29話:妄想の時間

 もう少し商店街をうろつくと言う石車と別れ、自宅に戻った。アワワ商店街から、車で二十分足らずの距離しかない。

 だがそこは、埼玉県は境山丘陵の一角。峠の頂上近くである為に、周囲を林が囲む。上ってきた道路沿いに並ぶ家々も、形無家を最後に途絶える。


 ――まさか居やしないだろうけど。

 もう嗅ぎつけられて、どこかに警察官が待ち構えているのでは。あり得ないと分かっていても、無意識に足音を忍ばせてしまう。

 引き違いの玄関扉を開く音が、カラカラカラと。いつもと変わらぬはずだが、やけに煩く聞こえた。

 ダイニングの灯りを点けて、ようやく人心地がつく。密かに這いよる何者かは、やはり居なかった。


「ふう――」


 疲れた様子で、青二は椅子にかけた。もう午前零時を過ぎている。彼はいつも十時過ぎころ寝室へ引っ込むので、普段の様子が分からない。


「眠いのか?」


 冷蔵庫からコーラを出し、コップに注いでやった。

 疲労感の元は長時間の外出でなく、眠気でもないと分かっている。しかしこちらから言って良いものか、判断がつかなかった。


「名前を浅井って、船場が言ったの?」

「――ああ、そうだ」

「偽名なら関係ない名前にすればいいのに、何でだろうね」


 言い出す前に半分。言い終わって半分。一気にコーラを煽り、少年は聞いた。

 言う通りだと思う。あえて身内に実在する名を使う利点もなくはないが、取り込んだばかりのあの夫妻では意味がなかろう。


 ――聞かれても、想像しか出来ないんだがなあ。

 聞いた話ばかりで、現実の状況が何一つ分からない。そんなで推測を立てれば、最悪のケースまでも考えが行き着いてしまう。

 どう答えたものか、廊下の倉庫を開けつつ悩む。


「こんな時間にラーメン?」

「いや違うけど、腹が減ったんなら食うか?」


 意外にも頷きが返った。


 ――遅いことだし、控えめにしとくか。

 肥満や健康には何ら寄与しない配慮で、塩ラーメンを二つ取った。

 それとは別に詰められたダンボール箱を外へ出し、現れた底の板に手を伸ばす。単なる継ぎ目に擬装した部分から開いて、集めたパスポートを押し込んだ。

 こんなときの為とは言いたくない。が、人目に触れさせられない物の為に拵えた物入れだ。


「何かはさせられてるんだと思う」

「何かって?」

「直接聞いてみなけりゃ、それは分からん」


 八リットルのやかんに水を入れ、火にかける。

 青二の問うまま、順に考えていくことにした。もう聞きたくないと思えば、彼がそう言うだろう。


「そうだけど、想像はつくだろ」

「どんな?」

「へ太郎が言ってたやつだよ。飛ばし屋とか、外国人を連れてくるとか」

「言ってたな。まだその役目はさせられてないと思うが」


 青二ではないが、カップラーメンの作り方など簡単だ。ましてや過去ずっと食べ重ねてきた物。

 それを改めて、蓋に印刷されたのをじっくりと読む。余計なことを考えていなければ、おかしなことを口走りそうだった。


「まだ、って今は?」

「それこそ分からん。俺が船場ならどうするかっていう想像しか出来ん」

「それでいいから教えてよ」


 最低の親と蔑んでも、気にはなるらしい。青二は淡々とした口調ながら、かぶせ気味に聞く。


「船場が言ってた。お前は独り立ちすることになるって」

「あ――うん」

「それはたぶん、お前の親が家に帰れなくなるって意味だろう。でも、死なせたりはしない」


 少年の心情を思って、最悪については否定した。けれども実際にはあり得る。すぐでなくとも、あれこれとまずい事情を引っ被せた後にとか。


「なんで死なないって分かるんだよ」

「最後にそうすると決まってるなら、まだ生きてる理由がない。お前が来てから、もうすぐ二週間だ。その約束さえ延長された」


 矛盾してしまうが、これはこれで本当に理屈だと思っている。最初から殺すと決めていたなら、もっと短い期限を言ったはずだ。その場合、青二もここへ来ていない。

 しかし延長されたのが問題だ。両親の生きる光明が発生したのか、それとも下手を打ったのか。


「そっか。死にはしないのか」

「死なれたら困るか?」

「ええ?」


 最初の数日にこれを聞けば、即座に絶縁されただろう。だが今なら聞けると考えた。聞いたところで何が出来るでもないが、いざというときに彼の心持ちを知らぬでは困る。


 ――いざというときって、どんなときだか。我ながらよく分からんな。


「うーん……」


 気に入らなげな表情はあったものの、青二は渋い顔で考え込む。待つ間に、湯が沸いた。


「困るのはどこに住んで、どうやってご飯を食べるかだよ。それ以外は困らない」

「たぶんそうなったら、船場が用意してくれると思うけどな」

「それなら何も困らない。そりゃあ後味は悪いけど、オレに何が出来るわけでもないし」


 天井にあるのは、まっすぐな長い蛍光灯が二本。ずいぶん長持ちしていて、薄暗くなってきた。

 その光の中で、青二は眩しいように目を細める。ひと言を発するごと考えながら話すさまは、嘘を言っているように見えない。


 ――でも、どうしても今決める必要はないんだぞ?

 まだそれほど長くない人生を振り返り、親の介在した場面を思い浮かべたに違いない。

 それらが今後、再現されなくなる。それでもいいか、機械的に切り分けたのではないか。


「そうか、お前の気持ちは分かったよ。でも人間の気持ちなんか、すぐに変わるもんだ。また改めて、何回か考えてみろよ」

「そんな必要ないと思うけど。形無さんが言うなら、分かったよ」


 カップの蓋を開けて、上がる湯気を吹く。嫌われずに済んだと、安堵の吐息をごまかした。


「まだ早いよ」

「だな、硬かった。で、今何してるかだけど」

「うん」

「俺が船場なら、準備をさせる」


 思えば商品に手を出されたからと、執拗なものだ。はかな市の裏を牛耳る男は、尻の穴が小さいらしい。


「海外行きの? 自分のパスポートは持ってるはずだよ」

「そうじゃない。仕事をするには、自分のやることだけ知ってるより、全体を知ってたほうがいい」


 海外で仕入れた人や物を、日本で売り捌く。そのルートには、日本国内で盗まれた物なども混ぜられる仕組みだ。

 それぞれの土地で盗みを働く者、運ぶ者。そして転売する者。

 きっとこの内、青二の親は運び役をやらされる。転売の手口を知っていれば、運び方にも工夫ができようというものだ。

 

「じゃあ飛ばし屋をやってるんだ」

「の、見習いかな。全部俺の想像だけどな」

「だね」


 まだ早いと言ってから、一分も経ったろうか。青二は深夜の背徳的な塩ラーメンを、息つく間も惜しむように喰らっていく。

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