第27話:それぞれの楽しみ

 午後十時過ぎ。夕飯のお返しも兼ねて、飲み物や菓子をルーエンに持たせてやる。

 アワワ商店街のど真ん中。購入したコンビニから一歩出たところで、彼女は「お友ダチ、とってモ仲良しナノ。もう近いヨ」と。その場で別れることになった。


「青二、マタ遊ぼうネ!」


 力仕事をするせいか、失礼ながらルーエンはスリムと言えない。が、それだけに胸や尻が豊満でもある。

 その身体をぎゅっと押し付けるように、青二はハグに見舞われる。少年は直立の姿勢から、両腕をちょっと差し出そうとした格好で硬直した。


「あれ、俺は?」


 うらやましくないと言えば嘘になる。しかしあくまで冗談として、指を咥えて見せた。


「形無もマタネ!」


 助平心が恥ずかしくなるほど。ルーエンは素直に、そして力強く抱きしめてくれた。独特のハーブっぽい化粧品の香りが、鼻腔をいっぱいにする。

 何度も見返って手を振る彼女を見送り、釣られて上がった自分の腕に気付く。気恥ずかしく、こそこそと下ろす背に、薄っぺらな笑声が届いた。


「えへへ」

「あれ、こんなところに?」


 先に振り返り、声をかけたのは青二だ。形無は見られてならぬものを見られた心持ちで、どんな顔をすれば良いか分からない。


「えへへ」

「何だ、今日はもうお帰りか?」


 こちらから会いに行ったときと変わらず、だらしのない笑みを石車は浮かべる。

 帰るのかと聞きはしたが、そうではあるまい。道路から車の通行が少なくなると、この男は商店街の入り口を離れてさまよい歩くのだ。

 飲み屋のある辺りを、ずるずると足を引きずるように歩く。ふざけてゾンビの真似でもしているように。

 お世辞にも清潔感のない風体で近寄られれば、誰も顔を引きつらせて遠ざかった。酔って座り込んだ者も、よほど前後不覚でなければ立ち上がる。

 現に今もコンビニから出てきた男女がビクッと足を止め、向かう方向を変えた。


「別に今日は、聞きたいことはないんだが。ちょっとあっちの隅で待ってろ」

「えへへ」


 いつもの商店ではないが、カップ酒くらいはあるだろう。そう思って、店内へ引き返した。

 酒瓶の並べられたコーナーへ行くと、やはりあった。いつも買う赤い図柄のを取り、つまみを選ぼうと棚のエンド側へ。移動する視界に、飲み物の冷蔵棚がずらりと見えた。


「七年か――」


 石車に酒を買い与えてやるようになってからだと、もう少し期間は短い。しかしどのみち、同じことを繰り返すには長い時間が過ぎている。


「たまにはこういうのもいいだろ」


 気が変わってカップ酒を戻し、冷蔵棚からチューハイを選ぶ。同じメーカーでも、味が何種類もあった。何となくパッケージの好みで、檸檬と漢字で書かれた物。うまそうなマスカットのデザインの物を取った。


 ――たぶん、甘いほうがうまいって言うんだろうけどな。

 子どもじみた言動をするようになった男を、哀れに思う。しかし何とかしてやりたいとは思わない。

 あの男にも、ああなるだけの理由があるのだ。酒を与えてやるのは、情報の為。それ以外にあるとすれば、昔のよしみ。


 ――それだけだ。


 会計を済ませ、言葉だけの「ありがとうございました」に片手を上げて答えた。駐車場に、二人の姿を探す。

 居た。形無が言った通りの隅に、しゃがんで向かい合っている。ベージュのトレンチコートが、白いメッシュのフェンスに保護色の役割りをした。


「たまにはこういうのもいいかと思ったんだが、口に合うか?」

「えへへ」


 白いレジ袋を渡すと、ガサガサ音をさせてあさった。冷たいのに驚いたのか、突っ込んだ手を抜いて覗き込む。


「えへへへ」


 嬉しい、のだろう。たぶん。

 石車は一つ高い声で笑い、チューハイを両手に持った。よく見る仕草でどちらにするか考え、やがて決めたらしい。


「え、そっちからか」

「えへへ」


 マスカットを先に選ぶと思ったのに、石車はレモン味のほうから飲み始める。ゴクゴクと三口ほど喉を通し、「いーっ!」と。顔をくしゃくしゃに、冷たさを表現して見せた。


「うまいねえ。日本酒が好きなんだけど、暑いときはこういうのもね」

「何だ、形無さんが勝手に押し付けてるんじゃないんだね」

「押し付けてるって、失敬だな」


 この男が日本酒を好むのは知っている。銘柄もだ。

 いくら好物でも、そればかりでは飽きる。というのを一度も考えなかったわけでない。心のどこかで「どうしてこんな奴に」と思う気持ちが、思考を停止させていた。


「みんな楽しそうでいいね。楽しいのはいいよ」


 明らかに調整を誤った音量で、女性の二人連れが笑う。水で冷ますのか、燃料の追加か。コンビニに入って行った。

 視線で追った石車は魚肉ソーセージを丸ごとひと口で頬張り、満足そうに頷く。


「ええと、石車さん?」

「へ太郎でいいよ。僕にはもう、名前なんかないんだ」

「ああ、そうなんだ」


 三度目となると慣れたのか、青二は自分からの対話を試みる。だがくちゃくちゃと、二本目のソーセージを食いながら呼び名の訂正があった。

 夢見心地とでも言うのか、ぼんやりした感じの喋り方で、互いに気を悪くした様子はない。


「ずっと商店街に居るけど、たまには違うとこへ行こうと思わないの? 他にやりたいことがあるとかさ」

「えへへ、いい質問だねえ」


 どういう基準でいいのか悪いのか。とは、ともかく。形無も気になる問いだ。

 過去に何度か、同じことを聞いた。「こんなところで何やってんだ」「何が楽しいんだ」と、侮蔑混じりではあったが。


「他へ行こうとは思わないよ。僕はずっと、僕のやりたいことをやってるんだ。何の不満があるもんか」

「へえ。通る人を眺めたり、トラックに挨拶したり?」

「えへへ、そうだよ」


 答えはそれだけだった。青二も続きを待っていたが、石車はスライスチーズを団子にして口に入れるだけだ。


「ところで形無くん」


 話すこともなく。健康な高校生と二人で、汚い格好をした男の汚い食いっぷりを観察した。何やってんだかと思うものの、聞かねばならぬことがある気もして離れられない。

 そうするうち、石車から声をかけてきた。


「ん?」

「形無くんは、船場って人を知ってるだろう? 名前を知ってるとか、そういう意味じゃなくね」


 ぞくっ。

 背中に悪寒が走る。どうしてその名を、この男が口にするのか。世界の対極に居るかのような二人ではないか。

 とぼけようにも、驚きを顔に出してしまった。何と声を出すべきか、狭い選択肢に悩む。

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