第26話:境目
次に訪れたのは、強羅にある山荘。その次は御殿場付近の釣り堀。また次は山中湖の湖畔にある土産物屋。どれも個人経営らしい、小ぢんまりとしたところばかりだった。
予想したのは山中にひっそりと、それでいて要塞のような佇まいの工場があって、来訪者があれば働く者の大半が物陰に走る。そういう情景だったのに。
現実には最初の農家と同じく、ちょっと警戒しているかなと思う程度。船場から連絡が入っているせいもあるだろうが。
「何か、違うんだよな」
「何かって何?」
山荘まで神妙な顔をしていた青二だが、今はぼんやりと窓の外を眺めた。物思いに耽っているとかでなく、感情の平坦なこの状態が彼の平常運転だ。
「背徳感っての? 悪いことしてますって雰囲気がないよな」
「そう感じてないんじゃないの。形無さんも、
「そうなんだよ――」
言われるまでもなく、実際に楽しんでいた。やったことはないが、親切な取引先ばかりを営業回りしている気分だ。行く先々で、お茶や菓子が出てくる。
青二など、こちらがそこの主と話をする間に、スマホの扱い方を教えたりしていた。それで身構えるのが、馬鹿らしくなったのだろう。
「引きこもりの風上にも置けない奴だな」
「え、オレ? 何で引きこもりなのさ。合わない奴らと一緒に居るのが面倒で、やることもないから家に居ただけだよ」
それを引きこもりと言うのだ、と。じっとりした一瞥をくれ、さておき船場の意図を思う。
――俺はあくまで、見聞きしたことを伝えるだけの情報屋なんだがな。
これまでは犯罪になるか、ぎりぎりのところで踏み留まっていた。だが今日は、完全にアウト。
――まさか俺を取り引き相手じゃなく、手下にしようと?
このパスポートが本物か偽物か、集めてどうするのか。目的がどうあれ、たった今持っている自分が危うい。
職務質問をされたことはない。所持品検査までする検問にも、遭遇したことはない。しかし人生初の体験が、今日起こらない保証もなかった。
「俺は今日、何かも知らない物の回収を頼まれただけ。お前も暇だから付き添っただけ。それ以外は何も知らない。いいな」
「言われなくても分かってるよ。いくらあの人たちがいい人でも、悪いことをしてるってのはね」
いい人という定義が、ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。
とにかく環の情報を得んが為、自身が悪人になっては意味がない。もし法に触れても良いとするなら、殺人犯に対面したとき。
今日だけのことならば、まだ知らなかったで済む。だが今後繰り返しとなるなら、付き合いを考えねばならないのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「何の用事か知らんけど、くたびれたよ」
「それはご苦労だったなあ。中身は何なんだ? 見たって分かりゃしないだろ」
安養寺ラーメンも含めた予定を全てこなし、年輪工房へ着いたのは午後七時を過ぎた。
「勘弁しろよ。こういうのは信用第一だろ、俺みたいな要領の悪い奴が内緒になんてしきれるもんじゃないしな」
「まあな。嘘を吐き続ける羽目になるのもつらいし、見ないのが賢いな」
立ち寄った理由はルーエンの夕食をせしめる、のではなく。お使いの内容を知らないことの証人として、友野を利用する為だ。悪いとは思うが、背に腹はかえられない。
無論それとは関係なく、カオマンガイはうまかった。
「泊まってってもいいのに」
一時間ほど休憩させてもらい、また車上の人となる。ざこ寝で良ければと勧めてくれたが断った。
「いや明日は古物市があるんだ。いくらか売らないと、ケツに火が点いちまう」
「あっははは、そんなわけないだろ。まあ仕事熱心もたいがいにしろよ」
手許の金銭にさほどの余裕がないのは本当だ。けれども友野は、榧材の売り上げがあると思っている。
あれは青二に渡したきり。返すと言ってきたが、今さら受け取れないと突き返した。それに浅井夫妻の件がどう転ぶか、まだ先が見えない。
「古道具をいじってる分には、全然疲れないんだ。運転手にならなくて良かったよ」
「おっと。それは遠回しに厭味を言ってるのか?」
その青二の姿は、助手席にない。後席に乗ったルーエンと仲良く、スマホのゲームで遊んでいる。
「晩飯代にも安すぎるさ。何なら、帰りも送ったっていい」
「それは大丈夫みたいだけど、僕の都合が悪くなったら頼むかもな」
きっとその都合は、創作欲と書くに違いない。仕事熱心とはどちらのことか、だ。
言い出せばきりがないので、「んじゃ」「またな」とデミオを発進させた。
「ルーエン。アワワ商店街でいいんだっけ?」
「そうヨ。ルーエンのお友ダチ、住んでルノ」
彼女の休みは基本的に土日だが、同郷の友人から助けを求められたらしい。重大な相談があると。
それで明日の金曜日も含め、三日間を友人宅で過ごすとのことだった。ならばついでだからと、送り届けるのを頼まれた。
「青二、グルグル回して!」
「駄目だよ、そんな暇ないよ。早く殴って、殴って!」
何だか物騒な話に聞こえるが、ゲームのことだろう。形無はやったことがないので、どういうものか想像がつかない。コンシューマー機でも、中古で買ったPS2を少し触っただけだ。
東京やさいたま新都心の灯りが、欠片も届かない山中の道。少し視線を上に向けると、左右から張り出す枝の間に無数の星が瞬く。
「七年も経ったってのに、知らないことのほうが増えてくな……」
口に出すようなことでないと分かっている。しかし言わずにおれなかった。
無力感に苛まれ散々に胸を苦しくさせた後、大きく深呼吸をする。
――誰にも知られず、呑気にこの夜空を見上げてる? そんなのは、俺が許さない。
想いを新たに、ハンドルを握る手からは力を抜いた。
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