第25話:お使いの中身

 メールで送り付けられたメモを手に、温泉街を行き来した。見当たらずにウロウロするのを、三つも湯もちを食べた青二が黙って眺める。しかし同じ場所を三度目になって、やれやれとばかり口を開いた。


「地図とかないの」

「あるにはあるが、住所がなあ」


 だいたいの番地も記された道路地図は持参している。しかし付近の番地表示は、箱根町湯本の後に三桁か四桁の数字が並ぶ。何番何号と順になってなく、当てにならない。

 船場の指示で訪れたことを考えると、無関係の誰かに道を聞くのも躊躇われた。


「早く言ってよ、ニャーゴル検索すればすぐだよ」

「分かるのか?」


 住所を読み上げると間髪入れず、「この先を左ね」と道案内が始まった。その通り進むと何のことはない、ものの五分で到着する。


「ここみたいだけど、合ってる?」


 箱根町役場の正面。たった百メートルの距離に、目指す場所はあった。ただし川と登山鉄道を挟んでいて、ぐるり回ってくる必要はあったが。

 と言うものの、何の施設かは書かれていない。


「合ってる、のか?」

「オレに聞かれてもね」


 青二の問いに、問いで返す。温泉地に紛れて、手作業の工場でもあると考えていたのだ。

 しかし目の前にあるのは、普通の民家。強いて変わっているとすれば、トタンで塞がれた物置きがやけに大きい。


「ま、眺めててもしゃーない」


 ぼうっと眺めていれば目立ってしまう。さっさと尋ねて、違っていれば早々に退散すれば良い。「ごめんください」と、呼び鈴もない玄関の戸を叩いた。


「お名前は?」


 待ち構えていたように、すぐさま男の声で応答があった。しかも、どちらさま? とかではなくだ。


「浅井と言います。船便の件はこちらでしょうか?」

「ああ、はいはい。聞いてますよ」


 浅井と名乗り、用件を船便と言え。それが船場の指示だ。自身の姓を使われた青二が、ちらと横目で見る。


「どうもどうも、遠いところを」


 戸を開けて出てきたのは、野良着の男性だった。見た目にはまだ若く見えるが、おそらく六十歳を超えている。


 ――奴隷産業で儲ける、悪徳業者には見えんが。

 テレビ番組で第一村人に出てきそうな、人の好い感じ。開けたままの玄関から奥を覗き込むが、他に人影はない。


「ああ、様子を見ていきますか? 元気にしてますよ」

「え、はい。それは良かった」


 外国人の姿がなくてほっとしたのも束の間。男は「おおい!」と大声を発する。

 咄嗟に調子を合わせて返事をしたものの、驚いて耳を塞いだ。何しろ握手のできるという距離で、面と向かって叫ばれたのだ。


「出ておいで!」


 男はもう一度叫ぶ。どうやら形無を飛び越えた遥か後ろに、誰か居るらしい。

 振り返ると道路の向かいに、背丈の高さまで石が積み上げられていた。垣は土の流れ出すのを止める為だろう、上に斜面をそのまま使った畑が見える。

 間口が五十メートルほど。面積で言うと、二反ほどもあるだろうか。半分はビニールハウスに覆われた。


「はいよー」

「ハーイ!」

「イますヨー!」


 姿の見えなかったのは、ハウスの中だからと思った。けれども出てきた三人の女性は、畑を囲む林に隠れていた。

 一人は男の妻だろう。やはり野良着に、日除けの布をかぶっている。

 あとの二人は予想に違わず、東南アジア系。田舎臭いジャージ姿で手を振った。


「たしかに元気そうだ」

「でしょう? よく働いてくれるし、助かっとりますよ」


 あの子たちはいつから、どういう名目で滞在しているのか。それこそビザを見せてみろと言いたくなった。

 もちろんそれで不法行為を知ったとて、どうするわけでもない。なぜ知りたいのかと聞かれても、理由はない。


「じゃあこれ、お願いします」


 頃合いに、男は紙袋を差し出した。偶然にも、先ほど買ったのと同じ湯もちの袋。中身は薄っぺらい物らしく、マチを畳んだままの状態だ。


「はい、預かり品ですね。俺は中身を確認出来ませんけど、間違いありませんね?」

「ないですとも」

「ええと……」


 高校生らしい少年と二人連れで現れた、浅井と名乗る男の役目は、もうここにない。言葉を続けようとすると、野良着の男性は「何か?」と言いたげに首を傾げる。


「や、何でも。畑仕事、気を付けてください」

「はい、どうもどうも」


 デミオに乗り込み、そそくさと走り出す。ルームミラーに、頭を下げる姿がしばらく映っていた。


「これ、何?」

「さあな。気になるなら見てもいいぞ、直接触るなよ」


 中身が分からないと言いながら、触れるなと。紙袋を脚の上に抱えた青二は、「何それ?」と問う。


「たぶん、茶色か緑の薄い手帳だ。金色の文字が書いてあると思う。でも俺たちは、そんな物見てないし、触れてもない。そこにあることも知らない」


 何を想像して言ったのかまでは分かるまい。だが良くない物とは理解したらしい。少年は真顔で唾を飲み込んだ。

 どうするのか視界の端に眺めていると、何度かの逡巡の後、袋を開いた。手には湯もちと一緒に入っていた、紙のお手ふきが巻かれている。


「開けるよ」


 中にはレターサイズの封筒が入っていた。それを取り出し、断ったときにはもう開けている。糊付けまではされていないようだ。


「ぴーえーえすえす……パスポート?」

「だろうと思った」


 茶色の旅券は、表紙にフィリピンと英文字で書かれている。それが二冊。


「くそっ」


 何に苛立ったのか。分からない呟きが、勝手に溢れた。

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